奴隷の少女
「馬鹿野郎! 女は殺すなと言っただろうが!」
戸口から入ってきた別の男が、怒鳴った。
「……すんません」
男たちは倒れた母親をそのままにして、ミナを縄につないだ。
「母さん!」
母親は、答えなかった。
刃向かった者と年寄りは、その場で殺された。残った者は、一本の縄につながれた。前から女、男、子どもの順だった。
燃える村が、遠ざかっていった。列のいちばん後ろで、ミナの隣には、ドリスがつながれていた。
列のずっと前のほうで、ドリスの母親の声がした。
「ドリス! ドリス、いるの! 返事して!」
「うるせえ!」
殴る音がして、悲鳴が上がった。
「顔はなぐるなよ」
別の男の声だった。
「逆らわない! 逆らわないから、やめてくれ!」
列の真ん中から、ドリスの父親の声がした。殴る音は、さっきより長く続いた。悲鳴も、長く続いた。
ドリスは泣いていなかった。前をにらんだまま、唇をきつく噛んでいた。
ミナの手を、縄ごと握っていた。痛いくらいに、強く。その手が、ぶるぶると震えていた。
***
夜通し歩かされて、明け方に着いたのは、南の村だった。
ミナも知っている村だった。秋祭りの日には、父親に手を引かれて来たことがある。けれど、祭りの日ににぎやかだった広場で笑っている者はいなかった。畑では、見覚えのある顔の男たちが、足に縄をつけられたまま鍬を振っていた。村のまわりには、膝の高さまでレンガが積まれていた。
この村も、とっくに襲われていたのだ。
着いてすぐに、縄が切られた。大人の男と、大人の女と、子どもに分けられた。
女たちが、先に連れていかれた。ドリスの母親が一度だけ振り返り、男に背中を押されて、見えなくなった。
子どもが入れられたのは、村はずれの荒れ地に建つ、窓のない石造りの倉庫だった。もとは村の麦をしまう倉庫で、戸には外から閂がかかる。ミナの村の子どもは、ミナとドリスを入れて七人。いちばん年上が、十四のミナとドリスだった。
子どもたちの番をしているのは、女だった。きれいな顔をしていた。縄は、つけていなかった。
「いいかい。おとなしくして、真面目に働きゃ、飯はちゃんと出る」
女は、子どもたちを見回した。
「あたしみたいにね。あたしは、あの人たちが来たとき、真っ先に頭を下げたんだ。なんでもします、仲間に入れてくださいってね」
女は、顎を上げた。
「今じゃ、ここを仕切ってるあの人と一緒に飯を食ってるんだよ」
倉庫の中は、薄暗かった。床は、冷たい石だった。隅に水瓶が一つ、反対の隅に用を足すための桶が一つあった。女は、子どもたちに毛布を一枚ずつ放って、出ていった。外から閂のかかる音がした。
ミナは、毛布を広げもしないで、石の床に体を丸めた。
暗がりの中で、喉の奥から声がもれた。
「……母さん」
一度もれると、止まらなかった。
隣で、毛布を引きずる音がした。ドリスが、自分の毛布ごと、ミナを抱きしめた。何も言わなかった。ドリスの腕は、震えていた。
ミナは、ドリスの腕の中で泣きながら、眠った。
その夜から、ミナは毎晩、眠ったまま泣いた。
***
翌日から男たちは、塀を造らされていた。力のある女たちは、塀に使うレンガを作らされた。子どもたちは、中年の女や力の弱い女たちと一緒に、飯炊きに回された。
小さい子は、野菜や器を洗った。ドリスとミナは、下ごしらえに回された。女が包丁を差し出すと、ドリスがミナより先に受け取った。ミナに回ってきたのは、手でやる仕事だった。
男たちの飯には、村の鶏が出た。奴隷の飯は、豆と固いパンだった。
ミナは、鶏の羽をむしっていた。
大きな羽は、とっくに抜き終わっていた。それでも、皮に細い毛が残っていた。ミナは、それを一本ずつつまんで抜いた。一本抜くと、隣の一本が目についた。それも抜いた。
足元が、濡れていた。
「何してんだい」
女が、上から見下ろしていた。ミナの手元の鶏を見て、それから足元を見た。
「いつまでむしってんだい。宮廷の料理でも作る気かい」
それから、わざと大きな声で言った。
「この子、漏らしてるよ!」
そして突き飛ばした。
「ああ、汚い」
ドリスが、まな板の前から駆け寄ってきた。
「すみません、着替えさせてきます」
「ほっときな。余計なことすると、あんたも同罪だよ」
女のひと言で、ドリスの足が止まった。ドリスは、自分のまな板の前へ戻っていった。
替えの服は、もらえなかった。濡れたまま、日が暮れるまで床拭きをさせられた。
夜になると、パンが倉庫に渡された。六つだった。
「あの子の分は、ないよ」
「あのおばさん、意地悪」
ドリスは、自分のパンを半分にちぎって、ミナに差し出した。
「そうだね。今日は、これ食べて」
次の日もその次の日も、ミナはしくじった。鍋を焦がした。水を汲みに行って、桶を井戸端に置いてきた。呼ばれても、返事をしなかった。そのたびに、ミナの夜のパンは抜かれた。そのたびに、ドリスが半分をくれた。
***
ある日、男たちの飯を運ぶ女の手が、足りなかった。
「あんたも運びな」
ミナは、スープの皿を持たされた。
男たちは、塀のそばに座って飯を待っていた。ミナは皿を両手で持って、そろそろと歩いた。
足が、もつれた。
ミナの体が前へ飛んだ。皿はミナの手を離れて、くるくると宙を舞い、男の一人の頭の上に、すぽんと伏さった。
「熱っちい!」
男が飛び上がった。番の女が、いつもそばで笑っている男だった。
男はスープをしたたらせたまま、駆け寄ってきた番の女を殴りつけた。
「ちゃんと躾けとけ!」
倉庫に戻ると、女はミナの腕をつかんで、袖の上から棒で打った。背中も打った。顔だけは、打たなかった。
「なんで、あんたは普通にできないんだい」
ドリスが、ミナの前に出た。女は、ドリスも打った。棒は、なかなか止まらなかった。
その夜、倉庫に渡されたパンは三つだった。
「あの子の分は、なし。あんたたちも半分だよ。文句は、あの子に言いな」
小さい子が、泣き出した。ほかの子たちが、ミナを見た。
ドリスは、自分の半分を、さらに半分にちぎって、ミナに差し出した。
ミナは受け取って、すぐに食べた。それから、ドリスを見た。
「ドリス、もっとパンはないの? お腹すいた」
ドリスは、黙っていた。壁のほうを向いたまま、動かなかった。
「ねえ、お腹すいた」
「なんで」
ドリスが、振り向いた。
「なんで、いつもそうなの」
ドリスの声は、震えていた。ミナは、ぽかんとしていた。
「わたし、すごく痛かったんだよ。毎日パンもあげてたのに」
ミナは、まばたきをした。なんでドリスが怒っているのか、分からなかった。
「小さい子だって、お腹減ってるんだよ」
倉庫の中の子どもたちが、こっちを見た。ドリスは声を落とさなかった。
「わざとじゃないなら、なんでできないの! ちゃんとやってよ! なんで、普通にできないの!」
番の女と、同じ言葉だった。
ドリスは、はっとした顔をした。何か言いかけて、やめた。それから、また壁のほうを向いた。
その夜から、ドリスはミナをかばわなくなった。
夜中に目を覚ますと、ミナの頬は濡れていた。ドリスは、ミナに背中を向けて眠っていた。
***
やがて、子どもが一人、また一人と連れ出されていった。泣いて母親を呼ぶ子も、ドリスの服をつかんで離さない子もいた。誰も、戻ってこなかった。
夏が来るころには、倉庫の中には、ミナとドリスしか残っていなかった。
窓のない倉庫の中は、蒸し風呂のようだった。風はどこからも入らず、石の壁が昼の熱を夜までため込んだ。豆とパンだけの飯では、体がもたなかった。二人とも、立ち上がるのもやっとになっていた。
二人は、左右の壁にそれぞれもたれて、足を投げ出して座っていた。顔を上げれば、いやでも向かいの相手が目に入った。一言も、しゃべらなかった。
ドリスが、咳をするようになった。
最初は、小さな咳だった。咳は、だんだん大きくなった。夜になると止まらなくなった。パンも、半分以上残すようになった。そして、一口も食べなくなった。
ドリスの膝もとに、食べ残しのパンがたまっていった。誰も片づけなかった。蒸し暑い倉庫の中で、パンは端から青く黴びていった。
ミナは、それを見ていた。
ドリス、苦しいのかな。
声をかけようとして、やめた。また、あの夜みたいに怒られる気がした。
ミナは、膝を抱えて、目をつぶった。
父さん、母さん。ドリスを、助けてあげて。
「ミナちゃん」
暗がりの中で、ドリスの声がした。
「ミナちゃん……水……」
ミナは、動けなかった。
なんで普通にできないの。ドリスの声が、耳の奥でぐるぐる回った。
「ミナちゃん、助けて……」
ドリスに、助けてと言われたのは、初めてだった。
助けてくれるのは、いつもドリスだった。ミナは、誰かを助けたことなんて、一度もなかった。
無理だ、と思った。
ミナは、両手で耳をふさいだ。
体を丸めて、目をつぶった。
そのまま、朝まで動かなかった。
朝になると、ドリスは目を開けていた。ミナのほうを向いていたが、どこも見ていなかった。ミナは、何も言えなかった。
その日のうちに、ドリスは壁にもたれていられなくなった。座ったまま横に倒れて、そのまま起き上がらなかった。
次の日、横になったままのドリスの腰のあたりで、毛布に濡れたしみができた。しみは、少しずつ広がっていった。
ドリスは、目を開けたまま、身動き一つしなかった。
ミナは、怖かった。壁に背中をつけたまま、動けなかった。
父さん、母さん、助けて。
涙が、ぼろぼろとこぼれた。
男が二人来て、ドリスを見下ろした。
「こいつはもう駄目だな」
男たちは、ドリスの両足をつかんだ。
「……どこに連れてくの」
ミナが聞いた。男たちは答えなかった。
ドリスは、石の床を引きずられていった。毛布が、途中で落ちた。ドリスの腕は、床の上でぶらんと揺れていた。
ミナは、壁から体を離した。這うようにして追いかけて、ドリスにしがみついた。
「ドリスを連れてかないで!」
「臭え」
男の一人が、ミナを蹴り飛ばした。ミナは、石の床に転がった。
戸が閉まって、閂の音がした。
ミナは、這って戸にすがりついた。
どん、どん。
「ドリスを返して! ドリスを返して!」
叩いても、叫んでも、戸は開かなかった。
戸口のあたりに、ドリスの毛布が落ちていた。
***
次の日の昼過ぎから、外が騒がしくなった。馬のいななき。何台もの荷馬車の車輪がきしむ音。男たちの怒鳴り声。
「みんな乗れ! もたもたするな!」
殴る音がした。
「ちょっと、あたしは違うよ! あの人に聞いとくれ!」
番の女の声だった。誰も、返事をしなかった。
夕方には、外の音がやんだ。
その夜、倉庫の裏口の前で、男が二人、酒を回していた。
「あのガキ、どこへやった」
「北の村に捨ててきた」
「ご苦労なこった。で、次はどいつだ」
「隅っこで動かねえやつだろ。もう何日も食ってねえ。ほっといても、そのうちだ」
「戸、開いてたぞ」
「臭えんだよ。どうせ動きゃしねえ」
男たちは笑った。
「北の村」という言葉のところで、ミナの指が、かすかに動いた。
ドリスは、北の村にいる。
行かなくちゃ、と思った。
今度は、ミナが助けに行く。
そして、仲直りする。これからは、ドリスにパンもあげよう。殴られそうになったら、守ってあげよう。お漏らししたら、着替えさせてあげるんだ。
夜更け。見張りの男は、開け放された扉にもたれて居眠りをしていた。隅の死にかけを気にかける者は、もう誰もいなかった。
ミナは立ち上がった。ふらつきながら、男の脇をすり抜けた。
塀の門は、昼に馬車が出ていったまま、開いていた。レンガの塀に沿って歩き、ミナは門を出た。
外は真っ暗だった。北を向いて、裸足のまま歩き出した。
「……ごめんね。いま、いくから」
荒れ地の石が、足の裏に刺さった。何度も転んだ。転ぶたびに起き上がって、北へ歩いた。
***
ドリスは、ミナの村の外れで冷たくなっていた。
ミナは、その場に座り込んだ。声が出なかった。息だけが、ひっ、ひっ、と喉の奥で引っかかった。
ここに、置いておけない。
畑の隅に、鍬が一本転がっていた。ミナはそれで穴を掘り、ドリスを土の下に寝かせた。
ミナは自分の家の焼け跡へ行き、骨だけになった父さんと母さんも、ドリスの横に埋めた。
二度目の朝になっていた。
三つの土の山に、丸い石を一つずつ置いた。それから、畑の端に咲いていた白い小さな花を、一輪ずつ添えた。
水をあげよう。
ミナは立ち上がって、村の井戸のほうへ歩き出した。焼けた家のあいだの道を、一歩、また一歩。
井戸が見えたところで、足がもつれた。そのまま、前のめりに倒れた。
ミナの手は、土で真っ黒になっていた。
父さん、母さん、ドリス。みんなを、困らせてばっかりだったね。ごめんね。
いま、そっちに行くね。
ミナは目を閉じた。
***
日が、高くなっていた。
遠くから、声が聞こえた。
「きゃっきゃっ」
「わあーーーーーーーー」
騒がしい声だった。こんな荒れ地に似合わない、能天気な声。
ミナは、目を開けなかった。
開ける力は、もう残っていなかった。
どーん、と、すぐ近くで土塀の崩れる音がして、声が止まった。
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