(12)誤解
「おはようございます」
陣屋内の廊下で竹内隼人が向こうからやってくるのを見かけた一馬は、隼人から雪のことで何か言われるものと覚悟していた。平静を装って脇に寄り、あいさつしたが、隼人はそのまま通り去ってしまった。
(まだ知らされていないのだろうか?)
一馬が雪へ恋文を渡してから十日が経ったが、もしかしたら隼人と雪はしばらく会っていないのかもしれない、と一馬は思った。雪が隼人に会えば、一馬から恋文をもらったことを間違いなく伝えるだろうから、次回こそ隼人に何か言われるだろう、と改めて覚悟した。
ところが、それからまた七日後、陣屋内で隼人に会ったが、隼人は何も言わずに通り去った。
さらにその八日後、陣屋内で隼人から、
「坂部、剣術の修行に余念がないようだな。今度の試合でもおぬしの活躍、期待しておるぞ」
と一馬は声をかけられた。
不審に思った一馬は、たまりかねて秋蔵に相談した。
「じつは、一月ほど前に、竹内様のご息女の雪様へ恋文を渡したのだが」
「なに? それはまことか?」
秋蔵は、一馬の突然の告白に驚いた。
「それで、その後どうなった?」
「もちろん、雪様からのご返事はない。もとより、わしは雪様を以前からお慕い申し上げていた、ということだけを伝えたかったのだ。雪様とどうこうなりたいとは思わぬ。自分の気持ちを正直に伝えることこそ知行合一だと思ったからだ」
「なに、知行合一だと?」
「そうだ」
秋蔵はそれを聞いて笑い出した。
「何がおかしい?」
「愚かな。それは知行合一ではない」
「なぜだ?」
「知行合一とは、人間の生まれながらの良心に基づいて、それを行動に移すことだ。例えば、川で溺れている子供を見つけたらすぐに助けるとか、重い荷物をしょいきれずに立ち往生している老婆を見かけたら、代わりに荷物を持つとか、小さくはそういうことだ。政事であれば、私腹を肥やしている輩がいたら糾弾するとか、重税にあえいで苦しんでいる庶民がいたら、それを善処するように上役へ働きかけるとか、見て見ぬふりをしないという厳しい道だ」
「……なるほど」
「おぬしが以前から雪様を慕っていることはわしも知っているが、それは自然の良心ではない。あくまでおぬしの欲求である。おぬしの欲求を雪様に伝えたところで、知行合一にはならない」
「……わしは誤ったか」
一馬は、知行合一をはき違えていたことを悟った。
「おぬしらしいわ。それで、何を悩んでおるのだ?」
「わしが雪様に恋文を渡したことが竹内様の耳に入れば、竹内様から叱責されるものと覚悟しておるのだが、竹内様はいっこうにわしにそれらしいことを言って来ぬ。よもや雪様が父君にわしの仕業を話していないとも思えぬから、なぜなのか不可解でならん」
「それは、おぬしから恋文をもらったことを雪様が竹内様へ話していないからだろう」
「そうだろうか?」
「それしか考えられん。あの謹厳な竹内様のこと、もしおぬしのことを知ったら、恐らく 不問には付さないだろう。少なくとも、おぬしに対して注意ぐらいはするはずだ」
「……そうだろうな」
「おぬしの恋文がごく穏当な内容だったこともあるだろうが、雪様はおぬしに配慮したのだろう。父君に伝えずに、自分の胸の中にしまっておくことに意を決したのだろう」
秋蔵がそう言うと、一馬は空を見上げた。
「雪様はすばらしい女人だ。わしの女人を見る目に狂いがなかったことがこれではっきりした。わしはそれがうれしい」
「おいおい、事の真相がどういうものなのか分からんのだぞ。あくまでもわしの見立てに過ぎぬ」
「いや、おぬしの見立てなら、きっと間違いないはずだ」
一馬はそう決めつけて、久方ぶりに気持ちが晴れるのを実感していた。
「……まったく、おぬしらしいわ」
秋蔵は、一馬の単純さにあきれつつも、その朴訥な人柄を好もしく思った。




