心地よい時間
駿弥視点です
「駿弥くん、貴斗さんが、明日貴斗さんの教室で待ってるよって。」
「そう。……聞きたいこと、ある?」
「うん!今回の、錯視って、どんな学問領域?で勉強してるの?」
「錯視は心理学。」
「え、そうなの?脳とか、目とかじゃないんだ。」
宇咲さんがコロコロと変わる表情で俺の話を聞いている。よくもまぁ、そこまで俺の話を面白そうに聞けるもんだ。
自分でも、自分の話が面白いものではないことは自覚している。原因も。今までロクに他人とこうして会話をしたことがなかったのだ。面白い話の構成を理論上理解していても、そこまでのトークテーマもトーク力もないから、構成のしようがない。これは今後の課題だ。だから今は、自分の知る知識を頭に入ってるまま吐き出してるに近い。
素っ気なく、面白みのない話をしているのは分かってる。でも、彼女はいつも楽しそうに聞いてくれる。なぜだろうか。
「……宇咲さんは、なんでそんなに楽しそうに俺の話を聞いてるんだ?面白みもないだろう。」
少し前から思っていた疑問が口から出た。分からないことは追求しなければなんとなく落ち着かない。これで落ち着くだろうか。
宇咲さんは、俺の問いに少し考えるとにこりと笑った。それがあまりに無垢で無邪気なものだったから、その美しさに少し目を見張ってしまう。
「私はすごく楽しいよ。新しいことを知るの楽しいなって思ってるし。それに、貴斗さんに少しずつでも近づけてるって思えば嬉しいもん。貴斗さんがね、褒めてくれるの。頑張ってるねって。ふふっ。私には何よりのご褒美だよ。そう考えたら、つまんなくなんてないよ。」
”貴斗さん”。あの先パイのことだ。茶戸貴斗。この学校内でおそらく一番頭の切れる、知識量もずば抜けた存在。生徒会長の湧洞先パイと並び、初めて俺の前に現れた壁とも言える人。
宇咲さんは最近、事あるごとにあの先パイの名を口にする。まぁ、恋人だからと言われればそれまでだが、何かが違和感として引っ掛かっているように思える。……人の色恋に首を突っ込む気はないが、気にはなる。
「……そ。一口に錯視って言っても、色々種類がある。……」
かといって、詮索する気はない。なんの益体もない話を聞き続けられるほどの興味はないのだ。
彼女にこうして話す中で、利点もあった。基礎を見直すことが増えたお陰で、知識が整理されたように感じる。昔誰かが言っていた、”人に教えることで自分の理解も深まる”とは、こういうことだったのか。こういった気づきも、以前の俺では得られなかっただろう。
……うん。そういった意味では、彼女とのこの時間も、俺にとって有意義なものということか。
「へぇ……、そんなに種類があるんだね。」
「錯視は、目から取り入れた情報を、脳が都合のいいように補うことで起こるって言われてる。だから、さっき宇咲さんが、脳とか目に関連した学問領域じゃないかって言ったのは、間違いじゃない。ただ、心理学の分野で多く研究されてるから、どの分野かって言われたら、心理学だって答える。」
「そうなんだ。錯視って、あのまっすぐの線が曲がって見えたり、長さが違って見えたりするのでしょ?なんとなく身近に思えないんだけど、どんなことに使われてるの?」
次々と質問してくる宇咲さんに、少しずつ気分が高揚してくる。こうして知識を話すのは楽しい。
昼休みの間、ずっと錯視について2人で話し、自分の中ではそれなりの充足感が得られた。
「あ、そろそろ時間だね。駿弥くん、たくさん教えてくれてありがとう。明日、楽しみにしてるね。貴斗さんにも教えてもらわなくちゃ。」
「……気にしないで。先パイに、俺も楽しみにしてるって言ってほしい。」
「うん。分かった。ありがとうね。」
宇咲さんは、今日の帰りに先パイや会長に、俺より分かりやすい説明をしてもらうんだろう。元から仲良かったし、分からないことも、きっと気兼ねなく聞けるに違いない。
「……。」
宇咲さんの去った席で、俺は少し目を伏せた。
……模試の予習をしなければ。あの先パイたちに勝つには、生半可な努力ではだめだ。
俺は1位でなければいけない。学力も、運動も、知識も。周囲の人を落胆させないためにも。周囲の人に俺の有能性を示すためにも。
もう二度と、あんな目を、あんな言葉を向けられないためにも。
次話から初音視点が始まります




