いと、おかし
「お兄ちゃん、ちゅき」
また増えた。
長耳の美女は、言うだけ言うと俺から目を離し、手に残った空の袋をのぞきこんだ。底に残った粉を指でなぞって、なめる。もう一度なぞって、なめる。
「……おいしい」
その顔を、ヴィクトリアが横からのぞきこんだ。
のぞきこんだまま、動かなくなった。エメラルドグリーンの瞳が、みるみるうちにきらきらしていく。
「お人形さんみたい!」
言われてみれば、そうだった。白金の長い髪に、灰色の瞳。鼻筋も、唇も、まつ毛の一本まで、誰かが丁寧に作って並べたみたいに整っている。棚に飾ってあったら、俺でも思わず足を止める。
口の周りが、駄菓子の粉だらけでなければ。
ヴィクトリアは、粉のことなど気にもしていなかった。長耳の美女の前にしゃがみこみ、両手を胸の前で組んで、さらに目を輝かせた。
「お名前は?」
「セレネ」
「まあ! 素敵なお名前ですわ!」
セレネというらしい。
「そのお洋服も、とっても素敵ですわ!」
ヴィクトリアの目は、今度はセレネの服に釘づけになった。俺もつられて見て、二度見した。薄い衣を何枚も重ね着していて、袖は手が隠れるほど長く、裾は歩きやすいように腰のあたりでたくし上げてある。
歴史の教科書の、平安時代のページで見たようなやつだった。
その後ろを、レオナがうろうろしていた。
二人の話に入りたいらしい。ヴィクトリアの肩越しにのぞきこみ、何か言いかけて口を開け、また閉じる。衣の裾をじっと見つめ、首をかしげる。何が素敵なのか、まったく分かっていない顔だった。
ヴィクトリアは裾をつまみ、一枚めくった。下にも衣があった。もう一枚めくった。まだあった。
「何枚着てますの?」
「いち、に、さん、し……」
セレネが指を折って数えはじめると、レオナも急いで指を折った。三本目で、何を数えているのか分からなくなってやめた。
セレネは両手の指を全部折ったところで止まった。
「……いっぱい」
「まあ!」
ヴィクトリアは、ますます身を乗り出した。
「どこで売ってますの?」
「うってない」
「では、どこで買いましたの?」
「かってない。つくらせた」
「どなたに?」
「じいたち」
ヴィクトリアは、うっとりとため息をついた。
「わたしも、つくらせたいですわ……」
王女様がそれを言うと、冗談に聞こえない。
レオナが、ここだとばかりに剣を差し出した。
「ぼくの、けん! かっこいい!」
「今は、お洋服のお話ですわ」
ヴィクトリアは振り向きもしなかった。
レオナは、剣を差し出した格好のまま、しばらく固まっていた。それから、とぼとぼと遺跡の隅へ歩いていった。床の隅に土が溜まっているのを見つけてしゃがみこむと、剣を両手で握り直した。
「えい」
ざくっ。
ひとしきり服を眺めると、ヴィクトリアはセレネの手を引いて立たせた。並んでみると、セレネはヴィクトリアより頭半分ほど小さかった。
ヴィクトリアの顔が、ぱあっと明るくなった。
「わたしのほうが、おおきいですわ!」
ヴィクトリアはセレネと背中合わせになり、手のひらを二人の頭の上で行き来させた。何度やっても、ヴィクトリアのほうが高い。
「わたしが、おねえさんですわ!」
いつも俺に抱っこをせがんでいる王女に、妹ができた瞬間だった。
その後ろで、レオナは土の溜まったところを掘り終え、床の継ぎ目に剣を突き立てて、石畳をめくりはじめていた。ばきっ。ごとん。
「おい、それ遺跡だぞ」
「はたけ!」
聞いていない。
おねえさんになったヴィクトリアは、セレネの頭を優しくなでながら聞いた。
「セレネちゃんは、おいくつですの?」
セレネは、また指を折りはじめた。
両手の指を全部折った。開いて、もう一度折りかけて、八本目で止まった。
「じゅうはち」
「まあ! わたしより、ちょっと下ですわね!」
見た目どおりだ。俺もうなずきかけた。
「……と、きゅうひゃく」
俺は、しばらく何も言えなかった。
九百。
九百十八歳。
「いっぱいですわね!」
「いっぱい」
二人は、うなずき合った。
「でも、わたしのほうが、おおきいですわ!」
ヴィクトリアは、セレネの頭をなで続けた。セレネは、なでられ続けた。
頭をなでられるのに飽きたのか、セレネは床にぺたんと座り込むと、長い袖の中から何かを取り出した。
短冊と、筆だった。腰には、小さな墨壺が下がっている。
「何書くんだ?」
セレネは答えなかった。短冊を石の床に置き、筆先を墨壺に浸す。
筆を、握りしめた。
ゆっくりと、一文字ずつ書いた。何度も止まりながら、それでも筆を離さずに書いた。
書き終えると、両手で高々と掲げた。
大きなひらがなで、こう書いてあった。
いと おかし
俺は、それをしばらく見た。
「……お菓子、うまかったんかい」
セレネは、こくりとうなずいた。満足そうに短冊を胸に抱きしめて、ふんぞり返った。
それを見たヴィクトリアの目が、また輝いた。
「わたしも、書きたいですわ!」
ヴィクトリアは、セレネの短冊に手を伸ばした。セレネは短冊を胸に抱いたまま、くるりと背中を向けた。
「だめ」
「おねえさんに、かしてくださいな!」
「だめ」
ヴィクトリアが回りこむ。セレネがまた背中を向ける。回りこむ。背中を向ける。二人はその場でぐるぐる回り、とうとうヴィクトリアが短冊の端をつかんだ。
綱引きが始まった。綱は短冊だった。
ヴィクトリアが引くと、セレネが引きずられる。セレネが引くと、ヴィクトリアがつんのめる。長い袖がからまって、セレネがよろける。その隙にヴィクトリアが引く。セレネは歯を食いしばって踏みとどまる。
びりっ。
短冊が、真ん中から二つに裂けた。
二人そろって、後ろへ尻もちをついた。
ヴィクトリアの手には「おかし」、セレネの手には「いと」が残った。
二人は、しばらく自分の手の中を見ていた。それから、相手の手の中を見た。何が起きたのか分からない、という顔だった。
ヴィクトリアの下唇が、ぷるぷると震えはじめた。セレネの下唇も、震えはじめた。
「セレネ、大っきらいーーーー!」
「びえええええええん!」
二人同時だった。
「あーもう! うるさーーーい!」
俺は両手で耳をふさいだ。
ふさいだ耳の向こうで、ざくっ、ざくっ、と音が続いていた。
畝は、まっすぐ奥へ伸びていた。床の紋様をざくざくと横切り、石台の足もとまで来ている。
「えい!」
がん。
剣先が、石台の側面に埋め込まれた小さな石板を、ど真ん中から叩いた。
「かたい」
レオナは、剣を握り直した。
「えい! えい! えい!」
がん、がん、ばきん。
石板が、真っ二つに割れた。
床が、ごとん、と鳴った。
床の紋様が、光りはじめた。
泣き声が、ぴたりと止まった。ヴィクトリアも、セレネも、レオナも、足もとの光を見ていた。
「なんなんだよ、これ!」
誰も答えなかった。
その中で、セレネが、袖から新しい短冊を一枚取り出した。いつの間にか筆まで握っている。そして、すっくと立ち上がった。
短冊を片手に、筆を構え、さらさらと書く。
書き終えた、その瞬間だった。
ぽん。
遺跡は、静かになった。
少し遅れて、短冊が一枚、ひらひらと床に落ちてきた。
いと おかし
***
その数日前。
王国の遠い辺境。草もろくに生えない、岩と砂ばかりの荒れ地に、窓のない石造りの倉庫が建っていた。
夜。裏口の前で、男が二人、酒を回していた。
「なんで俺たちだけ居残りなんだ」
「ぼやくな。明日には追いつく」
「昨日は北の村まで、ガキ一匹捨てに行かされるしよ」
「倉庫の、もう一匹は」
「ほっとけ。そのうちくたばる」
男たちは笑った。
倉庫の隅。壁際に、痩せた少女が膝を抱えて座っていた。
くすんだ茶色の髪はぼさぼさで、手足は棒のように細い。目は開いているが、どこも見ていない。男たちの声が聞こえているのかどうかも分からなかった。
夜更け。男たちは、酒瓶を抱えたまま眠りこけていた。
少女は立ち上がった。ふらつきながら、開いた戸から外へ出た。
外は真っ暗だった。少女は北を向き、裸足のまま歩き出した。
「……今、助けに行くから」
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