第37話 王弟殿下も、値踏みされていました
仮縫いを終えた日の夜、クラウス殿下が温室を訪れた。
私はまだ完成前のドレス姿で、刺繍の位置を確かめていた。
扉の前で足を止めた殿下は、珍しく、すぐに言葉を発しなかった。
「……どこか、おかしいでしょうか」
不安になって尋ねると、殿下はゆっくりと首を振った。
「いや。見惚れていた」
あまりに真っ直ぐな言葉に、頬が一気に熱くなる。
「そのドレスは、君を隠さないのだな」
「はい。私も、隠れないと決めましたから」
クラウス殿下はわずかに目を細めた。
嬉しそうにも、どこか寂しそうにも見える表情だった。
着替えを終えた後、私たちは月の見える席へ並んで座った。
殿下はしばらく黙っていたが、やがて胸元の王家の紋章へ手を触れた。
「私は昔から、クラウスという人間より先に、この紋章を見られてきた」
王弟殿下として生まれ、国を支える宰相格となった方。
誰より強く、冷静で、隙がない。
私も最初は、そうとしか見ていなかった。
「兄が病で亡くなったのは、私が十七の時だった」
殿下の声が、少しだけ低くなる。
「あの日、私は国境から届いた緊急書類を選び、兄の見舞いを翌朝に延ばした。兄は、その夜に息を引き取った」
「殿下……」
「私がそばにいたところで、病を治せたわけではない。それでも、最後に呼ばれた弟ではなく、役目を選んだ。それ以来、私は国の役に立つことでしか、生き残った意味を作れなくなった」
氷の王弟という名は、冷酷だからつけられたのだと思っていた。
けれどその氷は、もう誰も失望させないよう、自分の感情を凍らせて作った鎧だったのかもしれない。
「縁談も同じだ。相手が見ているのは王家とのつながりか、私が持つ権限だった。私は人を幸せにする夫ではなく、家を栄えさせる役目として値踏みされた」
殿下は、温室の灯りへ目を向けた。
「初めてここへ来た夜、君は私が王弟だからと歌わなかった。忘れ物を届けた私に、夜食を食べたかと尋ね、疲れているなら黙って座っていてよいと言った」
私は思い出した。
泣き疲れ、寝衣のまま厨房にいた夜。
殿下をもてなす余裕などなく、ただ、ひどく疲れた顔をしていることだけが気になった。
「君は、私に何ができるかではなく、私が何を必要としているかを見た」
クラウス殿下の手が、椅子の上で私の手の近くへ置かれる。
触れはしない。
選ぶ余地を残して、待ってくださっている。
私は自分から、殿下の指へそっと指先を重ねた。
「大舞踏会で、私と踊ってくださるか」
「歌えなくても、ですか」
「君は歌うためだけに舞踏会へ行くのではないだろう」
「……はい」
「ならば、声が戻っても戻らなくても、最初の一曲を私にくれ」
私は殿下の手を、今度はしっかりと握った。
「喜んで」
歌えなくても交わされた約束が、声よりも確かに、私の胸へ残った。




