第25話 舌戦
空を走る椿姫は蓮が追いかけて来ない事を確認し、本来の目的である我夏葉と皇帝を探した。
空から見下ろすと皇帝の着ていた豪華な服が目印となっており、すぐに二人を発見できた。
走る二人の先には伊軍の兵士達が待ち構えている。関所を突破した連合軍の先陣は今も伊軍のようだ。
しかし、そこに九条 幾斗と月皓の姿は確認できない。
我夏葉と伊軍の兵士達がぶつかる直前、双方の間に天使が舞い降りた。
「黒翼の天使が来たぞ!」
伊軍の兵士の声は瞬く間に広がり、阿軍の姫である天使が最前線で我夏葉将軍と一騎討ちをするという誤った情報が流された。
「雌犬、遅い」
「ごめんね。我夏葉さん」
椿姫は漸く違和感を感じた。
我夏葉は椿姫と初対面にも関わらず、以前のように接しているのだ。
「我夏葉さん、私を覚えているの?」
そんな日常会話は連合軍の兵士達の声によって掻き消された。
椿姫、我夏葉、幼い皇帝を取り囲む連合軍の将と兵。
様々な服装の者が混じっており、誰もが椿姫と我夏葉の戦いを待ち望んでいるようだった。
椿姫の頬を汗が伝う。この場に落り立つ事は失敗だったと後悔した。
阿軍の椿姫が皇帝軍の我夏葉と仲良くしている光景を見られる事は好ましくない。
かと言って、幼い皇帝を含めて我夏葉を討ち取る訳にもいかない。
連合軍の兵を倒して二人と共に逃げるなど、鏡華の顔に泥を塗る行為も出来ない。
どうすれば良いのか。以前の世界で自分はどのような行動を起こしたのか。鏡華ならどう切り抜けるのか。
そんな様々な疑問を抱えながらも椿姫は大声を張り上げていた。
「我夏葉将軍は私が捕らえる。この場では討ち取らず、身柄は阿軍で預かる!道を開けなさい!」
「……雌犬…?」
何としてもこの局面を切り抜けたい椿姫の意図は我夏葉に伝わらず、悲しい表情が向けられていた。
連合軍の反応は二種類だった。
阿軍と江軍の兵は椿姫の声を耳を傾け、勝者の指示通りにする動きを見せている。
しかし、伊軍と宇軍の兵は聞く耳を持たず、野次が飛び交っていた。
「そいつの後ろに居るのは皇帝だろう!」
「皇帝を殺せ、皇帝を殺せ、皇帝を殺せ」
曖昧な記憶が蘇った。
それは以前にも見た光景だが、以前は黒装束の者達がそう叫んでいた筈だ。
決して、味方である連合軍の兵の口から出る言葉ではなかった。
「何を甘い事を言っているのですか?」
その声はなんとも聞き取りやすく、凜とした声だった。
兵が道を開き、姿を現わしたのは伊軍の勇将、月皓であった。
「月皓…さん」
「光栄だな。私を知っているのか、黒翼の天使」
椿姫の知る月皓はそんな事は言わない。
自信を持ってそう言える筈だった。
しかし、その自信はたった今、本人の手によって打ち砕かれてしまった。
「我夏葉将軍は貴殿に渡します。しかし、その子供はこちらに渡して貰います」
我夏葉は目に光の無い幼い皇帝を庇うように立ち、その手をきつく握り直した。
椿姫は更に二人を隠すように月皓と対峙した。
「こんな子供が皇帝な訳ないでしょ。貴女達は本当に今の皇帝を見た事があるのかしら?」
「前皇帝が亡くなり、旧宮中から追い出されたと聞いています。官僚に抗えないという事は権力を持ち合わせていないという事。即ち、成人していない…と私は踏んでいるのですが?」
「だからと言って、こんな見窄らしい格好をさせるの?例え、成人していないお飾りの皇帝だとしても、些か不遇、不敬過ぎではないかしら」
幼い皇帝は我夏葉の手によって服を脱がされており、上着は土煙で汚れたシャツのような物のみでズボンも所々に穴が空き、とても身分の高い者の格好ではなかった。
椿姫と月皓の口論は続いた。
この場を収める為には鏡華か九条 幾斗の存在が必要だと考え、少しでも時間を稼ぐ為に冷静に対処しているつもりだが、椿姫にも焦りが見え隠れしていた。
「おい、小娘。其奴を妾に寄越せ」
声のする方に目を向けると豪華絢爛な服を着流す女性の姿があった。
初めて見る顔だが、周りの将達の態度を見て王だとすぐに分かった。
「一蓮、あの小僧を此処に」
女性の隣に立っている一蓮も椿姫の知る人物でなかった。
一蓮は気高く、掴みどころのない、我儘な王だ。
他者に命令されて動くような女性ではない。
それが椿姫の印象だった。
短く返事をした一蓮が月皓に並び、そのやる気の無い瞳に椿姫の姿が映った。
「阿の姫よ、そこを退きなさい」
以前の世界で初めて会った時、一蓮は笑顔で椿姫達を罠にはめた。
しかし、今は感情の無い表情でただ命令に従っている。
今のこの世界は椿姫の知らない事が起こり過ぎていた。
漸く、この場に姿を現した鏡華達もどこか心配げな表情だ。しかし、まだ口を挟むつもりはないと見て取れた。
この程度の局面は一人で乗り越えられると買い被られているのだろう。
そう考えると少しやる気が出た。
「お断りするわ。我夏葉将軍もこの汚らしい少年も私が預かる。邪魔するなら…」
右手を腰に回し、篝水仙の柄を掴んだ時、背後から嫌な気配を感じた。
「一蓮さん、その子は皇帝じゃないですよ」
一同の視線が椿姫、我夏葉、幼い皇帝の更に後ろに集まる。
「だって、ほら。僕が倒しちゃったので」
手に持った豪華な帽子と首飾りを掲げた凰花 蓮がそこに居た。
べったりと血が付着した帽子と首飾りを月皓と一蓮の前に放り投げた蓮は椿姫の隣に立ち、腕を組んだ。
「数人に囲まれて逃げていた人が居たので刀を抜きました。殺すつもりはなかったのですが、余りにも弱くて」
スラスラと嘘を並べる蓮は至って冷静で、その表情に疚しさはなかった。
「確かに私達は誰も現皇帝の姿を知らない。しかし前皇帝の所有物であり、代々受け継がれている帽子と首飾りは知っている。その男が持って来た物に相違ないと思うが、皆はどうか?」
ここを好機と捉えた鏡華が椿姫の前に移動しながら月皓、一蓮、江軍大将に問いかけた。
誰からも異論の声は発せられない。
「では、それが答えよ」
目配せをして踵を返した鏡華に続き、我夏葉と幼い皇帝を連行する椿姫を止める者は誰も居なかった。
こうして、この戦において一番の難局は奇しくも椿姫が嫌う人物の助けにより、切り抜ける事が出来たのだった。




