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およめさんになる!

「お兄ちゃん、ちゅき」


女騎士は俺の腕の中で指輪の飴を舐めながら、もう一度にこっと笑った。


「いや、近い近い!」


慌てて身体を離すと、その隙間にヴィクトリアが頭から割り込んできた。


「わたしのお兄ちゃんですわ!」

「ちがう! ぼくの!」

「わたしのですわ!」

「ちがう!」

「誰のお兄ちゃんでもない!」


二人とも聞いていない。俺の右腕と左腕を一本ずつ抱え込み、俺越しに睨み合っている。


王女の次は、女騎士である。


「お前もアホの子かよ!」


女騎士は、きょとんと俺を見上げた。


「お前、名前は?」

「レオナ!」


元気だけはいい。


遠くから、馬の蹄の音が聞こえた。さっきの騎士たちだろう。


「とりあえず逃げるぞ。その鎧じゃ無理だ。脱げ」

「ぬげない」

「脱がしてやるから、ばんざいしろ」

「ばんざーい!」


留め具を外し、肩当てごと胸当てをつかんで、頭から引き抜いた。子どもの服を脱がせるのと同じ要領である。


白銀の鎧が、がしゃん、と道端に転がった。


「かるい!」


レオナは両手を広げてくるくる回った。


「おもいから、いらない!」


さっきまで泣いていた理由を、あっさり道端に捨てた。


兜は俺が抱えた。立派な品だし、売れば金になるかもしれない。


馬は、道端の草を食べていた。


剣だけは、どうしても手放さなかった。


「それも重いだろ」

「いる!」


鞘の先を地面にずるずる引きずりながら、レオナがついてくる。街道の土に、一本の線がまっすぐ引かれていく。


追手にとって、これ以上の目印はなかった。


***


街道を外れてしばらく進んだところで、後ろから声がした。


「おぼっちゃまぁぁぁ!」


宿の主人が、土煙を上げて走ってきた。


「なんでいるんだよ!」

「お見送りしたあと、どうにも心配になりまして」


主人の靴は土まみれだった。振り返ると、街道に引かれていたはずの線がない。ここまで足でならしながら来たらしい。


遠くで馬がいなないた。主人の顔つきが変わる。


「おぼっちゃま、こちらでございます。人目につかない道がございます」


草に埋もれた獣道を抜け、小さな丘を回り込むと、見覚えのある屋根が見えた。


今朝出たばかりの宿だった。


「お帰りなさいませ、おぼっちゃま!」

「今朝ぶりだけどな!」

「ただいま!」

「ただいまですわ!」


レオナは、この宿に来るのが初めてである。


***


宿の裏手には、小さな庭があった。


レオナはそれを見た瞬間に目を輝かせ、地面を見て、それから自分の剣を見た。


「くわ!」

「剣だよ」

「くわ!」


鞘から剣を抜き、両手で振り上げ、地面へ振り下ろす。


「えい!」


ざくっ、と土に刺さった。


「えい! えい!」

「何してんの?」

「はたけ、つくる!」

「ここ宿の庭だぞ」


聞いていない。本人の中では、もう完全に鍬だった。掘られた畝は、どれも見事に曲がっている。


王都にその名を轟かせた覇剣ヴァルグラムは、あっという間に泥まみれの農具になった。


レオナは土の中から石を拾うと、俺が抱えている兜を指さした。


「かして」


渡すと、兜をひっくり返して地面に置き、石を放り込んだ。


からん。からん。からん。


「……それ兜な」

「ばけつ!」


聖白銀竜鱗兜ドラグヘイム・オブ・ザ・ラストナイトには、畑の石が次々と放り込まれていった。剣は鍬、兜はバケツ。騎士団長の装備一式が、農具一式になった。宿の主人は、なぜか満足そうに眺めている。


レオナは舐め終わった指輪の飴の土台を、掘った穴にそっと入れた。


「たね! ゆびわ、いっぱいはえる!」

「生えないから!」


それを見たヴィクトリアが目を輝かせ、宝石の首飾りを外した。


「わたしも植えますわ!」

「それは植えるな!」

「いっぱい増えますわ!」


ヴィクトリアは嬉しそうに首飾りを穴に埋め、上から土をぽんぽん叩いた。


レオナが手を止め、俺を見上げた。


「お兄ちゃんと、ここにすむ! およめさんになる!」

「勝手に決めるな!」

「あかちゃんも、つくる!」


ぼんっ、と俺の顔から湯気が出た。


「あ、あか、あかちゃんって、お、おま、お前、な、何を言って……!」


一歩下がった。かかとが、石でいっぱいの兜に引っかかった。


空が見えて、地面が見えて、また空が見えた。


ずぼっ。


着地したのは足ではなく、頭だった。押し出された石がばらばらと庭に散り、兜にすっぽりはまった俺の身体は、そのまま後ろへ転がりだした。


ごろごろごろごろごろごろ!


「わあーーーーーーーー」


庭を横切り、宿の角を曲がり、鶏小屋へ一直線に突っ込む。


ばきゃっ!


コケーッ!


板壁が割れ、屋根が抜け、鶏が八方へ飛び散った。舞い上がった羽根の中を突き抜けて、宿の裏口へ。


「わあーーーーーーーー」


ばたーん!


厨房には誰もいなかった。鍋だけが、ぐつぐつと煮えていた。


その横を転がり抜け、食堂のテーブルの下をくぐり、表の玄関から飛び出す。宿の壁沿いをぐるりと回り、また庭へ戻ってくる。


「わあーー」


ざざざざざっ。


レオナの目の前で、俺は正座の形でぴたりと止まった。


ひらひらと羽根が降ってきた。兜の中に残っていた石が一つ、ころんと膝に落ちた。最後に鶏が一羽降ってきて、宿の主人の頭に着地した。


宿の主人は、鶏を頭に載せたまま口をあんぐり開けている。レオナとヴィクトリアは、きゃっきゃと手を叩いて跳ねていた。


「もういっかい!」

「もう一回ですわ!」


それから、レオナが俺の前にしゃがみ込み、兜の目の隙間をすぐ外からのぞき込んだ。


近い。細い隙間の向こうが、暗い茶色の前髪と黒い瞳でいっぱいになった。きりっとした眉に、切れ長の目。隙間から見える目元だけなら、凛々しい少年にも見える。その目が、まっすぐに澄んで俺を見ていた。


兜の中で、自分の心臓の音がやけに響いた。


黒い瞳が細くなり、レオナがにこっと笑った。


「あかちゃん、つくる」


話は、一ミリも逸れていなかった。


全身が痛くて、返事をする気力も残っていない。兜をかぶったまま正座している俺の背中に、ヴィクトリアがしがみついた。


「わたしも!」


宿の主人が、鶏を載せたまま深くうなずいた。


「いいですなあ。お部屋代は、昨日の指輪で十年分いただいております」


ようやく兜を引っこ抜き、俺は正座を崩した。HPがどれだけ減ったか、確かめておきたかった。


「ステータス、オープン」


【レベル】1

【職業】お兄ちゃん


【特殊能力】

・逃げ足世界一

・駄菓子錬成


【祝福】

・女の子とすぐ仲良くなれる


【呪い】

・???


【称号】

・王女のお兄ちゃん

・騎士団長のお兄ちゃん


「HPねえのかよ」


肝心な欄はなく、余計な欄が増えていた。


「職業がお兄ちゃんになってる……」


無職よりはましなのかもしれない。いや、どうだろう。


その下の称号で、目が止まった。


「騎士団長!? あいつ騎士団長だったのかよ!」


改めてレオナを見た。


王国の騎士団長は、散らばった鶏の羽根を一本ずつ拾っては、畑に植えていた。


「とり、いっぱいはえる!」


***


夕方には、庭の一角がでこぼこの畑になっていた。畝は一本残らず曲がっていた。指輪も鶏も生えてこなかった。首飾りは、俺がこっそり掘り返した。


夕食は、昨日と同じく肉、魚、スープ、パン、果物まで並んだ。


そういえば昼間、厨房では鍋が煮えていた。


「これ、誰が作ってるんですか?」

「ご心配には及びません、おぼっちゃま」


主人は笑顔のまま、パンのおかわりを置いていった。


食べ終わると、ヴィクトリアとレオナは同時に目をこすり始めた。


部屋のベッドは、なぜか昨日より少し広くなっていた。


「……これ、昨日こんなに広かった?」

「お気になさらず」


主人は、それ以上何も言わずに扉を閉めた。


横になった途端、右からヴィクトリア、左からレオナが俺の腕をつかんだ。


「わたしのお兄ちゃんですわ!」

「ぼくの!」

「腕がちぎれる!」


右と左で、引く力がまるで違った。俺の身体はずるずると左へ寄っていき、ヴィクトリアの手がすぽんと外れた。


ヴィクトリアは、両手で顔を覆った。


「うえええええん!」


指の隙間がやけに広い。その隙間から、エメラルドグリーンの目がこっちをうかがっている。


「その手はもう知ってる」

「うえええええええん!」


声が一段大きくなった。隙間も一段広くなった。


「……分かった。分かったから」


俺はベッドの真ん中へ戻った。ヴィクトリアの泣き声は、その瞬間にぴたりと止んだ。


右からヴィクトリア、左からレオナにしがみつかれ、寝返りも打てない。


左から、寝言が聞こえた。


「……およめさんになる」


***


森の奥。古い石造りの遺跡へ続く道を、三人の女エルフが歩いていた。


後ろの二人は弓を背負った護衛で、どちらも街を歩けば人目を集める美人だった。


だが、前を歩く女はさらに目を引いた。長い髪、ほっそりとした体、長く尖った耳。見た目は十八歳ほどだが、整いすぎた顔立ちと静かな佇まいが、後ろの二人をごく普通の娘に見せてしまうほどだった。


「ばばさま、遺跡までお供します」

「必要ない。私だけで大丈夫だ」


最長老は振り返らずに進んだ。護衛の二人は顔を見合わせ、その場に残った。


一人きりでしばらく進むと、木々の向こうに古い遺跡の影が見えた。


最長老は、そこで初めて立ち止まった。


「……何か、胸騒ぎがする」


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