第32話 指南
握っていた手を離した椿姫は本来の目的を達成する為に行動を開始した。
「そうそう。何をそんなに怖がっているのかしら?」
蓮の眉がピクリと動く。
そんな細かな反応を見逃さず、椿姫は言葉を続けた。
「当てましょうか。そうね。一蓮達に好かれるのが怖い。…ちょっと違うわね。好きになった人を失う事が怖い。当たり?」
追い討ちをかけるように椿姫は蓮の弱みを攻め立てた。
今は"澪標"を使用している訳では無い。
眼に頼らずとも、凰花 蓮という人物の弱さは見えていた。
椿姫と会う時、蓮は必ず一人だった。それも独断と思える行動ばかりだ。
椿姫も蓮と会う時は一人だったが、阿軍からの支援を受け、決して独断ではない。
そして、蓮が一蓮と接している時の余所余所しさも感じていた。
「貴方の強さは本物ではない。いい加減、親離れすることね。貴方の母親は大層、甘やかしてくれたのでしょう」
この言葉を受け、蓮の雰囲気が変わった。
凰花さくらという母親が蓮にとっての鍵だと確信した椿姫は感情を揺らし、鳳凰眼を解放・開眼させるつもりだった。
「僕の事は良いですが、さくらさんの事を悪く言うのは止めて下さい」
「私のやっている事はさっきの貴方と何が違うのかしら?人様の家の事情に口を出すということは、こういうことよ。初めに身を持って知っておくべきだわ。大好きなお母さんから習わなかったの?」
憎たらしい程に歪んだ笑みを向ける椿姫の前で拳を握り締める蓮は、心の奥底で何かが騒めく嫌な感覚に襲われた。
◇
蓮と椿姫が見える位置に一つの影があった。
彼らとの距離は遠く、話し声は聞こえないが、蓮の雰囲気が変わった事で椿姫が鳳凰眼を強引に解放・開眼させようとしているのだと悟った。
「早過ぎるかな?」
――妥当だろゥ。坊やの手に負えるかは知らないけどォ。
「受け入れる事が出来るとは思えないなぁ」
――いざとなれば、アタシが面倒見るよォ
黒ローブの女性はぶつぶつと呟きながらフードを脱ぎ、いつでも飛び出せる体勢で二人を見守り続けた。
◇
別の場所では大樹の太い枝に座り、椿姫と蓮を眺める女性が居た。
「ちょっと強引だね。君だってこんな開眼の仕方はしなかったでしょ」
瑪瑙は蓮と話した時の事を思い出していた。
今の蓮に"怒り"をコントロール出来るとは思えない。
本当の自分と向き合った事のない蓮は本当の怒りを知らないのだ。
◇
観客がいる事は知らずに二人は対峙していたが、糸が切れたように蓮は身体を丸めた。
「…よくも。よくも、さくらさんをッ!」
顔を上げた蓮が勢いよく椿姫へ飛びかかる。
「ふふん。さぁ、私はここよ。よく狙って殺すことね」
貫手で攻撃を仕掛ける蓮と絶対防御を用いる椿姫の攻防は誰が見ても椿姫が優位だった。
冷静さを欠いている蓮の攻撃は"型"にすらなっていない単調な突きであり、いとも簡単に躱す事が出来る。
交差するように蓮の胸に手を置いた椿姫はそのまま蓮の軸足を刈り取った。
蓮の視界が回り、気付くと空を仰いでいた。
時間差で訪れる背中の痛み。
倒されたのだと気付くまでに時間がかかった。
痛みで気持ちを落ち着かせた蓮は自分が何に対して怒っているのか分からない事に気付いた。
もしかしたら、自分は怒っていないのかもしれないと疑心暗鬼になりながらも自問自答を繰り返す。
「貴方を突き動かす感情を知り、向き合い、受け入れなければ鳳凰眼は会得出来ないわよ!」
目を凝らすと蓮の右眼は紅く染まった黒目が怪しげな模様へと変化していた。
しかし、左眼は紅く染まってはいるが、模様が浮かんだり、戻ったりと点滅しているように見える。
これは抵抗である。
誰の能力が作用しているのか探る為に椿姫は"澪標"を発動したが、何度試しても蓮の中を覗く事はできなかった。
攻撃をあしらいながらも声をかけ続ける椿姫の腕を掴んだ蓮は無理矢理な体勢から型を繰り出した。
地面に押し倒した椿姫の上に跨り、手刀を喉に向けて振り下ろした時、どこからか声が聞こえた。
「蓮ッ!」
間違いなく女性の声だ。
初めて聞くような、どこか懐かしいような、そんな声を聞き、蓮の瞳に光が戻った。
手刀は椿姫の喉元で止められており、その手は小刻みに震えている。
「そのまま感情と向き合いなさい」
必死に右腕を抑え込む蓮は心の中で自分自身を見つめ直した。
今、自分は怒っている。
しかし、何に対して怒っているのか分からない。
恩人であるさくらを貶されたからか、それとも別の理由か。
その時、何かが弾ける感覚が身体を突き抜けた。
手刀を解いた手で胸元から顔を覗かせる琥珀色の首飾りを掴む。
真下からジッと蓮を見ていた椿姫は紅く染まった両眼が確実に模様を描いていく様子を見終えた。
自分の鳳凰眼とは異なる模様。
紅爛鳳凰眼を"開眼"した蓮がそこには立っていた。
本来の目的は達したが、蓮の持つ鳳凰眼の能力が分からない以上、迂闊に動けない。
一歩、二歩と下がって行く蓮の動きに合わせように椿姫は立ち上がった。
ジリッと足の裏と地面が擦れる音さえも聞こえない程に椿姫は目の前の蓮に集中していた。
しかし、蓮は動かない。
そして体が崩れた。
椿姫に抱き抱えられた蓮は瞳を閉じて、規則正しい寝息を立てていた。
「こいつ、寝てる」
なんとも拍子抜けな結末に呆れつつもお互いの無事に安堵したのだった。
◇
咄嗟に声を出してしまった事を後悔しながら、黒ローブの女性はフードを被り直し、その場を後にした。
そして瑪瑙もまた結果に納得したわけではないが自分に出来る事はないと結論付け、その場を離れた。
◇
椿姫の好意で阿軍の城へ運ばれた蓮はまだ目を覚まさない。
「どういう事かしら?」
玉座に座り、足を組む鏡華のいつになく低い声と冷ややかな眼差しを受け、視線を逸らしたくなる気持ちを押し殺しながら見つめ返す。
「私の記憶が確かなら、あの者は江軍の飼い犬ではなかったかしら?」
「そうだ。俺を訪ねてここへ来た。目を覚ましたら帰すつもりだ。しばらくの間、置いてやって欲しい」
「私に何の得があるのかしら?」
「いずれ俺達を助けてくれる存在だ。恩を売っておいて損はない」
以前と言っている事が異なるが堂々とした椿の態度に、心中穏やかではない武将達は心配そうにその背中を見つめていた。
「…いいわ。でも、あの者が危害を加えるようなら、貴方と共に斬り捨てるわよ」
黙って頷いた椿は鏡華に背を向けて蓮の眠る部屋へと歩き出した。
椿が瑠捺の隣を通り過ぎると、瑠捺は鏡華に一礼して椿の右やや後方に並び、速度を合わせた。
「あまり無茶をなさらないで下さい。あの眼は危険です」
椿姫が以前の世界で江軍の兵を大量虐殺した記憶は無いだろうが、瑠捺は何かを察しているようだった。
「見ていたのか。あまり褒められた趣味じゃないな。おやすみ、瑠捺」
「あっ…もうっ!」
椿は蓮の眠る部屋の中へと進み、扉を閉ざした。
やるせない顔の瑠捺は、扉が閉まりきるまで隙間からジッと椿の背中を見つめた。
蓮は凰花さくらという当主の血を得て凰花家の人間になったと言ったが、そんな事が可能なのか。
そんな余所者に凰花流は扱えるのか。
凰花 蓮については謎が多く、椿の理解を超えた存在である事は間違いない。
そして、自分を倒すと宣言した相手を自ら育てろと雛罌粟は言った。
どういう意図があるのか、それも疑問だった。
椿がこの異世界に旅立ってから、どれくらいの時間が経過しているのかは分からない。
当然、学校や自宅がどのように処理されているのかも椿は知らなかった。
「母親の気持ちか。今更、戻っても仕方ないだろ」
忌まわし気に悪態をつく椿は身体の異変に気付いた。
背が縮み、髪が伸び、胸と尻が膨らむ。
これから丸一日、椿は男に戻ることは出来ない。
「この身体の変化は現実世界でも適応されるのか?それとも…」
それは誰も知らない事だった。
現実世界に居る母や祖母が今の自分の姿を見たら自分への対応は変わるのだろうか。
そんな疑問を抱きつつ、椿姫は自室に向うのだった。




