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第22話 距離感

 久々に城下の町を歩く椿姫がいた。右やや後方には瑠捺が歩いている。毎回、右側に陣取るのだが、忠誠の証という理由で頑なにその位置を誰にも譲らないのだった。



「姫様、わたし達が留守にしている間の報告が上がってきました。特に事件は発生しなかったようです」


「そう。警邏部隊長も頑張っているものね」


「はい。それから入隊希望者がぞくぞくと増えています。いかが致しますか?」


「警邏部隊長に任せれば良いでしょ」


 椿姫にとって警邏部隊が大きくなる事に文句はない。一つ気がかりな事は立場の逆転だった。

 つい先日まで新参者だった椿姫は、あっという間に軍の中心人物にまでのし上がり、今では将軍級の待遇を得ている。そんな人物だが、決して各組織の頂点にいる訳ではない。

 有事の遊撃部隊は隊長が指揮し、平時の警邏部隊も隊長が指揮している。椿姫の立場は相談役のようなものだ。表立って何かをする意思はなかった。だからこそ、今日も仕事と言いつつも町を歩き回っている。

 そんな椿姫は迷いなく、服屋へ入って行く。今日は満月であり、一ヶ月に一度の椿姫の日なのだ。普段、屋内での仕事は全て椿としてこなしている為、この日だけは椿姫として新しく出来た店の視察や会食に参加できる。

 この一ヶ月で溜め込んだ椿姫の仕事を順々に終わらせ、瑠捺が業務内容の書かれた書簡にバツ印を増やしていく。こう見ると平時の瑠捺は秘書のような仕事をしている事になる。椿姫としての仕事は夕飯時に漸く片付いたのだった。

 二人は明峰と合流し、遅い夕食を共にした。城には、鏡華自ら声を掛けた料理人が従事しており、毎食絶品の料理が並ぶ。味付けは椿姫に合うように調整されており大満足のものばかりだった。



「今日は姉様の日だったんだね。城下でも城内でも椿姫ツバキヒメ様の話で持ちきりになるから、すぐに分かるよ」


 そんな事を言う明峰に対して、椿姫は苦笑いしか出てこない。悪い気はしないが、やはり慣れないのだ。

 食事も終盤に差し掛かった頃、食堂の扉が開いた。



「發さん!」


 そこには元教育係の發とその部下五名が連れ添っていた。白はいとまを貰っているらしい。

 椿姫は發と白からの教育を終え、読み書き、馬術、最低限の剣術は習得済みだ。晴れて自由の身となったが、少々寂しい気持ちも覚えていた。



「姫様、まさかこのような場所でお会いするとは」


 ここは一般兵が主に使用する食堂だ。将軍級になると更に豪華な食堂が別にあるのだが、仰々しい装飾や無駄に長い机が苦手な椿姫はこっそりとこちらを利用する事がある。

 人が多い時間帯は避けているつもりだが、今日のように誰かと鉢合わせする事も少なくはない。

 發は元教育係という事もあり、平気な顔で椿姫と会話しているが、彼の部下は今にも跪きそうな勢いである。



「結構よ。楽にしなさい」


 椿姫が武功を立てると兵士達との距離が開いていく。

 以前は新人として、様々な事を教わり、共に鍛錬した仲間も今では対等に会話できる者は少なくなっている。椿姫は気にしないのだが、兵士達が一方的に謙り、話が進まない為、仕方なく尊大な態度を取るしかないのだ。



 夜、椿姫が寝台の上で目を瞑ろうとした時、ふと瑪瑙を思い出した。自分はいつ瑪瑙に会ったのだろうか、いくら悩んでも答えが出ない。

 ふと椿姫の髪が夜風に靡いた。

 窓は閉めた筈だが、開け放たれており、今まさに誰かの手によって閉ざされた。危機的状況だが椿姫は抵抗を示さず、ゆっくりと起き上がろうとしている。

 そんな椿姫を押し倒し、覆い被さる人影。月明かりに照らされた紫色の髪が目立つ女性。

 居る筈のない瑪瑙が目の前に居た。



「無礼ですよ。こんな夜中に」


 会話するだけで吐息が触れる距離に美しい顔がある。椿姫はその瞳をジッと見つめて目を背ける事はない。



「こんばんは、椿姫ちゃん。今、私の事を考えてたでしょ」


 図星を突かれたが、表情は崩さない。瑪瑙の右手が寝台から離れ、椿姫の髪を撫でる。

 突如、艶のある長い髪がするすると短くなり、寝台に加わる重みが増えた。



「こんばんは、椿くん。まだ思い出せないんだね」


 瑪瑙の耳にかけられた髪が落ち、椿の頬を撫でる。

 椿は顔を背けたが、髪を撫で続ける瑪瑙は優しく頭を掴み、元の位置へ戻るように誘導した。

 再度、互いの漆黒の瞳がぶつかり合う。



「お姉さんが手伝ってあげるね」


 そう言い、椿の額に優しく人差し指を置いた。ドクンと胸の奥が弾み、何か暖かいものが込み上げてきた。しかし、それは冷たいものに阻まれ、抑え付けられた。

 苦悶の表情を浮かべる椿に対して、謝罪の言葉を残した瑪瑙は身体を離した。



「三日後に来るから、旅行の準備をしておいてね」


 瑪瑙は静かに窓から立ち去り、椿は全身を脱力させて眠りに就いた。



「我ながら、結構手強いね」


 そんな瑪瑙の小さな呟きは椿には届かない。

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