第43話 元婚約者様、あなたが恋しいのは私ではありません
「ようやく分かったんだ、リリアン」
エドガー様は、感動に濡れた目で私を見つめていた。
まるで、今この場で誰よりも深く私を理解したのは自分だと信じているような顔だった。
「昔、君は私の誕生日にも歌ってくれた。二人きりの庭で、私だけのために。私は今、あの頃の君がどれほど私を愛していたか、すべて思い出した」
覚えている。
婚約して間もない頃、喜んでもらいたくて何日も練習した。
けれどエドガー様は、歌い終えた私へ礼も言わず、友人に見られたら恥ずかしいから人前では歌うなと告げた。
「私は間違っていた。君の価値に気づけなかった」
彼は私の前で片膝をつき、両手を広げた。
「母上のことは、私が何とかする。今度こそ君を大切にすると誓う。私の元へ戻ってきてくれ」
ざわめきが広がる。
ヴィクトリア夫人さえ、息子の突然の行動に言葉を失っていた。
以前の私なら、夢にまで見た言葉だったかもしれない。
けれど今、その胸に飛び込みたいとは少しも思わなかった。
「エドガー様。お立ちください」
「許してくれるのか?」
「いいえ」
私は、はっきりと首を振った。
「あなたが恋しがっているのは、私ではありません。あなたを好きだった頃の、都合のいい私です」
エドガー様の笑みが固まった。
「私が差し出した歌を見下し、身体を笑い、声に価値があると知った今になって取り戻そうとしている。あなたは今も、私の気持ちではなく、ご自分が失ったものしか見ていません」
「ち、違う。私は歌を聞いて、本当の気持ちを……」
「歌は、なかった愛を作りません」
私は静かに告げた。
「思い出したのは、私を愛していた事実ではなく、愛されていたご自分でしょう」
エドガー様は、何も言えずに口を開閉した。
私は彼の脇を通り過ぎ、月夜の記録帳を抱くアイリス様の隣へ立った。
「これからお話しするのは、歌が言わせる言葉ではありません。皆様が歌を聞く前から、ご自分で書き、公開すると決めてくださった言葉です」
アイリス様が、記録帳の最初のページを開く。
初めに証言したのはマリアベル様だった。
食事を一日一度の薄いスープだけにされ、倒れても努力が足りないと責められたこと。
ヴィクトリア夫人がその姿を、理想に近づいたと褒めたこと。
次にカミラ様が、肩幅を狭く見せるため、幼い頃から背を丸める器具をつけられていたと語った。
アイリス様は、笑われたそばかすを隠す薬で皮膚を傷めた記録を読み上げた。
一つ一つは、法律で人を裁くための証拠ではない。
けれど、ヴィクトリア夫人が美という言葉を使い、どれほど多くの人を従わせてきたかを示す声だった。
「ただの躾でしょう」
ヴィクトリア夫人は冷たく言い放った。
「私の助言を勝手に曲解した家の責任です。傷ついたと泣けば、何でも他人の罪にできるとでも?」
「では、こちらについてお答えください」
広間の後方から、細い声が響いた。
人々が道を空ける。
白いドレスではなく、飾りのない薄紫のドレスを纏ったビアンカ様が、一人で歩いてきた。
エドガー様の隣を通っても、彼女は振り返らなかった。
「あなたを傷つけた側に立っていました。許されたいとは言いません」
私の前で一度だけ頭を下げ、ビアンカ様は国王陛下へ向き直った。
「ただ、もう黙っていたくありません」
彼女の手には、王室監査官の照合印が押された債務証書の写しが握られていた。




