第7話 騎士団長様は、優しい食卓を信用しません
月夜の晩餐会が少しずつ形になり始め、数名の令嬢たちが温室でのひとときを心待ちにしてくれるようになった頃。
その夜の温室には、いつもの穏やかな空気とは不釣り合いな、極度の緊張感が張り詰めていた。
「……なるほど。これが噂に聞く、令嬢たちの隠れ家というわけか」
低く、地を這うような声。
入り口の柱に背を預け、鋭い鷹のような目で温室を見回しているのは、ルミナリア王国騎士団長、レオン・ガルディア様だ。
王弟であるクラウス殿下の護衛として同行してきた彼は、三十一歳という若さで騎士団の頂点に立つ、大柄で屈強な戦士だ。
数々の過酷な戦場をくぐり抜けてきたという彼の分厚い体躯は、ただそこに立っているだけで、ガラスの温室を内側から圧迫するような凄みがあった。
晩餐会に参加していた令嬢たちは、戦場帰りの武人の放つ威圧感にすっかり萎縮してしまい、ティーカップを両手で包み込んだまま、小さく肩を寄せ合っている。
私は温かいハーブティーを注いだカップをトレイに乗せ、レオン様の元へと歩み寄った。
「レオン様。夜風が冷えますから、温かいお茶をいかがですか」
「不要だ。任務中に飲食をするつもりはない」
彼は差し出されたカップを一瞥もせず、ただ冷ややかに私を見下ろした。
「フォンドール伯爵令嬢。殿下がなぜこのような茶会を後援されるのか、私には理解できん。ここにあるのは、現実から目を背け、傷を舐め合うだけの慰めの場だ。……人は、立ち向かうことでしか前には進めない」
その言葉には、一切の容赦がなかった。
極限の戦場で、生死の境を越えてきた彼にとって、令嬢たちが体型や容姿を笑われた程度で傷つき、温室に引きこもって甘いものを食べている姿は、ひどく軟弱で滑稽なものに映るのだろう。
「傷を舐め合う場所。……ええ、そうかもしれませんね」
私は怒ることも、彼を否定することもなく、静かに頷いた。
「ですが、戦うためには、まず流れている血を止めなければなりません。ここは、彼女たちが再び自分の足で立ち上がるための、束の間の休息の場所なのです」
「……詭弁だな。守られた安全な檻の中で、真の強さなど育つものか」
レオン様はつまらなそうに鼻を鳴らし、視線を温室の外の暗闇へと向けた。
彼とこれ以上議論を交わしても、平行線を辿るだけだろう。私は小さく息を吐き、令嬢たちのテーブルへと戻ろうとした。
――その時だった。
ゴオォォォッ、という不気味な風切り音が夜の庭園に響き渡った。
春の嵐の予兆のような、突風。
「きゃっ!?」
令嬢たちが悲鳴を上げた瞬間、温室の古びた鉄枠の扉が、風の暴力的な力によって大きく煽られた。
バキィッ、と蝶番の金属が限界を超えて弾け飛ぶ嫌な音が響く。
「……お嬢様! 追加のパンをお持ちしまし、た……?」
最悪なことに、温室の入り口には、厨房から焼き立てのパンが入った籠を抱えてやってきた使用人の子供、マリーが立っていた。
蝶番を失い、完全に制御を離れた巨大なガラスと鉄の扉が、ものすごい勢いで、小さなマリーの頭上へと倒れ込んでいく。
「危ないッ!!」
レオン様が叫び、腰の剣を弾き飛ばす勢いで地面を蹴った。
だが、彼が立っていた位置からマリーまでは、わずかに距離がありすぎる。騎士団長の俊敏な足をもってしても、扉が落ちるのが先か、彼が届くのが先か。
考えるよりも先に、私の身体は動いていた。
「マリーッ!!」
私はドレスの裾が破れるのも構わず、マリーの小さな身体に覆い被さるようにして飛び込んだ。
直後、背中にズシリとした、息が止まるほどの凄まじい衝撃と重量が降ってくる。
「ぐ、ぅ……ッ!!」
ガラスが砕け散る甲高い音が温室に響き渡る。
鉄の枠が私の肩と背中に深く食い込み、あまりの重さに膝が折れそうになる。
私は足を踏み開き、肩と両腕で鉄枠を受け止めた。身体を小さく見せようと縮こまっていては、マリーを覆いきれなかった。
今だけは、ずっと恥じてきた自分の身体を余すところなく盾にして、小さな命をガラスの破片から守ることだけを考えた。
「お、おじょう、さま……っ!」
「大丈夫よ、マリー。泣かないで」
私は歯を食いしばりながら、腕の中で震えるマリーに向かって、なるべく優しく微笑みかけた。
「……正気か、あんた」
頭上から、呆然としたような声が降ってきた。
駆けつけたレオン様が、私が必死に支えていた重い鉄の扉を、片手で軽々と持ち上げて退けてくれる。
扉の圧迫から解放された私は、ふう、と息を吐いてその場にへたり込んだ。
ドレスの肩口は破れ、むき出しになった白い肌には、鉄枠が擦れた痛々しい赤黒い痣と、散らばったガラスの破片によるかすり傷が無数にできて、血が滲んでいた。
「リリアン様! お怪我が!」
「すぐに手当を! 誰か、救急箱を!」
悲鳴を上げる令嬢たちを「大丈夫ですから」と手で制し、私はマリーの怪我の有無を確かめるために彼女の頬を撫でた。
レオン様は、血を流しながらも少しも取り乱さず、子供を安心させるために笑っている私を、信じられないものを見るような目で見下ろしていた。
傷を舐め合うだけの、軟弱な令嬢たちの遊び場。
彼は確かにそう言った。
だが、自らの体を盾にして躊躇なく扉を受け止めたその姿に、彼は自分の評価が根本から間違っていたのではないかという疑念を抱き始めていた。
戦場を知る騎士団長は、沈黙したまま、血の滲む私の背中をじっと見つめていた。




