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逃げ続けた男、辺境貴族の赤ん坊に転生する 〜黒水の力と魔法灯の家族に救われ、今度こそ大切なものを俺は守る〜  作者: youmo
第1部 もう一度、家族になる

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第12話 歩いた。屋敷が騒いだ。

 人間には、人生の節目というものがある。


 入学。

 卒業。

 就職。

 結婚。

 子どもの誕生。


 そして、赤ん坊にとっての大事件。



 歩行である。



 俺はその日、ついに立った。


 場所は屋敷の子ども部屋。


 床には厚めの敷物が広げられ、周囲には角の尖った家具がない。

 エレナが用意した、完全安全設計の練習場である。


 いや、練習場ではない。


 成長の場だ。


 グレンがいると、何でも訓練になってしまうので注意が必要である。


「レオン、無理しなくていいわ」


 エレナが少し離れた場所で両手を広げている。


 淡い金髪が肩に落ち、薄青の服が魔法灯の光を受けてやわらかく見える。


 その隣で、メイド長のマーサが腕まくりをしていた。


 赤茶色の髪をきっちりまとめた、頼れる屋敷の母ちゃんである。


「坊ちゃま、いけますよ。今日の足取りは昨日よりしっかりしてます」


 さらにその後ろでは、若いメイドのニナが両手を胸の前で握りしめている。


 栗色の短い髪。

 そばかす。

 表情がころころ変わる。


 まだ新人らしいが、俺の世話係として最近よく顔を出す。


「レオン様、頑張ってください! あっ、でも転ばないでください! いえ、転んでも私が受け止めます! たぶん!」


 たぶんは不安だ。


 そして問題は、部屋の入口にいた。


 グレンである。


 父は腕を組んで立っていた。


 顔は怖い。

 姿勢は戦場。

 目は真剣。


 赤ん坊の初歩行を見る父親の顔ではない。


 敵将の出方を読む顔である。


 その横にオスカーが控えている。


「旦那様」


「何だ」


「その顔では、レオン様が敵地へ突撃するように見えます」


「見守っている」


「でしたら、もう少し見守る顔をしてください」


 グレンは少し眉間の力を抜いた。


 あまり変わらなかった。


 俺は床に手をつき、体を起こした。


 よし。


 立てる。


 ここまでは最近できるようになった。


 問題はここからだ。


 俺はエレナを見る。


 母は何も急かさず、ただ両手を広げて待っていた。


 その顔を見ていると、不思議と少し安心する。


 一歩。


 俺は足を出した。


 体が揺れる。


 危ない。


 赤ん坊の重心は信用ならない。


 だが、踏ん張った。


 マーサが息をのむ。


 ニナが小さく叫びかけて、両手で口を押さえる。


 グレンの腕に力が入る。


 いや、父よ。


 あなたが緊張しすぎである。


 二歩目。


 いける。


 俺は自分の足で、前に出た。


 三歩目。


 体が前に傾く。


 エレナの手が近づいた。


 俺はそこに向かって倒れ込むように進む。


 そして。



 届いた。



 エレナの腕の中に、俺は飛び込んだ。


「レオン!」


 母の声が弾んだ。


 俺は抱きしめられた。


 温かい。


 背中を包む腕が、ほんの少し震えている。


 部屋の中に、拍手が起きた。


「坊ちゃま! 歩きましたねえ!」


 マーサの声が大きい。


「すごいです! レオン様、すごいです!」


 ニナは泣いていた。


 泣くほどか。


 いや、赤ん坊の歩行は感動イベントなのかもしれない。


 俺はエレナの肩越しにグレンを見た。


 父は固まっていた。


 完全に動かない。


 魔法で石にされたと言われても信じる。


「旦那様」


 オスカーが声をかけた。


「レオン様がお歩きになりました」


「見ていた」


「ええ。そのまま呼吸をお忘れでした」


 グレンはゆっくり息を吐いた。


 それから、低い声で言った。


「もう一度」


 来た。


 絶対に来ると思った。


「あなた」


 エレナが少し困った顔をする。


「レオンは今、歩いたばかりよ」


「もう一度見たい」


 父、素直。


「訓練は継続が大事だ」


「これは訓練ではなく成長よ」


「成長にも反復は必要だ」


 屁理屈である。


 だが、グレンの顔があまりに真剣だったので、エレナも強く止められなかった。


 俺は床に戻された。


 再挑戦である。


 一歳児に対する期待が重い。


 俺は立ち上がった。


 さっきより足が震える。


 体力がないのだ。


 赤ん坊は省エネではない。

 常に限界で生きている。


 それでも、俺は一歩出した。


 今度はエレナではなく、グレンの方へ。


 父の目が少し開く。


 入口に立っていたグレンが、一歩だけ前に出た。


 俺はその顔を見た。


 怖い。


 だが、不思議と嫌ではない。


 二歩。


 三歩。


 足元がふらついた。


 その瞬間、床に落ちた俺の影が、ほんの少しだけ揺れた。


 黒い水が出たわけではない。


 ただ、足元の影が薄く俺の体を支えたような気がした。


 俺は倒れず、グレンの足元までたどり着いた。


 父は膝をついた。


 大きな手が、俺の背中に回る。


 抱き上げる動きは、前より少しだけ上手くなっていた。


「歩いた」


 グレンが言った。


 いや、見れば分かる。


「俺の方へ」


 うん。


 それも見れば分かる。


 父の耳が赤い。


 これは、かなり嬉しいらしい。


 マーサが腕を組んで、うんうんと頷いている。


「旦那様、よかったですねえ」


「当然だ」


「顔がにやけてますよ」


「にやけていない」


「いえ、わりと」


 オスカーが静かに補足した。


「旦那様としては、過去最大級に表情が崩れております」


 グレンは黙った。


 崩れてこれなのか。


 父の表情筋は堅牢である。


 ニナが近づいてきた。


「レオン様、私のところにも来てくださいますか?」


 期待の目。


 正直、もう疲れた。


 俺はグレンの服を握ったまま、顔をそらした。


「あっ、今、断られました?」


 ニナがショックを受けている。


 ごめん。


 嫌いではない。


 体力がないだけだ。


 マーサが豪快に笑った。


「はっはっは! 坊ちゃまにも相手を選ぶ権利がありますからねえ!」


「マーサさん、ひどいです!」


「昨日皿を二枚割ったメイドに向かって、坊ちゃまも警戒してるんだよ」


「今日はまだ一枚も割ってません!」


「まだ、がつくのが怖いんだよ」


 賑やかだった。


 この屋敷は、思っていたよりうるさい。


 でも、そのうるささが嫌ではなかった。


 前世の俺の部屋は、静かだった。


 静かで、狭くて、誰にも見られなかった。


 ここでは、一歩歩いただけで屋敷が騒ぐ。


 少し恥ずかしい。


 かなり恥ずかしい。


 でも、悪くない。


 エレナが俺の髪を撫でた。


「よく頑張ったわね、レオン」


 グレンが俺を抱いたまま、低く言う。


「明日もやる」


 やっぱり訓練になった。


 俺は父の服を握ったまま、心の中でため息をついた。


 赤ん坊生活は終わりに近づいている。


 その代わり、父の謎の訓練生活が始まりそうである。

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