第34話 今度は私たちが、あなたの声になります
温室の扉を開けると、マリアベル様が真っ先に私の前へ進み出た。
その手には、蓋つきの小さな鍋が抱えられている。
「昨日のお料理を、私たちで温め直しました」
「皆様……どうして」
「晩餐会へ来たのです。歌を聞きにではありません」
マリアベル様は泣きそうな顔で、それでもはっきりと言った。
「私が初めてこちらへ来た時、リリアン様は歌う前に、私へ温かいスープをくださいました。食べるまで急かさず、話すまで待ってくださった。私を救ったのは、歌だけではありません」
アイリス様が、月夜の記録帳を胸に抱いて続いた。
「私には、暗い端の席を用意してくださいました。顔を隠す化粧をすぐに落とせとも、お話しなさいとも言わずに。……私が自分で顔を上げられるまで、待ってくださったのです」
「私は、この肩を隠さなくてよいドレスを選んでいただきました」
カミラ様は、広い肩を誇るように背筋を伸ばした。
「歌がなくても、あの言葉がなくなるわけではありません」
一人ずつ、私の知らなかったところで受け取っていたものを話してくれる。
私はただ、相手が少しでも安心できるようにと考え、手を動かしていただけだった。
それを彼女たちは覚え、自分の言葉で返してくれている。
最後に、ビアンカ様が一歩前へ出た。
彼女はまだ、他の令嬢たちと同じ輪の中には入っていない。
それでも逃げず、両手で一枚の紙を差し出した。
「私がヴィクトリア夫人から受け取った、メルローズ家の債務証書の写しです。婚姻を拒めば家族を破滅させると告げられた日時と、居合わせた使用人の名も書きました」
「ビアンカ様、それを公にすれば……」
「家族まで社交界を追われるかもしれません。ですが、黙ったまま誰かの隣で笑う方が、もう怖いのです」
ビアンカ様は震えていた。
それでも、差し出した紙を引っ込めなかった。
「許されたいとは申しません。ただ、私も自分の声で、本当のことを話します」
私はその紙を受け取り、アイリス様へ視線を向けた。
彼女は頷くと、月夜の記録帳をテーブルに置いた。
「ここに書かれた言葉は、これまで誰にも見せませんでした。ですが、大舞踏会で証言したいと申し出た方が、二十七人いらっしゃいます」
記録帳のページには、公開を許す印として、小さな月の印が押されていた。
食事を禁じられた者。
笑い声を矯正された者。
家の利益のため、望まぬ婚姻を強いられた者。
傷の形は違っても、皆、自分で選び、自分の言葉を取り戻そうとしている。
「今度は、私たちがリリアン様の声になります」
マリアベル様が、私の手を握った。
その言葉を聞いた瞬間、涙が溢れた。
けれど今度は、声がないことを恥じる涙ではなかった。
「……大舞踏会へ行きます」
私は月夜の記録帳へ手を置いた。
「歌えるかどうかは、まだ分かりません。それでも、皆様がご自分の言葉を届けるための席を、私が用意します」
温室の外で話を聞いていたクラウス殿下が、静かに扉を開いた。
「ならば王宮に、その席を作ろう」
月夜の記録帳は、私の歌に代わる武器ではない。
歌がなくても消えなかった、一人一人の意思そのものだった。




