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(11)暮夜の坐禅


 重蔵は本草学の著述に専念する日々を送っていた。

 まず定番士たちが採集してきた薬草の品種を特定する。次に、薬草を紙にはさんで重石(おもし)をのせて乾燥させ、標本をつくる。月二回の外出のときは、みずから近隣の草木を物色して獄舎へ持ち帰る。標本ができたら紙に固定し、文章を添える。その作業を幾度となく繰り返す。

 暮夜の坐禅は欠かさない。重蔵は座布団の上に結跏趺坐(けっかふざ)の姿勢で座り、両手を法界(ほっかい)定印(じょういん)に組み、半眼でじっとしている。

 重蔵は若い頃から、一事に没頭することに長けていて、それが習慣化していた。読書のときはわき目もふらずに文字を目で追い、その意を解釈することだけに全神経を集中させることができた。学者顔負けの膨大な読書量を誇れたのも、細切れの時間でも瞬時に読書に没入できる重蔵の性質が大きくあずかっていた。

 一方で、重蔵は品行方正な聖人君子などではなかった。夜は料亭に出入りして酒を吞み、女を抱いた。およそ貞操観念というものがなく、食事をするのと同じ生理感覚でもって女性に接した。

 人並み外れた集中力と放蕩癖、その両面を重蔵は兼ね備えていた。

(わしは、いのちの熱量が多過ぎるのだ)

 夜更けまで大酒を呑み、女を抱いても、翌朝にはきちんと起きて勤めに出た。二日酔いで勤めを休むことはなく、酒の呑み過ぎで体調を崩すこともなかった。

 重蔵は、これまで人一倍働いてきたという自負があったし、今後も人一倍働ける自信があった。だが、重蔵は公儀から重用されず、蝦夷地踏査以降は閑職を歴任し、ついには非役の小普請入りに(おとし)められた。重蔵はそれが不満であった。

 鎗ヶ崎(やりがさき)の別邸内に富士塚を築いたり、大坂勤務のときに役宅に高楼を構えたり、はたまた自身の甲冑姿の石像をつくらせ、居宅の庭に安置したりと、物議をかもすことを幾度も仕出かし、都度公儀から譴責(けんせき)された。重蔵は都度抗弁書を提出した。

 そんな重蔵をはらはらした目で見て、自重を促す知人もいたが、重蔵は取り合わなかった。

(わしを用いない公儀に対する(うっ)(かい)を晴らしているのだ)

 そういう態度がますます公儀の重蔵に対する見方を硬化させることは分かっていても、重蔵の内面からほとばしり出る熱情と逸脱を重蔵自身も制御できなかった。

 鎗ヶ崎事件で、息子の富蔵が相手方を殺傷したことについては、質の悪い輩と関わってしまった不運の帰結であり、富蔵の行為はやむを得ない、と思っていた。

 だが、富蔵がわざわざ現場工作を行い、あたかも相手方が棒で手向かってきたかのように偽装した点については悔やまれた。そんなことをせずとも、町人の狼藉に対して切って捨てたと堂々と申し述べれば、お咎めなしとなる公算が高かったと重蔵は見ていた。富蔵の姑息な性質に対する恨みはあるが、そういう息子に育て上げたのは重蔵自身であり、その責は自分に帰するものであることも受け止めていた。

(運命というものだ)

 自分が生命力に満ちた身体で生まれたことも、蝦夷地踏査に従事したことも、幕閣の不興を買い、左遷されたことも、殺傷事件によって改易され、幽閉の身になったことも、すべては時の流れの中で位置付けられた結果であり、これからも時は流れていく。その結果が気に入ろうが気に入るまいが、後戻りは不可能であり、後悔したり恨んだりしても(せん)のないことである。重蔵はそう考えていた。

(後悔はしない。前に進むのみ)

 重蔵はいつの間にか目を大きく見開いていた。無我の境地にはなかなかなれない。自分の禅はまだまだだ、と覚えず苦笑した。


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