第27話 社交界が二つに割れました
ビアンカ様が深夜に訪ねてきてから、数日が過ぎた。
フォンドール家の温室で開かれる『月夜の晩餐会』は、以前にも増して賑わいを見せていた。
「皆様、今日は厨房が腕によりをかけて、果実のたっぷり入った焼き菓子を作ってくれましたのよ」
私が焼き立てのお菓子が乗ったトレイを運ぶと、テーブルを囲んでいた令嬢たちから、弾むような歓声が上がった。
彼女たちの装いは、以前のように「細く見えること」や「肌の白さを際立たせること」を最優先にした画一的なものではなくなっていた。
厚化粧で顔を隠していたアイリス様は、ご自身のそばかすを無理に隠すのをやめ、瞳の色によく似合う明るい若草色のドレスを着ていた。背が高く肩幅の広いカミラ様は、無理に背中を丸めるのをやめ、その立派な体格が美しく映える、深い蒼のドレスを堂々と着こなしている。
そしてマリアベル様は、美味しそうにお菓子を頬張りながら、隣の令嬢と声を上げて笑い合っていた。
食事を楽しみ、自分に似合う装いを選び、話したいことを自由に話す。
この温室には、かつての彼女たちを縛り付けていた、あの息の詰まるような重苦しい沈黙はどこにもなかった。
一方で、社交界の空気は、かつてないほどの緊張と対立に包まれていた。
私たちのように、食事や装い、会話の自由を重んじ、ありのままの自分を肯定しようとする者たちは、いつしか『月夜派』と呼ばれるようになっていた。
それに対し、ヴィクトリア・ラザフォード侯爵夫人を中心とする『ヴィクトリア派』の貴族たちは、私たちの振る舞いを激しく非難し始めた。
『あのようなはしたない食事風景など、貴族の令嬢としてあるまじき醜態だ』
『流行のドレスも着こなせず、欲望のままに振る舞うなど、伝統と秩序に対する反逆行為に他ならない』
彼らは「細く、白く、静かに」という従来の美の基準を絶対の正義とし、そこから外れようとする月夜派を、社交界から徹底的に排除しようと躍起になっていた。
王弟殿下の後援がついているため、直接的な手出しこそできないものの、茶会や夜会の場での冷ややかな視線や、陰湿な嫌がらせは日に日に増しているという。
そして、その非難の矛先は、必然的に月夜派の中心である私へと向かっていた。
(……ビアンカ様の言っていた通りだわ)
私は温室の片隅で、新しく届いた手紙の束を確認しながら、小さくため息をついた。
最近、社交界に奇妙で恐ろしい噂が流れ始めているのだ。
『リリアン・フォンドールの歌声には、男たちを狂わせ、女たちを堕落させる魔の力が宿っている』
『彼女はあの声で、氷の王弟殿下や無敗の騎士団長、果ては天才魔導師の思考までも洗脳し、己の傀儡にしてしまったのだ』
魔性の歌姫。
ヴィクトリア夫人が仕掛けたその悪意ある噂は、乾いた枯れ草に火が燃え広がるような速さで、王都中を侵食し始めていた。
私の天響の声は、聞いた者の本音を思い出させるだけで、他人を支配する力などない。
しかし、伝統を重んじるヴィクトリア派の貴族たちにとって、堅物で知られる男性陣が次々と私の味方になり、大人しかった令嬢たちが突然自己主張を始めたという事実は、「魔法で洗脳された」とでも考えなければ、納得のいかない異常事態なのだろう。
もしこのまま、私が危険な『魔性』であるという噂が既成事実として定着してしまえば。
ユリウス様がどれほど庇ってくださったとしても、私は本当に王宮の地下に封印され、二度と声を出すことを許されなくなってしまうかもしれない。
見えない真綿で首を絞められるような恐怖に、私はそっと自分の喉元に触れた。
ビアンカ様が密告してくれた、声の共鳴を鈍らせるという『沈黙香』の存在も、不気味な影を落としている。
「……リリアン」
温室の入り口から、低く落ち着いた声が呼ばれた。
振り返ると、漆黒の軍服に身を包んだクラウス殿下が立っていた。その後ろには、いつものように護衛のレオン様も控えている。
「殿下。本日は、どのようなご用件でしょうか」
「……あまり、良い報せではない。だが、君には真っ先に伝えておくべきだと思ってな」
クラウス殿下の表情は、いつになく厳しかった。
彼はゆっくりと私の前に歩み寄り、周囲で楽しげに談笑している令嬢たちに聞こえないよう、声を落として言った。
「来月、王宮にて大舞踏会が開催されることが正式に決定した。……国王陛下ご臨席の、建国を祝う最も格式高い公式行事だ」
「大舞踏会……」
王宮大舞踏会。
それは、少人数の茶会や私的な夜会とは次元が違う、このルミナリア王国の社交界における最大の晴れ舞台だ。
「ヴィクトリア夫人の派閥は、すでにその日を狙って動き始めている。おそらく彼らは、その公の場で、君と君の『月夜派』を完全に叩き潰すつもりだろう」
殿下の言葉に、私は息を呑んだ。
社交界が二つに割れた今、その最大の舞台でどちらが主導権を握るかによって、今後のルミナリア王国の「美しさの基準」が決定づけられてしまう。
そこは、逃げることなど許されない、両派閥の完全な決戦の場となるのだ。




