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第38話 愛されることを、逃げる理由にしたくありません

大舞踏会まで、あと三日。


王宮魔術審理院から、ユリウス様の鑑定結果を認める仮決定が届いた。


天響の声に、他者の意思を支配する働きはない。


ただし、実際に公の場で歌った際の影響を確認するため、最終判断は大舞踏会の後に行う。


歌うかどうかは、私の意思に委ねられた。


声はまだ戻っていない。


それでも、強制ではなく選択として舞台へ立てることに、私は少し安堵していた。


その日の夕暮れ。


クラウス殿下は、温室へ一通の書状を持ってきた。


「王宮大舞踏会において、月夜の記録帳に記された証言を聞く時間が正式に認められた」


「本当ですか?」


「本人が公開に同意した箇所のみ。虚偽告発と沈黙香については、王室監査官も立ち会う」


月夜の晩餐会で守ってきた言葉が、ようやく王宮に席を与えられる。


胸が熱くなり、私は深く頭を下げた。


「ありがとうございます、殿下」


「礼はまだ早い」


顔を上げると、殿下はいつになく緊張した表情で立っていた。


国政の場でも揺らがない方が、何かを言いかけては、言葉を選んでいる。


「リリアン。私は君に、誤解のない形で伝えておきたい」


殿下は私の正面へ立った。


「これは後援者としての同情でも、君の声に救われた恩でもない」


青い瞳が、逃げ道を塞ぐのではなく、逃げても追わないと告げるように私を見つめている。


「私は、君を愛している」


息が止まった。


何度も、もしかしたらと思った。


手の甲への口づけ。隣に立つという言葉。声がなくても食事に来るという約束。


それでも、自分が愛されるはずはないと、心のどこかで否定し続けていた。


「君の返事を、今すぐ求めるつもりはない。大舞踏会の前に、君を縛る言葉にもしたくない」


殿下はそう言い、ほんの少しだけ寂しそうに笑った。


「ただ、私の気持ちまで、君の恐れの中で偽物にしないでほしい」


胸が痛んだ。


私は、殿下の思いを疑うことで、自分が傷つくのを避けようとしていた。


どうせ声だけだと決めつければ、いつか捨てられても、最初から分かっていたと言えるから。


それは、私を見なかったエドガー様と同じように、私も殿下を見ず、自分の恐れだけを見ているということではないだろうか。


「……少しだけ、お時間をください」


「もちろんだ」


「でも、逃げるためではありません」


私は震える手を伸ばし、殿下の上着の袖をそっと掴んだ。


「愛されることを、怖いからという理由で退けたくないのです。殿下のお気持ちも、私自身の気持ちも、きちんと見たいと思います」


クラウス殿下は私の手へ自分の手を重ねた。


強く握らず、ただ温もりだけを伝える触れ方だった。


その夜、殿下が帰った後に、一通の招待状が届いた。


差出人は、ヴィクトリア・ラザフォード侯爵夫人。


『大舞踏会の前に、女同士で一度、お話しいたしましょう』


以前の私なら、罠だと知りながら一人で向かったかもしれない。


私は招待状の裏へ返事を書いた。


『お伺いいたします。ただし、私の記録係と護衛を同席させていただきます』

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