第40話 蓮と宇軍大将
木漏れ日の眩しさで目を覚ました蓮は枕元に置かれた竹の水筒に気付き、鞭刀『玉簾』へと手を伸ばした。
「ごめんね。起こしちゃった?」
「…瑪瑙さん」
「お水どうぞ。喉、乾いてるでしょ」
素直に水筒を受け取り、喉が鳴る音も気にせずに流し込んだ。
しかし、思ったよりも水筒は傾かず、チラリと宇軍大将を見た蓮の視線を瑪瑙は見逃さなかった。
「君は本当に優しいね」
「二人分あるから全部飲んで良いよ。明日に備えて取っておいても良いけどね」
瑪瑙の指差す方にはもう一人分の水筒が置かれていた。
「どうしてここに?」
「君を追って来たんだよ。流石に今の状態で野盗に襲われると大変でしょ」
渡された干した魚を遠慮がちに受け取った蓮は久々の食事を摂った。
「何故、そんなに気に掛けてくれるんですか?」
「内緒」
口元に人差し指を持っていく仕草は美しさよりも可愛らしさが際立っていた。
「さて、私はこれで去ろうかな。ここからだと人をおぶってなら夕暮れまでには町に着くよ」
こちらを振り向かずに手をひらひらと振りながら、瑪瑙は森の中へ消えて行った。
気合を入れ直し、頬を叩いた蓮は宇軍大将を背負い、町に向かって歩き始めた。
この異世界の地理は把握しているつもりだったが、いざとなると自分が何処に居るのか分からなくなった。
恐らくは江軍の領内だが、確信はなかった。
滴り落ちる汗の鬱陶しさが限界に達した頃に町が見えてきた。
これ以上、宇軍大将を外に寝かせたくはないが、一文無しの蓮が宿に泊まれる筈はない。
女性を背負いながら、キョロキョロと辺りを見回す蓮の姿は非常に目立っており、すれ違う人達からは怪訝な顔をされた。
「あんた、領主様の軍の者かい?」
恰幅の良い男性に話しかけられた蓮は立ち止まり、恐る恐る返事をした。
「うちに泊まっていけよ」
「へっ?」
間抜けな声を漏らす蓮を豪快に笑い飛ばした店主は宿屋へと蓮を招き入れた。
用意された部屋の寝台に宇軍大将を寝かし、店主に礼を言っていると金は要らないと予め断られた。
領主である一蓮には世話になっており、その軍の人間から金は取れないという事だったが、大見得を切って軍を抜けた蓮にとっては情けない話この上なかった。
二日後、目を覚ました宇軍大将に駆け寄った蓮は微かな希望に賭け、献身的に看病を行った。
その結果、宇軍大将は食事を食べられるようになった。
それは生きたいという訴えだと捉え、懺悔の気持ちも込めて寄り添った。
戦から十日が経ち、歩けるまでに回復した宇軍大将は顔色も良く、後遺症も見受けられなかった。
「小僧、似合うか?」
宿屋の手伝いから戻った蓮の背後から傲慢さの残る声がかけられ、振り向くと信じられない光景が目に飛び込んできた。
「…その格好は?」
これまで着ていた服ではなく、まるで町娘のような服装をした宇軍大将が立っていた。
「妾が身につけていた装飾品は全て売り払った。これで宿代も払えるし、食事にも困らんだろう」
呆然とする蓮を通り過ぎ、椅子に腰掛けて足を組む姿は服装が変わっても悠然としている。
「先の戦で妾は死んだ。これから太守としては生きていけぬが、小僧と過ごして昔を思い出した」
その表情は最悪だった第一印象を覆す程の破壊力があった。
「妾の名は一諾という。この名を小僧に授けよう」
名前を教える、呼ばせるという行為は彼女達一族にとって神聖なものであり、その名を呼べるという事は誉れ高い事なのだ。
蓮はその説明を受けていない為、遠慮なく名前を受け取り、密かに言い慣れない発音の練習をした。
「それにしても思い切りましたね。今更、庶民の生き方が出来ますか?」
「妾も一蓮も幼い頃は庶民として育てられた。昔に戻るだけのこと」
寂しさを含む儚げな表情は見る者の心を奪う魔力があると錯覚してしまう程だった。
頭を振り、煩悩を消し去った後、蓮は意を決して言葉を発した。
それは懇願でも提案でもなく、命令だった。
「一蓮さんの元へ行きましょう」
蓮はこの異世界に居続けられず、今の一諾に行く当てはない。
護衛も居ない状況で捨て置く訳にはいかなかった。
「小僧は無責任だな」
「…はい。それでも僕は誰も見捨てたくないし、死んでほしくない。それが実現できるなら…!」
蓮が一人興奮する中、部屋の扉が勢いよく開かれ、二人の視線はそちらに注がれた。
間抜け面を曝す蓮をしてやったり顔で迎えた人物。それは…。
「迎えに来たかな」




