第11話 届いた手紙
エインズワース家からの手紙が届いたのは、アマーリエと庭で話してから五日後のことだった。
ハロルドが朝の郵便物を仕分けているとき、見覚えのある紋章の封書に気づいたルチアは、思わず手を伸ばしていた。
「ルチア様、それは」
「私宛てです」
宛名には、確かにルチアの名前が書かれていた。家名はない。ただ、ルチア、とだけ。
どうしてここにいることを知っているのだろう。
答えは、すぐに思い当たった。社交界の噂は速い。そしてアマーリエは、ルチアの素性を知っていた。
封を切ると、継母ベアトリスの流れるような文字が並んでいた。
――ルチアへ
家を出てから、さぞ心細い思いをしていることでしょう。
あなたがローデンヴァルト卿の塔に身を寄せていると聞いて、たいそう驚きました。未婚の娘が男性の住まいに居座るなど、エインズワース家の名に泥を塗る行いです。
ただちに戻りなさい。
テオドールのために、あなたにはもう一度家で過ごしてもらう必要があります。
もし戻らないというのであれば、伯爵家として正式に、ローデンヴァルト卿を娘のかどわかしで訴える用意があります。
賢明な判断を期待しています。
ベアトリス・エインズワース
ルチアは、手紙を握りしめたまま動けなかった。
「ルチア様?」
ハロルドの声が、遠くに聞こえる。
(かどわかし……シリルを、訴える?)
家を追い出したのは、向こうではないか。エインズワースの名を名乗るなと言ったのは、父ではないか。
それなのに、今になって戻れと言う。
テオドールのために、もう一度家で過ごしてもらう必要がある。
その一文の意味が、ルチアにはわからなかった。魔力のない姉など、弟の経歴の傷でしかなかったはずなのに。
「ルチア様、何が書かれていたのです」
ハロルドが、ルチアの手からそっと手紙を受け取った。
目を通すうちに、老執事の顔がみるみる険しくなっていく。
「……なんということを」
ハロルドは低くつぶやいた。
「ルチア様、これはすぐに旦那様にお見せしましょう」
「待ってください!」
ルチアは、思わずハロルドの腕をつかんでいた。
「シリルには……まだ、言わないでください」
「しかし」
「お願いです。少しだけ、考えさせてください」
ハロルドは、しばらくルチアの顔を見つめていた。
やがて、深いため息とともに手紙を返してくれた。
「……一日だけですよ。それ以上は、わたくしの判断で旦那様にお伝えします」
「ありがとうございます」
その日の午後も、アマーリエが塔を訪れた。
研究室から漏れ聞こえる二人の声を背に、ルチアは庭の香草の前にしゃがみ込んでいた。
踏みつけられた若葉は、どうにか持ち直して、また上を向いている。
(私が戻れば、全部丸く収まる)
考えれば考えるほど、それ以外の答えが見つからなかった。
伯爵家がシリルを訴えれば、それだけで大きな醜聞になる。そこへアマーリエが言っていた魔導院の噂が重なれば、どうなるか。
国一番の大魔導師が、家出した令嬢を囲い、研究対象として私物化している。
事実がどうであろうと、人はそういう話を好んで信じる。
シリルがこの十年、たったひとりで耐えて、ようやく手にした立場。それを、自分のせいで失わせるわけにはいかない。
(器がいなくなれば、シリルはまた眠れなくなる)
それを思うと、胸が引き裂かれそうだった。
でも、アマーリエは言っていた。研究が進めば、器を外から補う方法も見つかるはずだと。
アマーリエほどの魔導師がそばにいれば、きっとシリルを助けてくれる。
自分がいなくても、シリルは大丈夫。
……大丈夫なはずだ。
「ルチア」
はっとして顔を上げると、いつの間にかシリルが庭の入り口に立っていた。アマーリエの姿は見えない。
「グランツ嬢は帰った。……どうした、顔色が悪いぞ」
「ううん、なんでもないの。日差しが強かったから」
ルチアは立ち上がって、膝の土を払った。
シリルは何か言いたげに眉を寄せていたが、やがてルチアの手を取った。
「冷えている。中に入ろう」
大きな手に包まれた指先が、じんと温かくなる。
この手を離したくない、と思った。
生まれて初めて、心の底からそう思った。
だからこそ、離さなければならないのだと、ルチアはわかっていた。
その夜、ルチアはいつもより長く、シリルの手を握っていた。
シリルが眠りについてからも、ずっと。
月明かりに照らされた寝顔を、目に焼きつけるように見つめながら。
(ありがとう、シリル)
声には出さずに、そっと唇だけを動かした。
あなたが、私を必要だと言ってくれた。
それだけで、私は十分に救われた。




