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第29話 世界一美しい歌声の正体

エドガー様との予期せぬ再会と、クラウス殿下による鮮やかな介入から数日後。

フォンドール家の客間は、山のように積まれた古びた文献と羊皮紙の束で占拠されていた。


「ユリウス様。いくらなんでも、少し根を詰めすぎでは……」


私が淹れたての香草茶をテーブルのわずかな隙間にそっと置くと、書類の山に埋もれていた宮廷魔導師は、羽ペンを走らせたまま短く鼻を鳴らした。


「魔導院の地下書庫から持ち出せるだけの記録を漁ってきた。ヴィクトリア・ラザフォードが『魔性の歌姫』などという三流小説のような噂をバラ撒き始めた以上、悠長に構えている暇はない」


ユリウス様はバサリと分厚い本を閉じ、ようやく私の方へと顔を向けた。

驚いたことに、徹夜で文献を読み漁っているはずの彼の顔色は、以前よりもずっと血色が良く、目の下の酷い隈も薄くなっていた。私の歌で「忘れても愛は消えない」と思い出せたことで、極度の不眠症が改善に向かっているのだろう。


「……それで、結論から言おう。君のその『天響の声』の正体が分かった」


ユリウス様は、一枚の古い羊皮紙を私の前に滑らせた。

そこには、古代のルミナリア王国で使われていた、見たこともない複雑な魔術文字がびっしりと書き込まれていた。


「これは、魔性でも、呪いでもない。建国以前の神話の時代から存在するとされる『古代の祝福』だ」

「古代の、祝福……?」

「ああ。特定の血脈や魔力量に依存して発現するものではない。極めて稀な『心の性質』にのみ宿る奇跡の一種だと言われている」


彼は香草茶のカップを手に取り、一口飲んでから言葉を継いだ。


「他者の痛みに敏感で、誰かを慰めたい、救いたいと純粋に願う心。己の利益や保身を完全に度外視した祈りの波長が、世界の魔力と共鳴した時にのみ発現する。……つまり、君がどれほど理不尽に虐げられ、傷つきながらも、他者への優しさを失わなかったからこそ宿った力だ」


その言葉に、私は思わず自分の両手を見つめた。

私の体型を笑われ、価値がないと蔑まれてきた日々。それでも、マリアベル様や令嬢たちの涙を見過ごすことができず、ただ寄り添いたいと願って歌ったあの日々が、この力を生み出したというのだろうか。


「だからこそ、君の歌には『洗脳』のような強制力は一切存在しない」


ユリウス様のその一言は、私の中にあった僅かな不安を完全に拭い去ってくれた。


「洗脳とは、術者の意思を強制的に対象の脳に植え付けることだ。だが、君の歌は違う。聞いた者の魂の奥底にある扉を叩き、その人間が『押し殺していた本音』を思い出させるだけだ。……その後、泣くか、怒るか、立ち上がるか、あるいは逃げ出すかは、全てその人間の自由意思に委ねられている」


彼は、かつて私が歌った夜のことを思い出すように、フッと穏やかな笑みを浮かべた。


「だから、レオン・ガルディアは泣いた。そして私も、母の記憶を思い出し……自分が恐れていたものの正体を受け入れることができた。君はただ、私たちが自分自身を取り戻すための『鍵』を渡してくれただけだ。行動を支配する魔力とは、波長も術式も根本的に異なる」


私は胸の奥が温かくなるのを感じた。

私の声は、誰かを操るような恐ろしいものではない。天才魔導師である彼が、確かな理屈と証拠を持って、私の存在を肯定してくれたのだ。


「……ありがとうございます、ユリウス様。あなたがそう言ってくださるだけで、私は救われます」

「感謝には及ばん。だが、これで終わったわけではないぞ」


ユリウス様の表情が、再び冷徹な宮廷魔導師のものへと引き締まった。


「私が理解しても、社交界の連中が理解しなければ意味がない。ヴィクトリア派は王宮大舞踏会という最大の舞台で、君を魔女として告発し、社会的に抹殺しようと動いてくるはずだ。……厄介なことに、人間の恐怖や嫉妬は、時に論理を凌駕するからな」


彼はテーブルの上に散らばった文献を手早くまとめ、分厚い束にして叩いた。

その瞳には、かつて私を研究対象としてしか見ていなかった頃の冷たさはなく、知略を尽くして自陣を守り抜くという、圧倒的な自信と覚悟が燃えていた。


「感情論で襲いかかってくる相手には、反論の余地もない証拠を突きつけるしかない。王宮魔導院の保守派共ごと、私がまとめて相手をしてやる」


彼は立ち上がり、私を見下ろして不敵に笑った。


「君の声を魔性と呼ぶ者が出る。だが、潰せる理屈はある」

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