第39話 「私も耐えたのだから」という呪い
ヴィクトリア夫人が指定したのは、ラザフォード侯爵家の古い肖像画室だった。
私はアイリス様を記録係として伴い、扉の外にはレオン様と王室監査官に待ってもらった。
一人で来ないなら会わないと言われるかと思ったが、ヴィクトリア夫人は何も言わず、私たちを中へ通した。
壁には、歴代当主とその家族の肖像画が並んでいる。
その最も奥に、一枚だけ布をかけられた絵があった。
「あなたは、私を生まれながらの怪物だと思っているのでしょうね」
ヴィクトリア夫人は、こちらを見ないまま布を引いた。
現れたのは、十六、七歳ほどの少女の肖像だった。
今よりもふっくらとした頬。柔らかな腕。大きく口を開け、画家の方へ笑いかけている。
「……夫人、ですか」
「ええ。社交界へ出る前の私です」
夫人は、絵の中の自分を嫌悪するように見上げた。
「初めての夜会で、私は笑われました。太い腕。大きすぎる笑い声。皿の菓子を取った、はしたない娘。縁談は三つ断られ、母は私を地下の部屋へ閉じ込めた」
食事を減らされ、コルセットを締め上げられ、笑うたびに扇で口元を叩かれた。
一年後、彼女は細く、白く、静かな令嬢として社交界へ戻った。
誰もが美しいと褒め、ラザフォード侯爵家から縁談が届いた。
「私は耐えました。血を吐いても、倒れても、求められる形になった。そうして今の地位を手に入れたのです」
夫人は私を振り返った。
その瞳にあるのは誇りではなく、自分が受けた痛みを無駄にしたくないという、凍りついた執着だった。
「それなのに、あなたは何も削らず、歌と食事で人を集め、王弟殿下の隣へ立とうとしている。そんなことが許されれば、私の耐えた年月は何だったのです?」
「夫人が傷つけられたことは、間違っています」
私が答えると、夫人の眉が微かに動いた。
「閉じ込められるべきではなかった。食べることも、笑うことも、恥じる必要はなかった。夫人が耐えた痛みは、本物です」
「ならば、分かるでしょう」
「いいえ」
私は首を振った。
「あなたが耐えた痛みを、次の誰かに渡してはいけません」
部屋の空気が、凍ったように静まる。
「マリアベル様が倒れるまで食事を禁じたことも、ビアンカ様の家の借金を使って従わせたことも、私へ禁制の香を使ったことも。夫人が傷ついた過去では、正しいことになりません」
ヴィクトリア夫人の顔から、初めて優雅な微笑みが消えた。
「証拠があるとでも?」
「集めています」
「歌えもしないあなたが、何を言っても同じです。人は美しいものの言葉しか聞かない」
夫人は肖像画へ手を伸ばし、少女の笑顔を爪で引っ掻いた。
「最後の機会をあげましょう。大舞踏会で月夜派の過ちを認め、私の指導に従いなさい。あなた一人だけは、例外として私の隣に置いてあげます」
それは救いではない。
檻の中で、他の者を見下ろす席を与えるという誘いだった。
「お断りいたします」
私は迷わず答えた。
「私が欲しいのは、誰かを追い出して座る特別席ではありません。誰もが、自分を嫌わずに食事のできる席です」
「ならば、大舞踏会で証明なさい」
ヴィクトリア夫人は再び笑った。
「その身体と、失った声で。社交界があなたの言葉を聞くかどうか」
私は一礼し、肖像画室を後にした。
扉を閉める直前、もう一度だけ絵の中の少女を見た。
あの笑顔を殺した人々と同じことを、私は繰り返さない。




