(15)左京亮の秘策
文政十二年(一八二九年)六月九日昼八つどき(午後三時頃)、近藤重蔵はこの世を去った。享年五十九歳であった。大溝陣屋の獄舎に幽閉されてから二年四ヶ月が経過していた。
左京亮はすぐに江戸へ早飛脚を仕立てて重蔵の死を公儀へ報告した。
重蔵の遺体は塩漬けにされ、公儀による検死を待った。
約一ヶ月後の七月十六日、江戸から検使二名が大溝に到着し、塩漬けにされた重蔵の遺体を改め、公式に重蔵の死が確認された。
柩に収められた重蔵の遺体は、陣屋の不浄門から出棺され、大溝藩主の菩提寺である円光寺の裏手にある瑞雪院に葬られた。戒名はなく、墓石には「近藤守重之墓」と刻まれているのみであった。
重蔵の埋葬を終えてしばらく経ったある日、左京亮は民部を呼んで、言った。
「わしは、隠居しようと思う」
「何ですと!」
民部は驚きのあまり、素っ頓狂な声を上げた。
「爺、大きな声を出すな」
「しかし、殿が隠居するなどと言われるものですから」
「もうだいぶ前から考えていたことだ」
「と言われましても、お世継ぎがおられませぬが?」
「そのことだが」
左京亮は、一呼吸おいてから、続けた。
「養子をもらい受けようと思っている」
「何と!」
「すでに話は大方ついている。上野国安中藩主、板倉伊予守勝明殿の御舎弟で、渋川虎之助殿が部屋住みでおられる。御年十五歳なので、来年、養子にもらい受けて世継ぎとして公表し、再来年、家督を譲ろうと思う」
民部は、左京亮の話についていけず、頭が混乱していた。
「今まで爺に相談せず、わし一人で勝手に事を進めたことは謝る。だが、近藤先生の身柄をお預かりしているときに、そういう画策をしていることを公儀に勘繰られるのもまずいと思い、ひそかに動いていたのだ」
「殿はまだ二十一歳でございます。その若さでなにゆえご隠居などと?」
「歳は若くても、わしは二歳のときに家督を継いだのだ。虎之助殿に家督を譲るときには、すでに二十年以上も藩主の身分でいることになるのだぞ」
「それにしても……」
「近藤先生の死があまりにも早かった。今後、そのことについて公儀からどういう難癖をつけられるかも分からない。だから、そのときの備えとして、御譜代の藩から養子をもらい受けて家督を継がせれば、我が藩も御譜代に準ずる扱いとなり、安泰であろう」
「あっ」
民部はようやく左京亮の意図を悟った。
「爺はこれまでずっと御家大事で勤めてきてくれた。父が急死したとき、爺の画策によって急遽わしが世継ぎに決まり、我が藩は存続することができた。せっかく爺のおかげで取り潰されずに済んだのに、近藤先生の一件であらぬ嫌疑でもかけられたら、爺に合わせる顔がない、と思ってな」
「殿……」
民部は、この殿のためにこれまで尽くしてきたことが大きく報われた思いがして、感涙にむせんだ。
重蔵の死から三十一年後の万延元年(一八六〇年)、十一代将軍家斉の十三回忌の際、重蔵の名誉が回復され、戒名が諡された。
明治四十四年(一九一一年)、蝦夷地開拓の先駆者として、近藤重蔵は明治政府から正五位を追贈された。
了




