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3/14

お兄ちゃんと添い寝

「だっこ!」


森の中で、助け出した女が両手を伸ばしていた。


「さっきまでずっと抱えてただろ」

「だっこ!」

「歩けるだろ」

「や!」


見た目だけなら、とんでもない美少女だ。長い金髪に、エメラルドグリーンの大きな瞳。俺と同じくらいの歳に見える。豪華そうなドレスを着ているが、今は泥だらけで、裾には草までくっついていた。それなのに、やっていることは完全に幼児だった。


「分かった。分かったから暴れるな」

「わーい!」


仕方なく抱き上げると、女は満足そうに俺の首へ腕を回した。


「お兄ちゃん!」

「俺はお前の兄じゃない」

「お兄ちゃん!」

「はいはい」


そこで、今さらながら気づいた。


「そういや、お前、名前なんていうんだ?」


女は俺の腕の中で胸を張った。


「ヴィクトリア!」


「ヴィクトリアな。で、どこの人なんだ?」

「ゼイキンムシリトリーノおうこくの、だいいちおうじょですわ!」


俺は足を止めた。


「……第一王女?」

「うん!」

「お前が?」

「うん!」


ヴィクトリアは得意げだった。


「まあいいや。とりあえず森を出よう」


森を抜けて街道へ出ると、俺はヴィクトリアを連れて明かりのある方へ歩いた。


***


しばらく歩くと、ようやく明かりが見えた。


小さな街道宿だった。


「助かった……」


もう夜も遅い。野宿だけは避けたかった。


扉を開けると、がっしりした体格の男が帳場から顔を上げた。俺たちを上から下まで眺めると、露骨に面倒そうな顔をする。


「泊まりか?」

「はい。一晩泊まりたいんですけど」

「金はあんのか?」


「あります。たぶん」

「たぶんじゃ困るんだよ。先払いだ。ないなら帰んな」


「一部屋でいいか?」

「いや、二部屋で」


そう答えた瞬間、服を引っ張られた。


「お兄ちゃんといっしょ!」

「寝るだけだろ」


ヴィクトリアは両手で顔を覆った。


「うえええええん!」


肩が震えている。泣き声も大きい。


ただ、指の隙間がやけに広い。その隙間から、エメラルドグリーンの目がこっちをうかがっていた。


目が合った。


「うえええええええん!」


声が一段大きくなった。


宿の主人が俺たちを見比べた。


「一部屋でいいのか?」

「……一部屋で」

「わーい!」


一瞬で泣き止んだ。顔には涙の跡ひとつなかった。


「じゃあ、宿代を先にもらおうか」


そこで俺は固まった。


金がない。


この世界の金なんて一枚も持っていない。


「ヴィクトリア。お前、金持ってないか?」

「ない!」


ヴィクトリアは少し考え、自分の指にはまっていた指輪に気づいた。


「あ!」


ぱっと顔を輝かせると、嬉しそうに指輪を抜いた。


金の台座には、冗談みたいに大きな赤い宝石が載っていた。

指輪というより、握って殴れば目潰しに使えそうな大きさだ。


「これを差し上げますわ!」


「いや、宿代だからな」


ヴィクトリアはそんなことは気にせず、得意げに宿の主人へ指輪を差し出した。


主人はぞんざいに受け取り、指輪を見た。


そして固まった。


「……これを、宿代に?」

「ええ!」


主人はもう一度指輪を見た。


次の瞬間、床にひれ伏した。額を地面にこすりつける勢いの土下座だった。


「ありがとうございます!」

「急にどうした」

「宿ごと差し上げます! 私もつけます!」

「お前はいらん!」


主人は立ち上がると、さっきまでとは別人のような笑顔を浮かべた。


「おぼっちゃま、お部屋はこちらでございます。お嬢さまも、どうぞ足元にお気をつけくださいませ」

「急に呼び方まで変わったな」


指輪を手放したヴィクトリアは、それでも満足そうにしている。


「ほら。代わり」


ポケットを軽く叩き、宝石のついた指輪を一つ出した。


もちろん宝石じゃない。飴だ。


「わあああ!」


ヴィクトリアは目を輝かせて受け取ると、さっそく指にはめた。大きな飴の宝石をひと舐めすると、さらに顔を輝かせる。


「お兄ちゃん、ちゅき!」


***


「おぼっちゃま、お食事をお持ちいたしました!」


部屋へ案内されるなり、宿の主人が料理を運び込んできた。


肉の塊。焼いた魚。湯気を立てるスープ。パンに果物まで、テーブルが見えなくなる勢いで皿が並んでいく。


「こんなに?」


「どうぞ、ご遠慮なく!」


俺は異世界に来てから、まともな飯を一度も食っていなかった。ヴィクトリアも椅子に座るなり、嬉しそうに肉へ手を伸ばす。


「おいしい!」


「ちゃんと噛めよ」


俺も食べた。うまかった。


一皿空けると、宿の主人がすかさず新しい皿を置いた。


「おかわりをどうぞ!」

「いや、もう十分です」

「かしこまりました!」


さらに新しい皿が置かれた。


「何をかしこまったんだ」


置く場所がなくなると、主人は皿の上に皿を積み始めた。肉の上に魚、魚の上にスープ、スープの上にパン。テーブルの真ん中に、料理の塔ができあがっていく。


「てっぺんの、たべる!」


ヴィクトリアが椅子の上に立ち、塔のてっぺんの果物へ手を伸ばした。


塔が傾いた。


「待て待て待て!」


俺が塔を押さえると、反対側からパンが滑り落ちた。それを受け止めようとした主人の肘がスープの皿を弾き、スープが宙を舞って、俺の頭に着地した。


「あっつ!」


飛びのいた俺の背中がテーブルを押し、塔の残りがまとめてヴィクトリアの方へ倒れる。ヴィクトリアは椅子の上で口を開けたまま待ち構え、落ちてきた果物を見事に口で受け止めた。


「とれた!」


主人は床に散らばった皿の前で、深々と頭を下げた。


「おかわりをお持ちいたします!」

「持ってくんな!」


どうにか主人を止めたころには、腹は完全にいっぱいで、頭からはスープの匂いがした。


***


宿の主人が用意した寝間着に着替えてから、部屋へ入ると、ベッドが一つあった。


「……一つか」


ヴィクトリアがベッドへ飛び込んだところで、扉が鳴った。


コンコン。


「おぼっちゃま、お飲み物をお持ちしました」

「頼んでないです」


飲み物だけ受け取って扉を閉めた。


しばらくすると、また鳴った。


コンコン。


「おぼっちゃま、お肩は凝っておりませんか」

「大丈夫です」


扉を閉めた。


今度こそ寝ようとしたところで、また鳴った。


コンコン。


また来た。


「おぼっちゃま」

「今度はなんですか」

「お眠りまで添い寝いたしましょうか」

「帰れ!」


扉を閉め、念のため鍵までかけた。


振り返ると、ヴィクトリアは布団の中から隣の空いた場所を、ぽんぽんと叩いていた。


「お兄ちゃん、ここ!」


「俺は床でいい」

「や!」

「ベッド使っていいから」

「いっしょ!」


ヴィクトリアが布団から身を乗り出し、俺の服をつかんだ。


「分かったから引っ張るな」


ベッドに入ると、ヴィクトリアは満足そうに俺の腕へくっついた。


「お兄ちゃん」

「なんだよ」

「ちゅき」

「はいはい。寝ろ」


頭を軽く撫でると、ヴィクトリアは目を閉じた。


しばらくして、寝息が聞こえ始める。


俺は天井を見上げた。


第一王女。


本当なら城へ連れていくべきなんだろう。


とりあえず明日、大きな街へ行こう。


そこでまともな人間を探して、この自称第一王女をどうするか考える。


異世界に来た初日から、なんで俺が成人女性を寝かしつけているんだ。


俺はもっとこう、剣とか魔法とか、美少女との出会いとか、そういうものを想像していた。


美少女との出会いだけは、確かにあった。


「お兄ちゃん……」


***


王城では第一王女誘拐の報が広がっていた。


王座には、昨日、黄金像の除幕式会場に置き去りにされた国王が座っていた。


「第一王女ヴィクトリアを救出せよ」


国王の命令を受け、一人の女騎士が前へ出た。


二十二歳。ベリーショートの髪に、すらりとした長身。目鼻立ちは凛々しく整い、美少年と言っても通用しそうな顔立ちをしている。


「承知いたしました」


女騎士は胸に拳を当て、静かに頭を下げた。

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