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第17話 黒翼の天使

 翌日。

 完全回復とは言えないが、一人で立てるようになった椿は昨日の事を思い出した。

 椿にとって、我夏葉との戦闘は良い経験になった。鍛錬しているとは言え、実践で型を連発すると反動が凄まじく、身体が耐えられない事が確認できた。

 あの後、我夏葉の部隊が撤退すると同時に連合軍が関所を制し、戦闘は終了した。

 空璃、海璃、明峰の三名も無事に帰還していた。

 これから二つ目の関所を制圧する予定だ。鏡華は阿軍を後方へ移動させるように連合軍の総大将へ進言したのだが、却下された上に伊軍と共に前線へ置かれる事になった。

 憤慨する鏡華だったが、致し方ない。我夏葉との口約束がある以上、皇帝軍との戦闘は控えて残りの関所を突破するように各部隊へ通達したのだった。



 伊軍が戦闘を開始し、しばらくすると阿軍も戦闘に巻き込まれた。

 我夏葉の部隊は出てきていない為、他の武将が率いる部隊との戦闘は遠慮なく行っていく。

 椿は鏡華の隣に居るのだが、今日は明峰の部隊も護衛していた。

 伊軍の武将が於軍の武将と一騎打ちを始めたと情報が入ってきた。

 苦戦しているのか吉報はまだ伝わって来ない。椿は鏡華に耳打ちをした。

 椿が動く時、それは鏡華を護る時と許可を得て自らが部隊を率いる時だ。そんな椿の姿を見て、隊員達が歓声を上げた。あの隊長までもが率先して大声を張り上げていた。



「よし!出陣るぞ」


 椿の部隊は遊撃部隊として、前線の側面を叩いた。混乱する敵軍を容赦なく、切り捨てていく。

 その勢いは激しく、この戦場において一番の威勢を放っていた。しかし、そこに椿の姿はない。

 空璃と海璃の部隊も戦闘を開始しており、空璃は於軍の武将を相手に戦っていた。普段であれば苦戦しないだろう。しかし、ここは数多の人が入り乱れる戦場。

 空璃を目がけて放たれる矢の数は多い。發が空璃を守ってはいるが、それでも攻撃に集中できていない。

 一瞬の隙が生まれ、空璃の腿を矢が掠めた。膝をつく空璃を庇う發は覚悟を決めた。

 しかし、先程までの矢の雨は止み、九死に一生を得た。

 敵の弓兵が配置された場所には一人の男とその配下が立っている。海璃の大隊に所属する隠密部隊だ。白は一仕事を終え、スッと消えた。

 そんな混乱を極める戦場の中に居る者達が、誰かの一声で空を仰いだ。

 その場だけが太陽光により輝く不思議な空間のように見えた。

 口を開けて、呆然とその光景を見上げる兵士が呟いた。



「妖艶な黒髪を靡かせ、天空から煌びやかに現れる天使」


 最近になり、この国に広まった噂話だ。

 今では誰もが知っているが、実際にお目にかかるのは今回が初めてだった。

 着地した椿姫の黒髪が定位置に落ち着き、凜とした空気が漂った。

 身体を起こし、顔を上げ、目を開く。その動作一つ一つが洗練されており美しい。こんな血生臭い場所には相応しくない少女が薄い笑みを向ける先に敵将がいた。



「ほぅ。お前が"黒翼コクヨクの天使"か」


 椿姫は敵将を一瞥し、空璃と發の元へゆっくりと歩く。二人の肩を優しく叩き、小さく頷いた。

 そんなありふれた光景さえも絵になる椿姫の仕草に兵士達は唾を飲み込んだ。

 空璃の部下達が駆けつけ、二人を後方へと避難させる。心配そうに見つめる空璃に手を振った椿姫は敵将の前に立ちはだかった。



「やってくれるわね」


 一切、慈悲のない冷ややかで無機質な声。全てを見透かすような真っ黒な瞳。

 この世ならぬ力を秘めた瞳の奥に隠された感情が敵将を射すくめた。

 この場だけ重力が倍になったかのような圧力に足が動かない。

 椿姫は全てを虜にするような手の動きで腰の篝水仙を抜き、自分よりも背の高い敵将に向けて突き出した。

 この場は静寂に支配されている。しかし、その静寂を破る者が現れた。

 敵将の部下が椿姫を目指し、剣を振りかぶりながら走り出す。

 瑠捺達、椿姫の部下は誰一人として動かない。



「止めろ!来るな!」


 敵将の忠告を聞かず、椿姫の整った横顔に剣を振り下ろそうとする男は、その身体が右方向にずれて椿姫の足下に崩れ落ちた。



「第78の型、右節ウセツ


 剣を持たない右腕を掴み、背骨から指先までにある関節の全てを右方向にずらした。

 叫び声を上げながらのたうち回る男を一瞥し、自分達を囲む者達へ視線を向けていく。



「次は誰かしら?」


 誰もが椿姫から目を背けた。それ程までに椿姫の力は圧倒的だった。



「さぁ、選びなさい。降伏か死か」


 椿姫はただ目を見開いただけだったが、意図せずに"眼"が開いた。同時に頭の中に文字が浮かび上がる。



――澪標ミオツクシ



 それがこの"眼"の名だ。椿姫には聞き覚えの無い名だが、その能力と使い方を知っていた。

 "眼"の発現と同時に能力や使用方法は、術者の脳に直接情報が流れる仕様になっている。



 全てを見透かされているような、器量を計られているような不思議な感覚。それは自軍、敵軍に関係なく影響を与えた。

 敵将の大男はニヤリと笑う。



「…分かった。俺達はお前…いや、貴女に下ろう」


「そう」


 椿姫は素っ気なく返事し篝水仙を鞘に収めたが、気を緩めた時、一気に力が抜けてストンとへたり込んでしまった。



「あれ?」


 立ち上がる事が出来ない。昨日に引き続き、腰を抜かしてしまった。

 咄嗟に駆け寄る瑠捺と隊長。



「立てなくなっちゃった」


 上目遣いに瑠捺達を見ながら、舌をペロッと出し悪戯に笑うと周りの兵士達から歓喜の声が上がった。

 隊長に抱きかかえられ、俗に言うお姫様抱っこというものを初体験した。



「こ、これは恥ずかしいわ。早く歩きなさい!」


「はいはい、お姫様」


 隊長が歩くと兵達が道を空けた。戦場の一角でパレードでも行っているかのような雰囲気に他軍の者達は目を丸くするのだった。



「何してるの?早く来なさいよ」


「我らを拘束しないのか?」


「しないわよ」


「姫様、いくら何でもそれは…」


「いいの!ほら、行くわよ。海璃、後は任せるわ」


「御意に」


 隊長が椿姫をお姫様抱っこして歩き、その後ろに瑠捺達が続く。その更に後ろから敵部隊が付いてくるという謎の行列が戦場を横断した。


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