第39話 憎しみの掌握
隠密とは人に悟られないように任務を遂行する事を指す。
夜明け前の薄闇に紛れた白は無敵だった。
その脅威を誰よりも知る海璃は、兵士に互いの背中を合わせて陣形を組むように指示を出した。
しかし、そんな初歩的な対応策は白には通用しない。
さらに白の隠密部隊二十名も敵となり、鏡華達を囲う黒い衣服の者達も白からの指南を受けた強者ぞろいだった。
先日まで戦を続けて疲弊している兵達にとって今回の襲撃は痛手だった。
「椿、貴方は夜が明けるまで身を潜めて回復しておきなさい」
白の相手は鏡華、空璃、海璃、明峰の四名で請け負ったが、環境が不利過ぎて一方的な展開となっている。そんな中で鏡華は椿に命令を下した。
それと同時に九条 幾斗と一蓮は一つの真実に辿り着いた。
――阿の悪魔は強くない。
天使は非常に強力な能力と身体能力を持ち合われており、その活躍は目を見張る物があった。
しかし、悪魔の場合は違う。
噂では非情かつ狡猾で主君に前に立ち塞がる者を排除する守護者という事だが、表立った活躍を見た者はいない。
天使と共に居る事で噂が一人歩きした可能性が高いと判断した一蓮は防衛しながら弟に声をかけた。
「二猫、阿の悪魔を護衛して欲しいかな」
「はぁ!?自分の身も守れねぇような奴じゃねぇだろう!」
暗闇の中でも姉の鋭い眼光を感じた弟――二猫はそれ以上何も言わず、不本意ながら暗闇を進んだ。
無力さに打ちひしがれる椿は戦場にも関わらず構えを解いていた。
白を抑えている四人の姿は時折、松明の灯りで見えるが戦闘に加わる事が出来なかった。
――どうして俺は何も出来ないんだ。發さんの仇なのに。皆が戦っているのに。
自分を責める言葉は椿の心を突き刺していく。
そんな椿の隙を見逃す筈もなく、隠密部隊が背後から襲いかかった。
金属のぶつかり合う音が鼓膜を震わせ、ビリビリと痛みを感じる。
「おい、悪魔野郎。ボーッとしてんじゃねぞ!」
背後では聞き慣れない声の男が交戦中だった。
その男に守られていると察した事でより自分が惨めになった。
「お前んとこの天使様はこんな騒々しい中で寝てんのか!?」
口の悪い男だ。しかし、他軍の人間に守られるなど恥以外の何ものでもない。
そんな時、一筋の光が山々の間から差し込んできた。
「おや、もう夜明けですか。鏡華様、海璃様、空璃様、明峰様。私はこれで失礼します」
そう言い残し、姿を消した白。
海璃だけは白の行動パターンを読み、虚空に矢を放った。それが命中したのかは誰にも分からず、白の気配は完全に消失した。
気付かぬうちに鏡華達から離れていた椿の眼前に白が現れた。朝焼けを背負う椿は椿姫になる前に白の手によってフードを被された。
明るくなり、白の姿を視認できるようになった椿は凰花流の二桁の型で応戦する。しかし、男の姿では太刀打ち出来ない。
さらに自身の中で渦巻く黒い塊が今にも暴れ出しそうで、繊細さが欠けている事に気付いていた。
鏡華達が椿と白が戦闘している事に気付き、駆けつけたがその顔は驚きに染まっていた。
白の左頬が破れているのだ。
出血はない。明らかに皮が張り付いていた。しかし、その下からは肌色が顔を覗かせている。
椿から離れた白は鏡華達の表情を見て、自身の左頬を確認した。
「おや、先程の矢が当たっていましたか」
「白、何故こんな事をする!」
叫ぶ海璃の方を向き、白は左頬に指を突っ込んだ。
我夏葉の皮よりも精巧で生々しい皮膚がバリバリと音を立てて剥がされていく。
ゴクンッと喉が鳴った事にも気付かず、その光景を凝視していると白は白ではなくなった。
「この姿で、お会いするのは二度目ですか」
そこにはサユが居た。
「お前は誰なんだ?白は…白はどうしたんだ!?」
「白?そんな人はこの世に存在しません。この世に居るのは白湯、私だけです」
發、白は椿がこの異世界に迷い込む以前から鏡華に仕えている。つまり、白湯は想像よりも永い間、皆を騙していた事になる。
「さぁ、凰花 椿。いや、姫様。私を倒せるのは貴女だけですよ」
椿は怒りの眼を光らせて、フードに手をかけた。
そして片手でコートの編み目を外し、一気に脱ぎ捨てた。
変化は一瞬の出来事で椿が男から女になった瞬間を捉える事が出来た者は居なかった。
しかし、九条 幾斗をはじめ、阿軍以外の人間は驚愕した。
白い悪魔の正体が女で、その女は黒翼の天使だ。などと誰が想像したというのか。
九条 幾斗と月皓は悪魔である椿と顔を合わせ会話している為、その事実を素直に信用しなかった。
「お前!怪しい術で俺達に夢を見せやがって!どんだけ死んだと思ってんだよ!」
天使の出現を目の当たりにしたニ猫は敵を斬りつけながら叫んだ。
一瞥した椿姫は何も語らず、白湯に向き直る。
ギリッと奥歯を噛み締める椿姫は凰花流の構えを取った。
「いけませんよ、姫様。その感情では私に届かない」
椿姫の心を掌握した黒い塊は怒りでも、悲しみでもない。それは憎しみなのだ。
しかし、椿姫はそれに気付かず、怒りの感情を白湯に向けている。白湯からの指摘を無視する椿姫は感情のままに叫んだ。
怒りだと思っている感情は椿姫の心を支配し、爆発寸前なまでに膨張していた。
今、白湯に向き直っている椿姫は白湯を見ていない。
彼女は過去に囚われている。
發が自分を庇い、我夏葉の手によって命を奪われた。その情景をより酷く改変された映像を見せ続けられているのだ。
そんな幻術に掛かっている事を暗示するように椿姫の二つの黒目は模様を描いている。
ゆらりと白湯に向かって歩みを進める椿姫の背後から手を回し、その歩みを止めようと試みる者がいた。
「姉様、ダメだよ!これ以上は心が壊れちゃう!」
明峰は椿姫を見上げながら必死に語りかけたが、その声は椿姫には届かない。
ぎこちない動きで首を動かす椿姫と目があった瞬間、椿姫が見ている情景が脳内に流れ、咄嗟に目を背けてしまった。
今、椿姫の眼は暴走している。
常時能力が解放されている状態で、所有者である椿姫の意思とは関係なく幻術を撒き散らす。
「椿姫、正気を保ちなさい。私達が分からないの!?」
目の前で仁王立ちする鏡華も幻術に掛かり、發がどのように亡くなったのかを知った。
同時に椿姫の声にならない叫びを聞いた。
「それで良いわ。私達は貴女を否定しない。だから貴女も自分を信じてあげて!」
眉がピクリと動き、椿姫は思考を再開した。
思い出すのは鏡華と豹麟の言葉。
――貴方の力、貴方の知恵。いいえ、私には貴方自身が必要よ。
――決して、ぬしの中の"鳳凰"に支配されぬようにな。
椿姫は自身と向き合った。
真っ暗闇で蹲る椿姫に巨大な黒い物が巻き付き、身動きが取れない。その黒い物の正体は"憎しみの感情"であり、彼女の心を蝕んでいた。
何故、蝕むのか。
その問いへの返答は『お前が認めないからだ』というものだった。
椿姫は黒い物と対話を続けたが、拘束を解く事が出来ない。
そんな時、大きな右手と左手が現れて黒い物を包み込んだ。黒い物はその巨大さを無くし、これまで通りの大きさに縮小した。
椿姫はそれを摘み、自身の胸に押し当てた。
何の抵抗もなく胸の中に溶け込むと同時に視界が開き、全身にかかる重みから解放された気分になった。
あまりの残酷さに意識を保てなくなった鏡華が椿姫から目を背けようとした時、その幻が消え去り、優しい声が耳に響いた。
「もう大丈夫。ごめんね、怖い夢を見せてしまって」
安堵から脱力した鏡華を抱き寄せて空璃に託す。
「さぁ、始めましょうか」
凰花 椿姫は開眼した。
これまで不安定だった能力は椿姫に馴染み、その真の能力を発揮する準備が整った。




