お兄ちゃんと添い寝
「だっこ!」
森の中で、助け出した女が両手を伸ばしていた。
「さっきまでずっと抱えてただろ」
「だっこ!」
「歩けるだろ」
「や!」
見た目だけなら、とんでもない美少女だ。長い金髪に、エメラルドグリーンの大きな瞳。俺と同じくらいの歳に見える。豪華そうなドレスを着ているが、今は泥だらけで、裾には草までくっついていた。それなのに、やっていることは完全に幼児だった。
「分かった。分かったから暴れるな」
「わーい!」
仕方なく抱き上げると、女は満足そうに俺の首へ腕を回した。
「お兄ちゃん!」
「俺はお前の兄じゃない」
「お兄ちゃん!」
「はいはい」
そこで、今さらながら気づいた。
「そういや、お前、名前なんていうんだ?」
女は俺の腕の中で胸を張った。
「ヴィクトリア!」
「ヴィクトリアな。で、どこの人なんだ?」
「ゼイキンムシリトリーノおうこくの、だいいちおうじょですわ!」
俺は足を止めた。
「……第一王女?」
「うん!」
「お前が?」
「うん!」
ヴィクトリアは得意げだった。
「まあいいや。とりあえず森を出よう」
森を抜けて街道へ出ると、俺はヴィクトリアを連れて明かりのある方へ歩いた。
***
しばらく歩くと、ようやく明かりが見えた。
小さな街道宿だった。
「助かった……」
もう夜も遅い。野宿だけは避けたかった。
扉を開けると、がっしりした体格の男が帳場から顔を上げた。俺たちを上から下まで眺めると、露骨に面倒そうな顔をする。
「泊まりか?」
「はい。一晩泊まりたいんですけど」
「金はあんのか?」
「あります。たぶん」
「たぶんじゃ困るんだよ。先払いだ。ないなら帰んな」
「一部屋でいいか?」
「いや、二部屋で」
そう答えた瞬間、服を引っ張られた。
「お兄ちゃんといっしょ!」
「寝るだけだろ」
ヴィクトリアは両手で顔を覆った。
「うえええええん!」
肩が震えている。泣き声も大きい。
ただ、指の隙間がやけに広い。その隙間から、エメラルドグリーンの目がこっちをうかがっていた。
目が合った。
「うえええええええん!」
声が一段大きくなった。
宿の主人が俺たちを見比べた。
「一部屋でいいのか?」
「……一部屋で」
「わーい!」
一瞬で泣き止んだ。顔には涙の跡ひとつなかった。
「じゃあ、宿代を先にもらおうか」
そこで俺は固まった。
金がない。
この世界の金なんて一枚も持っていない。
「ヴィクトリア。お前、金持ってないか?」
「ない!」
ヴィクトリアは少し考え、自分の指にはまっていた指輪に気づいた。
「あ!」
ぱっと顔を輝かせると、嬉しそうに指輪を抜いた。
金の台座には、冗談みたいに大きな赤い宝石が載っていた。
指輪というより、握って殴れば目潰しに使えそうな大きさだ。
「これを差し上げますわ!」
「いや、宿代だからな」
ヴィクトリアはそんなことは気にせず、得意げに宿の主人へ指輪を差し出した。
主人はぞんざいに受け取り、指輪を見た。
そして固まった。
「……これを、宿代に?」
「ええ!」
主人はもう一度指輪を見た。
次の瞬間、床にひれ伏した。額を地面にこすりつける勢いの土下座だった。
「ありがとうございます!」
「急にどうした」
「宿ごと差し上げます! 私もつけます!」
「お前はいらん!」
主人は立ち上がると、さっきまでとは別人のような笑顔を浮かべた。
「おぼっちゃま、お部屋はこちらでございます。お嬢さまも、どうぞ足元にお気をつけくださいませ」
「急に呼び方まで変わったな」
指輪を手放したヴィクトリアは、それでも満足そうにしている。
「ほら。代わり」
ポケットを軽く叩き、宝石のついた指輪を一つ出した。
もちろん宝石じゃない。飴だ。
「わあああ!」
ヴィクトリアは目を輝かせて受け取ると、さっそく指にはめた。大きな飴の宝石をひと舐めすると、さらに顔を輝かせる。
「お兄ちゃん、ちゅき!」
***
「おぼっちゃま、お食事をお持ちいたしました!」
部屋へ案内されるなり、宿の主人が料理を運び込んできた。
肉の塊。焼いた魚。湯気を立てるスープ。パンに果物まで、テーブルが見えなくなる勢いで皿が並んでいく。
「こんなに?」
「どうぞ、ご遠慮なく!」
俺は異世界に来てから、まともな飯を一度も食っていなかった。ヴィクトリアも椅子に座るなり、嬉しそうに肉へ手を伸ばす。
「おいしい!」
「ちゃんと噛めよ」
俺も食べた。うまかった。
一皿空けると、宿の主人がすかさず新しい皿を置いた。
「おかわりをどうぞ!」
「いや、もう十分です」
「かしこまりました!」
さらに新しい皿が置かれた。
「何をかしこまったんだ」
置く場所がなくなると、主人は皿の上に皿を積み始めた。肉の上に魚、魚の上にスープ、スープの上にパン。テーブルの真ん中に、料理の塔ができあがっていく。
「てっぺんの、たべる!」
ヴィクトリアが椅子の上に立ち、塔のてっぺんの果物へ手を伸ばした。
塔が傾いた。
「待て待て待て!」
俺が塔を押さえると、反対側からパンが滑り落ちた。それを受け止めようとした主人の肘がスープの皿を弾き、スープが宙を舞って、俺の頭に着地した。
「あっつ!」
飛びのいた俺の背中がテーブルを押し、塔の残りがまとめてヴィクトリアの方へ倒れる。ヴィクトリアは椅子の上で口を開けたまま待ち構え、落ちてきた果物を見事に口で受け止めた。
「とれた!」
主人は床に散らばった皿の前で、深々と頭を下げた。
「おかわりをお持ちいたします!」
「持ってくんな!」
どうにか主人を止めたころには、腹は完全にいっぱいで、頭からはスープの匂いがした。
***
宿の主人が用意した寝間着に着替えてから、部屋へ入ると、ベッドが一つあった。
「……一つか」
ヴィクトリアがベッドへ飛び込んだところで、扉が鳴った。
コンコン。
「おぼっちゃま、お飲み物をお持ちしました」
「頼んでないです」
飲み物だけ受け取って扉を閉めた。
しばらくすると、また鳴った。
コンコン。
「おぼっちゃま、お肩は凝っておりませんか」
「大丈夫です」
扉を閉めた。
今度こそ寝ようとしたところで、また鳴った。
コンコン。
また来た。
「おぼっちゃま」
「今度はなんですか」
「お眠りまで添い寝いたしましょうか」
「帰れ!」
扉を閉め、念のため鍵までかけた。
振り返ると、ヴィクトリアは布団の中から隣の空いた場所を、ぽんぽんと叩いていた。
「お兄ちゃん、ここ!」
「俺は床でいい」
「や!」
「ベッド使っていいから」
「いっしょ!」
ヴィクトリアが布団から身を乗り出し、俺の服をつかんだ。
「分かったから引っ張るな」
ベッドに入ると、ヴィクトリアは満足そうに俺の腕へくっついた。
「お兄ちゃん」
「なんだよ」
「ちゅき」
「はいはい。寝ろ」
頭を軽く撫でると、ヴィクトリアは目を閉じた。
しばらくして、寝息が聞こえ始める。
俺は天井を見上げた。
第一王女。
本当なら城へ連れていくべきなんだろう。
とりあえず明日、大きな街へ行こう。
そこでまともな人間を探して、この自称第一王女をどうするか考える。
異世界に来た初日から、なんで俺が成人女性を寝かしつけているんだ。
俺はもっとこう、剣とか魔法とか、美少女との出会いとか、そういうものを想像していた。
美少女との出会いだけは、確かにあった。
「お兄ちゃん……」
***
王城では第一王女誘拐の報が広がっていた。
王座には、昨日、黄金像の除幕式会場に置き去りにされた国王が座っていた。
「第一王女ヴィクトリアを救出せよ」
国王の命令を受け、一人の女騎士が前へ出た。
二十二歳。ベリーショートの髪に、すらりとした長身。目鼻立ちは凛々しく整い、美少年と言っても通用しそうな顔立ちをしている。
「承知いたしました」
女騎士は胸に拳を当て、静かに頭を下げた。




