第41話 ふくよかな令嬢、月光のドレスで現れる
王宮大舞踏会の夜。
馬車の扉が開くと、眩い光に照らされた大階段が目の前に広がった。
その先には、千を超える蝋燭が灯された大広間がある。
王国中の有力貴族が集い、今夜、私が失敗するのを待っている者も少なくない。
「リリアン様」
馬車の向かいに座っていたマリアベル様が、私の手を握った。
彼女はもう、折れそうなほど細い身体を誇るための白いドレスを着ていない。
淡い桃色の布に、熟した林檎の刺繍が施されたドレスを纏い、頬には食事と睡眠によって戻った穏やかな色がある。
「大丈夫です。一人で歩くのではありません」
反対側では、そばかすを隠さないアイリス様が月夜の記録帳を抱いている。
カミラ様は広い肩を伸ばし、深い蒼のドレスで堂々と座っていた。
ビアンカ様は別の馬車から来る。
今夜の彼女はエドガー様の隣ではなく、自分で選んだ証言者の席へ座る予定だった。
「行きましょう」
私は大階段へ足を下ろした。
月光色のドレスが、夜風を受けて柔らかく揺れる。
身体を細く押し込める硬い線はない。
胸元から腰へ重ねられた銀青色の布が、私の豊かな曲線に沿い、歩くたびに月桂樹の刺繍を輝かせた。
大広間の扉が開く。
「フォンドール伯爵令嬢、リリアン・フォンドール様」
名を呼ばれた瞬間、音楽が遠くなった。
何百もの視線が、私の身体へ突き刺さる。
扇の陰で笑う者。
驚いて目を見開く者。
月夜派の令嬢たちのように、胸の前で手を組み、祈るように見守る者。
私は反射的に腕で身体を隠しかけた。
――見るべき相手を決めろ。
レオン様の言葉を思い出し、顔を上げる。
大階段の下に、漆黒の正装をしたクラウス殿下が立っていた。
殿下は迎えに上がってこない。
ただ、私が自分で歩いてくるのを待ち、手を差し出している。
私は一段ずつ、自分の足で降りた。
途中で、誰かが小さく笑った。
けれど、その笑い声より先に、マリアベル様の拍手が響いた。
アイリス様、カミラ様。
月夜の晩餐会で出会った令嬢たちが続く。
大階段を降り切った時、私は自分でクラウス殿下の手を取った。
「お待たせいたしました」
「待つ時間も、悪くなかった」
殿下は私の手の甲へ口づけると、広間の中央へ導いた。
楽団が最初の舞曲を奏でる。
「歌ではなく、踊りをいただこう」
「上手ではありませんよ」
「私も、人に合わせるのは得意ではない」
思わず笑うと、殿下の目元も柔らかくなった。
一歩目は少し遅れた。
二歩目で裾を踏みそうになった。
それでも殿下は強く引かず、私が次の足を選ぶのを待ってくれる。
やがて、月光色の裾が広間の灯りを受け、円を描いた。
曲が終わる頃には、笑い声は消えていた。
「お見事ですこと」
冷たい声と共に、拍手が三つ響いた。
人垣が割れ、濃紺のドレスを纏ったヴィクトリア夫人が進み出る。
「姿を飾り、王弟殿下と踊れば、皆があなたを認めるとお思い?」
夫人の後ろには、魔性の歌姫の告発に名を連ねた貴族たちが並んでいた。
高座では、国王陛下と王宮魔術審理院の長が、静かにこちらを見ている。
ヴィクトリア夫人は広間全体へ聞かせるように、声を張った。
「その身体で王宮の中心に立ち、人を惑わす歌を披露するおつもりかしら」
私はクラウス殿下の手を離し、自分の足で一歩前へ出た。
「はい」
胸の前へ手を置き、息を吸う。
「この身体で生きてきた、私の声ですから」




