第42話 その瞳の名は
不思議と痛みはなく、ただ意識が遠退くように感じた。
水の中を漂うように流れに身を任せた椿は微睡の中、愉快そうな声を聞いた。
声のする方へ誘われる事に抵抗せずにいると眩い光に包まれた。
「おめでとう!勇者よ、よくぞあの世界を救ってくれた!」
愉快そうな声はあの見知らぬ声だった。
椿が薄らと目を開けるとそこは一面が真っ白な空間だった。異世界に飛ばされる直前に一度立ち寄った場所である。
そこには一人の少女、というには大人びている女性が拍手をしながら立っていた。
「褒美を与えよう!と言いたいところだけど、君には既にプレゼントをあげたよね」
「あ、それ…」
声が出る。久々の感覚に戸惑いながらも椿は声を発した。
「それは女になれる事ですか?」
「そうだよ!気に入ってくれてるよね!」
声を弾ませながら屈託のない笑顔を向ける女性はパンっと手を叩いた。
「さて、凰花 椿くん。君は一つの選択をしないといけない。それは現実世界に戻るか、あの世界に残るか」
椿は無意識のうちに唾を飲み込んでいた。
「勿論、現実世界に戻ったとしても君は女の子になれる」
ニッコリと笑みを深める女性に対して、椿は怪訝な表情だった。
「俺を女にして貴女に何のメリットがあるんです?」
「ボクはそんなに利己的な人間じゃないよ!君の喜ぶ姿が見たかっただけだよ」
「現実世界に戻ったら、あの世界には行けなくなるのですか?」
「そうだよ!二股は良くないからね!」
椿に悩む余地は無かった。
答えはその質問をされる前から既に決まっている。
「俺はあの世界に残る」
「…そっか。君は囚われたままなのか」
とても小さな呟きは椿に届かなかったが、女性の表情に先程までの愉快さが欠片も無い事は明白だった。
「戻ると言ってもね。君死んでるんだ。どうしよっか?」
どうと言われても椿に出来る事はない。
しかし、女性が選択肢を与えたという事は復活の手があるのだと察していた。
「君は随分と優しく育てられたんだね。いつも誰かが手を差し伸べてくれると思ったら大間違いだよ」
椿にそんな奢りはなかった。
両親の優しさに触れられず、曽祖母に全てを与えられた。
そして力は自分の努力で手に入れたと思っている。
「人はこんなにも変わるんだね。その能力も凰花流も全てオレが与えたのに」
何もない世界に突如として太陽が現れた事で椿は椿姫となり、その美しい眼差しを女性に向けている。
「君は自分の出生、家族、それら全てを恨んでいる節があるけど、ウチに言わせれば君は最高に運が良いんだよ。なんたって鳳凰眼に選ばれた人間だからね」
聞き慣れない単語に眉を寄せる。
「そう。憎しみの感情を持ち、過去を司る鳳凰の眼。永遠の暗闇"梦幻鳳凰眼"。それが君の持つ瞳だよ」
椿姫は目の前の女性の瞳が変化する瞬間を目の当たりにした。
それは初めて見た黒目の変化。
自分とは異なる模様を描く黒目から禍々しさは感じられないが、言いようのない安心感と恐怖感があった。
「少しややこしい事になってるけど、君は立派に所有者として鳳凰眼を解放・開眼した。コナタはとっても嬉しいんだよ!でもね、君は禁忌を犯した」
一人称が固定されない女性は無邪気な笑顔に戻り、椿姫に手を伸ばした。
『絶輪』の事だと察した椿姫は身構えたが、その手が椿姫に触れる直前に身体が後ろに引っ張られた。
「…えっ!?」
真っ白な空間に空いた黒い穴から伸びる手。
姿は見えないが、はっきりと声は聞こえた。
「この子は私の物よー。返してもらいますよ、おばあ様」
声から判断するに椿姫の襟首を掴む手の主もまた女性だった。
椿姫は抵抗すら許されず、穴に引きずり込まれた。
黒い穴が塞がり、一人になった女性は満面の笑みを浮かべるのだった。




