王女奪還令
王女をさらわれた宰相は、御者と二人、空になった馬車で王城へ逃げ帰った。それから夜通し、騎士団を叩き起こして回った。
本音を言えば、自分で馬に飛び乗って助けに行きたかった。ただし宰相は馬に乗れない。一度だけ練習したことがあるが、三歩で落ちた。
朝になると、宰相は迷わず副団長を呼んだ。
「精鋭十名を選べ。すぐに姫様を――」
「承知しました!」
返事が早い。宰相が副団長を好むのは、だいたいこのためだった。すぐ横には団長も立っていたが、宰相はそちらを見なかった。宰相は融通の利かない団長が嫌いなのだ。
謁見の間の扉が開いた。
昨日の服のまま、髪を乱し、泥だらけの靴を履いた国王が立っていた。
「陛下!」
「……ずいぶん歩いた」
王が歩いて帰るな。
国王は王座に腰を下ろした。
「ところで、ヴィクトリアは?」
「……誘拐されました」
「なんだと?」
「現在、副団長に精鋭十名を率いさせ、救出へ向かわせるところでございます」
「団長!」
二十二歳。ベリーショートの髪に、すらりとした長身。凛々しい顔立ちは中性的な女騎士は、王座の前へ進み出た。
「第一王女ヴィクトリアを救出せよ」
「承知いたしました。必ずお連れいたします」
「生死は問わん!」
「陛下、それでは死んでいてもよいことになります」
「生きて救出せよ!」
***
十一騎は王都を抜け、街道を駆けた。
ゼイキンムシリトリーノ王立トリタテ騎士団。治安維持から王族護衛、魔獣討伐、税逃れ商人の追跡までこなす王国の精鋭である。総勢二百のうち選ばれた十一騎で、女は先頭の団長だけだった。
入団したばかりの団長に、装備の手入れも、馬の扱いも、割安な食堂の場所も教えたのは副団長だった。剣だけは教えていない。教える前に抜かれたからである。
団長が宰相へ「訓練で剣が三本折れました。三本分の予算をお願いします」とそのまま言いに行くと、たいてい揉める。そこで副団長が横から「訓練強度に見合った装備更新の件でございます」と言い直す。それで通る。
今朝も出発前に団長の馬具を締め直そうとして、「自分でできます」と言われた。できるのは知っている。
懐には、妻が持たせた弁当が入っている。包みには「若い子たちの飲み代、また自腹で払ったそうですね。帰ったら話があります」と書いた紙が挟まっていた。
先頭の白銀の鎧を眺めながら、副団長は、あれ一式でいくらするのか、団長の給料はいくらなのか、少しだけ考えた。それから弁当の紙を思い出して、考えるのをやめた。
前方で馬が大きくいなないた。街道を塞ぐように、角の生えた巨大な熊が立っている。
「ダツゼイグマ!」
脱税する者と同じくらい忌み嫌われている魔獣である。
副団長は剣を抜いた。
「まずは円陣!」
「円陣!」
「円陣だ!」
「どっち回りだ!」
十騎が一斉に内側へ寄った。馬の鼻面がぶつかり、驚いた一頭が後ろ足で立つ。乗っていた若い騎士が隣の馬の首に抱きつき、その馬が嫌がって尻を振った。
「押すな!」
振られた尻に、後ろの騎士が顔から突っ込んだ。
ガコン!
「あ痛ァ」
兜がへこんだ。それでもどうにか丸く固まり、円陣は完成した。
「よし、次は鶴翼の陣!」
非番の日に図書館で読んだばかりの陣形である。
「鶴翼って何ですか!」
「……鶴の、翼だ!」
完成したばかりの円陣がほどけ、右へ行く馬と左へ行く馬が真ん中で行き違った。手綱が絡まった二頭がぐるぐる回り始め、その尻が順番に周りの馬を押し出していく。押し出された馬がまた隣を押し、さっき顔から突っ込んだ騎士が、また同じ尻へ突っ込んだ。
ガコン!
「あ痛ァーーー」
ダツゼイグマは、少し首を傾げて待っていた。
二十二歳。ベリーショートの髪に、すらりとした長身。凛々しい顔立ちは中性的な女騎士は、その真ん中をまっすぐ前へ出た。
ダツゼイグマが突進する。
剣が一度だけ光った。
胴体はその場に残った。
ところが四本の脚だけは止まらなかった。
ぴょん。
ぴょん。
四本とも、妙に足並みを揃えて街道の先へ跳ねていく。
騎士たちの首が、そろって右へ動いた。
脚はまだ行く。
ぴょん。
ぴょん。
小さくなる。
さらに小さくなる。
とうとう四本とも、地平線の向こうへ消えた。
二十二歳。ベリーショートの髪に、すらりとした長身。凛々しい顔立ちは中性的な女騎士は、剣を鞘へ戻した。
「急ぐぞ」
副団長も剣を収めた。
「よし、陣形を解除!」
重々しく副団長が言った。
***
その頃、国家に追われている本人たちは、宿を出たところだった。
ヴィクトリアは、宿の主人がどこからか出してきた町娘の服を着ている。
「おぼっちゃまぁぁぁ! どうか……どうかお元気でぇぇぇ!」
ヴィクトリアが楽しそうに手を振る。
「ばいばーい!」
街道をしばらく歩いてから振り返っても、主人はまだ両手を振っていた。さらに歩いて振り返ると、宿の屋根に登って振っていた。
「おぼっちゃまぁぁぁぁぁ!」
街道の先に、武装した騎馬の集団が見えた。
ヴィクトリアが、また楽しそうに手を振った。
「ごきげんよう!」
遠くの騎馬が、一斉にこちらを向いた。
「王女殿下! 貴様、王女から離れろ!」
騎士の一人が吠えて、隣を振り返った。
「団長、あれを――」
隣には誰もいなかった。
「……団長?」
吠えた騎士が、仕方なく剣を抜く。
「囲め! 鶴翼の陣!」
騎士たちが左右へ広がろうとして行き違っている間に、俺はヴィクトリアを抱き上げて走った。
「逃げたぞ!」
「追え!」
「待て、手綱が絡まってる!」
「誰の足だこれ!」
振り返ると、十騎はまだ一つの塊になっていた。
***
さすがは逃げ足世界一。塊がみるみる遠ざかる。
前方に森が見えた。だが木々の向こうから白銀の騎士が現れ、道を塞いだ。
「止まれ!」
白銀の騎士はなぜか馬の首にしがみついていて震えている。
「こわい!」
首にしがみついたまま、そろそろと右足を下ろす。地面についたので、今度は左足も下ろそうとした。
そこで鎧の重さに負け、身体だけが先に傾いた。
「わっ、わっ、わっ……」
片足を鐙に残したまま、騎士はしばらく斜めになって耐えた。馬は微動だにしない。
どうにか両足を地面につけると、今度は俺の腕の中のヴィクトリアを見る。
「おうじょさま、たすける!」
一歩、二歩と進み、三歩目で、がしゃん、と前から倒れた。
それでも両手を地面について起き上がろうとする。
「んんん……!」
上半身が少し浮いたところで、また鎧に負けて、がしゃんと落ちた。
「んんんんん……!」
さっきより少し高い。
がしゃん。
今度は勢いまでつけた。
「えいっ!」
三センチほど浮いたところで、がしゃんと落ちた。
やがて、鎧の肩が震え始めた。
「よろい、おもいぃ……、びえええええええん! よろい、ぬげないいいい!」
伏せたまま両足をばたばたさせ、鼻をずるっとすする。鉄靴が地面を叩くたびにがしゃがしゃと派手な音がして、驚いた馬がようやく一歩下がった。
唖然としたまま俺は眺めていたが、ヴィクトリアを下ろし、片膝をついて騎士を抱き起こした。地面に両足を投げ出して座らせ、背中を腕で支える。
「ぐすっ……あたまも、おもい……」
兜を外してやると、ベリーショートの髪と凛々しい顔が現れた。
ヴィクトリアが、指にはめていた指輪キャンディを外した。
「あげますわ」
女騎士は指輪をぺろりと舐めてから顔を上げ、俺を見た。
近い。顔と顔の距離は十センチもない。泣いたばかりの目はまだ潤み、長いまつ毛の先には小さな涙が残っていた。さっきまで鎧ごと転がって鼻をすすっていた女とは思えないほど、兜を外した顔は整っている。
女騎士が少しだけ顔を寄せた。息が頬に触れる。
ドキッとした。
女騎士の潤んだ目が細くなり、にこっと笑う。
「お兄ちゃん、ちゅき」




