第40話 凰花流合気柔術、第一の型、絶輪
白湯の強さは鏡華や海瑠璃の想像を絶していた。
阿軍の人間が把握していたのは白としての実力であり、それは白湯にとってほんの一部に過ぎない。
椿姫やニ猫を交えた人数でもまともに攻撃を当てる事すらままならない。対して、白湯は椿姫達に確実なダメージを与えていた。
椿姫を吹っ飛ばした白湯は追い討ちをかけるように腹部に指をめり込ませた。
「がはッ!」
唾液と共に息を漏らす椿姫を見下ろす白湯は自身の服を捲り、胸部から腹部に刻まれた十個の傷跡をなぞった。
「痛かったのですよ。これでお相子としましょう」
衝撃を受け、身動きできない椿姫は黒い衣服の者達に囲まれた。
瞳術を使用して視線が合った者のみを倒していくが、非常に効率が悪い。
そして、椿姫はこの異世界に来た時から空璃に指摘されている弱点を克服出来てなかった。
戦闘情報の全てを視覚で賄う椿姫は瞳術の使用でより周囲への警戒が疎かになっている。
黒い衣服の者達の攻撃を避けきれない椿姫には切り傷が増えていった。
「雌犬、目に頼り過ぎ」
「そうですね。一対一なら良いですが、この状況では相当不利です」
聞いた事のある声。その声の持ち主は椿姫の知る人物だった。
本物の我夏葉と月皓が周囲の敵を薙ぎ払い、手を差し出していた。
「二人共、なんで…?」
黒目を元に戻した椿姫は躊躇いながら二人を見上げていた。
「皇帝陛下を助けて貰ったから」
「私は幾斗様の元へ返して貰いましたから」
因果応報である。
この異世界での椿姫の行いは間違っていなかったのだ。
力強く、手を取った椿姫は二人に支えられながらもしっかりと立ち上がった。
「雑魚は私が相手するから、我夏葉さんは鏡華達の方に行ってあげて」
この場に居る筈のない我夏葉。実は九条 幾斗は自分が戻らなければ出陣するように我夏葉に命令を下していた。
白湯が我夏葉に化けていた時は肝を冷やしたが、当の本人は何も知らず、白湯の元へ向った。
我夏葉が加わった六対一で漸く攻撃が白湯に当たり始めた。
月皓は椿姫に背中を預けて黒い衣服の者達を倒していく。
九条 幾斗は一蓮の側に立ち、三軍の兵達の指揮をしていた。
満身創痍の状況だが白湯の勢いは止まらず六人を吹き飛ばした。そして椿姫に近付く。
「凰花流、第二の型、乱芙蓉!」
白湯に当たる筈だった指先は盾にされた黒い衣服の者の肩にめり込み、肩から先の神経を断ち切った。
黒い衣服の者を捨て置いた白湯の猛攻が椿姫を襲う。
第九の型、紫煙撫子で防御するが、疲労感から腕が上がらなくなった椿姫の顔面に白湯の裏拳が直撃した。
地面を転がり、黒髪は砂埃を纏った。
「椿姫、しっかりしなさい」
空璃と月皓が椿姫の盾となり鏡華が椿姫の介抱を始めた。
女となり、凰花流を体得した椿姫でも白湯に決定打を与えられない理由があった。
椿姫が凰花流を扱いきれていないという問題もあるが、それ以上に重要な問題がある。
凰花流は所詮、"型"であり"技"ではない。それこそが絶対的な理由だった。
しかし、凰花流合気柔術総数100の型のうち一つだけ"技"として完成しているものがある。
「鏡華、あいつを倒せばこの国は一つになり、貴女の理想を叶える事が出来る。だから、私が決める」
「そんなボロボロの身体で…。どうして…」
「私は貴女の懐刀よ。鏡華の前に立ちふさがる者を排除する」
「…馬鹿ね。本当に馬鹿。……何か考えがあるの?」
初めて会った日、初めて人を殺めた日、椿がどんな顔をしていたのか鏡華は今でも覚えている。
しかし今、自分を見上げる椿姫の顔は鏡華の知らない表情だった。
肩を借りてゆっくりと立ち上がった椿姫は不適に笑った。
「絶輪だ」
白湯に対する攻撃を止めない空璃、海璃、明峰、瑠捺、我夏葉、月皓、二猫。
それでもまだ白湯の笑い声は潰えていない。そんな絶望的な状況の中、戦場に一陣の風が吹いた。
「凰花流合気柔術、第一の型」
全力で走る椿姫に気付いた白湯はニヤリと口角を釣り上げ、七名の将を一度に薙ぎ払った。
衝撃により武将達が円状に吹き飛んだ事で椿姫と白湯は一騎打ちとなる。
凰花家本家の蔵で盗み見た構えは一日も忘れた事がない。それ程までに強い印象を植え付けた禁秘術を白湯に向けて放った。
「絶輪ッ!」
椿姫が両掌を白湯の腹に当てた直後、針のような鋭い物に刺されたような感覚が白湯の背中を襲った。
それは一瞬でその他の異常は感じられない。
「クックックックック」
「笑っていられるのは今のうちよ」
絶輪とは対象者の脊髄神経を上下に破壊していく"技"である。
胸椎から徐々に上の頸椎へ。下の腰椎へと侵していく。そこから延びる神経は機能を失い、一切の自由を奪う。
激痛を伴うが、既に声を上げられる状態ではなかった。
足も脱力し、立っていられなくなった白湯は椿姫へ覆い被さるように倒れた。
「くッ!」
その究極の"技"は使用者へも影響を与える。白湯の腹部に押しつけている両手から侵入した絶輪は椿姫の神経細胞をも喰らい尽くしていった。
激痛に耐えながら、白湯の腹部から手を退けようと試みているが、白湯の重みと手の脱力感で思うようにいかなかった。
「あ゛ぁぁ!」
獣のような声を上げながら白湯を振りほどいた椿姫。しかし、ここで手を離すべきではなかった。使用者の椿姫は激痛が肘まで達し、我慢できなった。
対象者の白湯は完全に脳まで侵されておらず、命は奪えていない。首を限界まで曲げて椿姫の首筋に噛み付こうとする様は必死だった。
「沈め、白湯!」
最後の力を振り絞り、椿姫は眼を見開いた。
模様の浮かんだ眼は真の能力で白湯に幻術を掛けた。
息を切らし、肩を上下させる椿姫の両腕はだらしなく前に垂れており、上半身の重みで前屈みの姿勢となっている。
気力だけで立っている椿姫は鏡華の言いつけを守り、倒れた白湯の生死を確認してから意識を手放した。




