書けないことが、体のサインだった
書けない。そんな自分にパニック
おはようございます。雨日です。
高齢の祖母が亡くなり、今週は慌ただしく過ぎていった。
容体が悪くなってから葬式までの四日間は、何が何だか分からないまま、ただ翻弄されていた気がする。
葬式が終わった翌日。
いつもの生活に戻ろうとした。
朝四時に起きて、パソコンを開き、連載中の小説を書く。
――遅い。
驚くほど、指が進まなかった。
いつもなら取り憑かれたみたいに書けるのに、その日は少し書いては休み、休んではまた書く、その繰り返しだった。
ようやく一話を書き上げたものの、読み返してみてもぱっとしない。
何度も改稿を重ねて、ようやく形になった頃には、もう七時になっていた。
そのあと家事をして、仕事に行った。
けれど、やたらとケアレスミスをする。
――おかしいな。
夜、二十一時に帰宅してから、翌日用のブログを書こうとした。
けれど、パソコンの前に座ったまま、指が止まる。
――何も書けない。
ブログを書き始めて二十年。
そんなことは初めてだった。
いつもは他愛のないことでも、何かしら書ける。
雨日は月に数本、企業向けの案件記事も書いている。
その日はそれを書かなければいけなかったのに、まったく指が動かなかった。
案件記事はそれなりに労力がいる。
だからせめて日常のことを書こう、と思っても、やっぱり書けない。
「どうしよう。書けない」
狼狽えながら家族に話した。
普段から、自分は書きすぎなくらい書けるほうだと思っていた。
今まで休まず更新してきたのに、まさか書けなくなる日が来るなんて思っていなかった。
こんなことは初めてで、動揺が止まらなかった。
そのとき、ふと気づいた。
――あれ? もしかして、疲れているのかな。
実は雨日は、疲労を感じにくいタイプだ。
肩こりも腰痛もない。
いや、実際は凝っているらしいのだけれど、自分では分からない。
だから数時間ぶっ通しで、小説や原稿を書いてしまう。
体の感覚では疲れを自覚しにくい。
でも、「書けない」ということが、雨日にとっては体からのサインだったのかもしれない。
その日は二十一時に寝た。
すると翌朝には体調がかなり戻っていて、小説もすいすい進んだ。
それにしても、人が亡くなると、普段は当たり前だった日常が急に遠ざかる。
仕事が忙しいとか。
小説が進まないとか。
PVがないとか。
そんなことを考えていられるのは、実は幸せなことなのだと思った。
この一週間は、ブログの更新と連載を切らさないことを優先していたので、公募用の原稿には触れられていない。
少し落ち着いてきたし、明後日から頑張ろう。
――そう思っていたのに。
県外で暮らす娘が言った。
「会わせたい人がいるんだ。
今週、自宅に連れて行ってもいい?」
え。
それって、ひょっとして。
結婚、というやつ?
今週は葬式があったばかりなのに。
今度は娘の結婚話まで出てきたら、雨日の生活にもいろいろ降りかかってくる。
あのさ。
公募用の原稿があるから、しばらく待ってくれない?
――そんなこと、とても言えない。
人生、書きたいときに限って、別の出来事を連れてくるらしい。




