第44話 証言の夜、社交界の美しさが塗り替わる
ビアンカ様は、震える手で債務証書の写しを掲げた。
「メルローズ男爵家の借金は、二年前にラザフォード侯爵家が買い取りました。返済を待つ代わりに求められたのは、エドガー様の隣で理想の令嬢を演じること。そして、リリアン様が嫉妬深く、婚約破棄は当然だったと証言することです」
「でたらめです!」
ヴィクトリア夫人の声が、初めて大きく乱れた。
「落ちぶれた男爵家の娘が、自分の罪を逃れるために私を陥れているだけです!」
「証書の原本と、夫人の署名を受けた指示書は、王室監査官へ提出済みです」
ビアンカ様は逃げずに答えた。
続いて、ユリウス様が審理院の鑑定書を提出した。
天響の声には意思を支配する術式が存在しないこと。
私へ届いた侮辱状から、禁制の沈黙香が検出されたこと。
香の調合には、王宮管理の工房でしか扱えない触媒が使われていたこと。
「購入記録はこちらに」
セドリック様が、香料商の帳簿と送金記録を差し出す。
名義を隠した仲介商から、ラザフォード侯爵家の家令へ金が渡っていた。
さらに、月夜の晩餐会へ食材を納めないよう命じた手紙と、従わなければ取引から外すと脅された商人たちの証言も揃っていた。
レオン様は、白い花束と侮辱状を運んだ者の警備記録を提出した。
運び手の一人はすでに拘束され、侯爵家の使用人から代金を受け取ったことを認めているという。
月夜の記録帳だけでは、人を法で裁けない。
魔術鑑定だけでも、命じた者までは分からない。
契約書だけなら、ただの商取引だと言い逃れられたかもしれない。
けれど、別々の場所で積み重ねた記録が、今、一つの事実を指していた。
「私は、社交界の秩序を守ろうとしただけです」
ヴィクトリア夫人は、扇を握り潰すほど強く手に力を込めた。
「今まで誰もが従ってきた。私が道を示したから、あの娘たちは良い縁談を得られたのです。少しの苦痛に耐えられない者まで守っていたら、王国の品位が――」
「品位とは、禁制の香で人の声を奪うことか」
国王陛下の低い声が、大広間を震わせた。
ヴィクトリア夫人が青ざめる。
「今夜この場で、すべての刑を決めることはしない。だが、証拠隠滅を防ぐ必要はある」
陛下の命により、ヴィクトリア夫人は王室行事への出入りと、侯爵家の財務・人事へ関与する権限をただちに停止された。
ラザフォード侯爵家には監査官が入り、家令と関係する商人は拘束される。
エドガー様は母の代理として署名した取引妨害の文書が見つかり、後継者としての資格を凍結された。
「母上に言われただけだ! 私は何も知らなかった!」
連れていかれる寸前、彼は誰にともなく叫んだ。
けれど、自分で読まずに署名した責任まで、母親へ渡すことはできない。
正式な裁定が出たのは、それから十日後だった。
ヴィクトリア夫人は、禁制魔香の使用、債務を利用した強要、取引妨害、虚偽告発の罪で、王室顧問夫人としての地位を剥奪された。
被害者への賠償に私有財産の一部を充て、領地での謹慎を命じられる。
ラザフォード侯爵家は王室監督下へ置かれ、病を理由に実務を妻へ任せきっていた侯爵も当主を退いた。
エドガー様は後継から外され、監督官の下で地方の倉庫管理に就くこととなった。
ビアンカ様への強要に使われた婚姻条件と、違法に上乗せされた利息は無効とされた。
残った元金は王室監督下で返済額を組み直し、家族の生活を奪わない長期の返済へ切り替えられた。
それでも彼女は、自分のしたことまで消えたわけではないと、謝罪と証言を続ける道を選んだ。
そして、月夜の晩餐会には、王室公認の慈善社交会としての認可が与えられた。
誰か一人の美しさを、新しい正解として掲げるためではない。
どのような姿の者にも、食べ、笑い、話す席を用意するために。
裁定を聞き終えた夜、クラウス殿下が私の前へ現れた。
「今夜、少しだけ時間をくれないか」
殿下が示した先には、最初の月夜の晩餐会を開いた温室があった。




