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逃げ続けた男、辺境貴族の赤ん坊に転生する 〜黒水の力と魔法灯の家族に救われ、今度こそ大切なものを俺は守る〜  作者: youmo
第1部 もう一度、家族になる

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第10話 母の魔法は、やっぱりずるい

 エレナの魔法は、綺麗だった。


 これは親のひいき目ではない。


 いや、俺は子ども側なので、ひいき目という表現は少し変かもしれない。


 だが、とにかく綺麗だった。


 朝、カーテンを開けるとき、エレナは指先で小さく風を起こす。


 薄い布がふわりと揺れ、朝の光が部屋に入ってくる。


 昼、湯を温めるときは、手のひらの上に淡い熱を集める。


 火ではなく、温かさだけをすくい取ったような魔法だ。


 夕方、魔法灯をともすときは、白金色の光が一つずつ目を覚ます。


 派手ではない。


 爆発もしない。


 敵を吹き飛ばしたりもしない。


 それでも俺は、エレナの魔法を見るたびに思う。


 ずるい。


 こんな魔法を見せられたら、魔法というものを好きになってしまう。


「レオン、また見ているの?」


 エレナがこちらを振り返った。


 淡い金髪が、朝の光で少し透けて見える。


 緑色の目は穏やかで、口元には小さな笑みがあった。


「そんなに見られると、少し照れてしまうわ」


「あー」


 いや、照れている場合ではない。


 こっちは真剣に観察している。


 黒い水しか出せない男としては、生活魔法の仕組みを少しでも学びたいのである。


 エレナは俺を抱き上げると、窓辺の椅子に座った。


 窓の外では、庭の木々が風に揺れている。


 遠くの訓練場からは、かすかに木剣の音が聞こえた。


「魔法はね、レオン」


 エレナは俺の手を取り、自分の手のひらにのせた。


「力を外に出すものだと思われがちだけれど、本当は少し違うの」


 白い指が、俺の小さな手を包む。


「自分の中にあるものを、形にするのよ」


 自分の中にあるもの。


 俺は胸の奥の黒い水を思い出した。


 暗い水面。

 閉じた玄関。

 出られなかった部屋。

 古いスマホの画面。


 それが形になったのが、俺の黒い水なのだとしたら。


 なかなか重い。


 赤ん坊に背負わせるものではない。


「だから、急がなくていいの」


 エレナは静かに言った。


「怖いものを無理に外へ出そうとすると、自分も周りも傷つけてしまうことがあるから」


 その言葉に、少しだけ別の響きがあった。


 ただの一般論ではない。


 エレナは、何かを知っている。


 俺は母の顔を見た。


 エレナは俺を見ていた。


 けれど、その目の奥はどこか遠くを向いているようだった。


「母さん」


 口から出た。


 正確には、はっきりとした言葉ではなかった。


「か……しゃ」


 みたいな、崩れた音だった。


 それでも、エレナは目を見開いた。


「レオン」


 声が震えていた。


「今、呼んでくれたの?」


 しまった。


 まだタイミングが早かったかもしれない。


 だが、出てしまったものは仕方ない。


 俺はエレナの服を握った。


 薄青の布に、小さなしわが寄る。


 エレナは一瞬だけ唇を結び、それから俺をぎゅっと抱きしめた。


「……嬉しい」


 小さな声だった。


 飾りのない、本当にそれだけの声だった。


 俺の胸の奥が苦しくなる。


 昔の台所の匂いが、一瞬だけよぎった。


 味噌汁。

 古い木の床。

 出られなかった電話。


 俺は目を閉じた。


 また、奥の方に沈みそうになる。


 だが、エレナの腕は温かかった。


 今、俺を抱いているのは、前世の母ではない。


 エレナだ。


 この世界の、俺の母だ。


「ごめんなさい、少し強く抱きすぎたわね」


 エレナが慌てて腕をゆるめる。


 俺は首を横に振ろうとした。


 うまく振れなかった。


 代わりに、エレナの服をもう一度握った。


 母はそれを見て、泣きそうな顔で笑った。


 そのとき、部屋の扉が軽く叩かれた。


「入る」


 グレンだった。


 相変わらず短い。


 父は部屋に入ると、エレナの表情を見て足を止めた。


「どうした」


「レオンが」


「何かあったのか」


 グレンの灰色の目が鋭くなる。


 反応が早い。


「違うわ」


 エレナは首を横に振った。


「私のことを、呼んでくれたの」


 グレンが固まった。


 庭の石像のように動かない。


 数秒後、低い声で言った。


「……そうか」


 いや、父よ。


 あなたも嬉しいなら嬉しいと言えばいい。


 グレンは俺の方を見る。


 見ている。


 かなり見ている。


 灰色の目が、少しだけ期待している。


 これは分かる。


 次は自分だと思っている顔だ。


 俺は目をそらした。


 無理です。


 父上、まだ難易度が高いです。


 グレンの肩が、わずかに落ちた。


「あなた、そんなに落ち込まなくても」


「落ち込んでいない」


「そう?」


「……まだ早いだけだ」


 父、強がる。


 この夫婦、見ていて飽きない。


 その日の夜。


 俺はなかなか眠れなかった。


 エレナはベッドのそばで、いつもの古い本を開いていた。


 七つの塔の紋章が入った本だ。


 魔法灯の光が、本のページを淡く照らしている。


 俺はぼんやりと、その紋章を見た。


 七つの塔。


 どこかで見たことがあるような気がする。


 前世ではない。


 たぶん、この世界に来てからだ。


 いや、もしかすると黒い水の夢の中で。


 俺がじっと見ていることに気づき、エレナは本を閉じた。


「気になる?」


「あう」


「これはね、昔、私が少しだけ学んでいた場所の印なの」


 エレナは表紙を指で撫でた。


 その横顔に、少しだけ寂しさがあった。


「魔法都市ミラ・セプテム。七つの塔がある、魔法使いたちの街よ」


 魔法都市。


 その響きだけで、だいぶ異世界感がある。


 だが、エレナの声は懐かしむというより、何かを思い出したくない人の声に近かった。


「私も昔は、もう少し強い魔法を学びたいと思っていたの」


 意外だった。


 エレナは今の生活魔法に満足している人だと思っていた。


 母は俺の髪を撫でる。


「でもね、レオン。強い魔法だけでは、守れないものもあるのよ」


 魔法灯の光が揺れた。


「強い光は、影を濃くすることもあるから」


 その言葉が、妙に胸に残った。


 エレナはそれ以上語らなかった。


 俺も聞けなかった。


 聞ける口も、まだ持っていない。


 ただ、分かったことがある。


 母はただ優しいだけの人ではない。


 この人にも、閉じたままの扉がある。


 その夜、眠りに落ちる直前、魔法灯の光の中に一瞬だけ黒い水が揺れた。


 水面に、七つの塔が映る。


 そしてすぐに消えた。


 俺は目を閉じた。


 母の魔法は、やっぱりずるい。


 綺麗で、温かくて。


 それなのに、少しだけ寂しい。

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