(14)重蔵の危篤
重蔵は座敷牢での著述活動を気長に進捗させ、ようやく江州本草全三十巻を完成させた。
「近藤先生の根気にはただただ恐れ入るばかりです。これほどの大部の著述をこのような狭い畳敷きの中でまっとうされるとは」
秋蔵が敬意をこめて重蔵に言った。
「おぬしらの協力あってこその著作だ。おかげで座敷牢での単調な生活もこの仕事に打ち込むことで気を紛らすことができた。余計なことをごちゃごちゃ考えずに済んだのもわしにとっては幸いであった。礼を言う」
「近藤先生の達筆によって、見事な仕上がりでございます。感服いたしました」
一馬は、文字と標本が織りなす紙面の美しさに感嘆して言った。
「坂部殿には高山に生える薬草をたくさん採取してもらったのう。重ねて礼を言う」
「めっそうもございません」
「そうそう、坂部殿は先日、祝言を挙げたそうだな。おめでとう」
「これは、ありがとうございます」
「嫁御はどのような女人じゃ?」
「はい、ごく平凡な武家の女房でございます」
「そうであるか……」
(前妻の梅や、後妻の国は達者で暮らしているだろうか?)
重蔵は、これまでの自分の女人に対する行儀の悪さを思い出していた。
「夫婦仲良く、嫁御を大事にいたわって暮らしなされ」
「はっ。肝に銘じます」
言わずもがな、自分とは違って、一馬なら生涯、嫁を大事にするであろう、と重蔵は思った。
それからまもなく、重蔵の体に異変が生じるようになった。
食が進まず、無理に食すると嘔吐することが多くなった。排尿にも支障を来たすようになり、体のむくみが日に日にひどくなった。
(江州本草を仕上げて、気が抜けたせいかもしれない)
重蔵はそう自己分析していたが、症状は悪化する一方であった。
ついには、重蔵の半身は動かなくなり、寝たきりになった。
重蔵の座敷牢には藩医と定番士が交代で詰め、看病した。一馬と秋蔵もできるだけ重蔵の病床近くへ侍り、経過を見守った。
重蔵の病状が重いとの報告を受けた左京亮と民部は、急いで重蔵の座敷牢へおもむいた。
「近藤先生、左京亮です。お分かりになられますか?」
左京亮は枕頭から重蔵へ呼びかけたが、重蔵はうつろな目で左京亮を見るだけで、すでに言葉を発することができなくなっていた。
(思いのほか、病気の進行が速い)
左京亮は藩医を外へ呼び出して、重蔵の病状を訊いた。
「近藤様は中症(脳卒中)のご様子です。半身は麻痺しており、言葉を発することもできません。すでに肝臓も腎臓もまったく機能しておらず、大変申し上げにくいことながら、お隠れになられるのは時間の問題かと」
藩医は恐縮しながら左京亮へそう回答した。
「もはや、手の打ちようがありませぬ」
民部は左京亮へ言った。
左京亮は腕組みをしたまま、しばらく瞑目していた。




