第16話 魔導師様、私を封印しようとしないでください
レオン様という強力な『剣』を得て、月夜の晩餐会が少しばかりの平穏を取り戻していた、ある日の午後。
フォンドール家の客間に、再びあの大層不機嫌そうな天才魔導師が姿を現した。
「……ずいぶんと血色が良くなられましたね、ユリウス様」
私がソファに座る彼に温かい香草茶を差し出しながら言うと、ユリウス様はチッと短く舌打ちをした。
相変わらず目つきは鋭く、言葉には毒が混じっているが、以前のような「いつ倒れてもおかしくない亡霊」のような青白さと、目の下の酷い隈はいくぶんか薄れているようだった。
「余計な世話だ。君のあの得体の知れない声のおかげで、少しばかり睡眠の質が改善しただけのこと。……だが、それも今日で終わりになるかもしれないな」
「終わり、ですか?」
ユリウス様は香草茶には口をつけず、ドンッと重々しい音を立てて、分厚い羊皮紙の束をテーブルの上に置いた。
「この数日、君の『天響の声』とやらに関する文献と、先日採取した魔力波長の測定記録を徹底的に解析した。結果は、やはり私の危惧した通りだ」
彼は冷徹な紫の瞳で私を真っ直ぐに射抜き、淡々と事実だけを告げるような口調で言った。
「君の声は、聞いた者の精神の最深部に直接干渉し、その人間が隠している本音を強制的に引きずり出す。……これを『洗脳』と呼ばずして何と呼ぶ? 現に、あの堅物のレオン・ガルディアでさえ、君の歌を聴いた翌日にはコロリと態度を変え、君の犬に成り下がったそうじゃないか」
「犬だなんて、そんな……! レオン様はただ、私の晩餐会の理念を理解してくださっただけで……」
「そう思い込ませるのが、洗脳の恐ろしいところだと言っているんだ」
ユリウス様の言葉は、どこまでも論理的で、冷え切っていた。
彼はテーブルの上の書類を指先で叩いた。
「王宮魔導院の保守派の連中も、君の声を危険視し始めている。ラザフォード侯爵家あたりが手を回したのかもしれんがね。……そこでだ。君の声を王宮の特別管理下に置き、場合によっては『封印指定』とする法案を、私が提出する」
「封印……」
私は息を呑んだ。
封印指定。それは、国家の存亡を脅かすほどの危険な魔導具や呪術にのみ適用される、最も厳しい処置だ。それを人である私に適用するということは、一生涯、王宮の地下牢のような場所から一歩も出られず、二度と声を出すことを禁じられるということに等しい。
「……ユリウス様。あなたは、本当に私の声を『悪しき力』だとお思いなのですか?」
私は震える手を膝の上で固く握りしめ、彼を見つめた。
先日、彼が私の歌を聴いて深い眠りに落ちた時、その寝顔はとても穏やかで、ただ純粋な安らぎだけがあったはずだ。それが洗脳などではないことくらい、天才である彼自身が一番よく分かっているはずなのに。
「私がどう思うかなど関係ない。万が一の危険性がある以上、管理し、封印するのが宮廷魔導師としての私の義務だ。……諦めろ。君自身のためでもある。封印を受け入れれば、少なくとも危害を加えられることはなくなる」
彼なりの、歪んだ優しさなのかもしれない。
私の力がこれ以上目立てば、いずれ本当に命を狙われる。だから、王宮という檻に閉じ込めてしまおうと。
私の感情や意思など完全に無視した、あまりにも合理的な残酷さ。
「お断りします」
私はゆっくりと立ち上がり、彼を見下ろした。
「私は、声だけの存在ではありません」
「……なんだと?」
「私の歌は、ただ本音を思い出させるだけ。その後にどう行動するかは、彼ら自身の意思です。レオン様も、そして……先日眠りに落ちたユリウス様ご自身も。私の声に操られたわけではないはずです」
私の価値を低く見積もり、体型を笑われることには慣れている。
けれど、私という人間そのものを『危険な声を持つモノ』として扱い、閉じ込めようとするのなら、私は絶対に屈しない。
私は、自分の足で歩き、自分の意思で誰かを救うと決めたのだから。
私の反論を聞いたユリウス様は、不快そうに目を細め、やがてフッと嘲るような笑みを漏らした。
「……面白い。ただの鈍感な令嬢かと思っていたが、随分と噛みついてくるじゃないか」
彼はソファから立ち上がり、私に顔を近づけ、挑戦的な視線をぶつけてきた。
「ならば、君が人を支配していないと証明してみせろ」




