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12/14

奴隷の少女

「馬鹿野郎! 女は殺すなと言っただろうが!」


戸口から入ってきた別の男が、怒鳴った。


「……すんません」


男たちは倒れた母親をそのままにして、ミナを縄につないだ。


「母さん!」


母親は、答えなかった。


刃向かった者と年寄りは、その場で殺された。残った者は、一本の縄につながれた。前から女、男、子どもの順だった。


燃える村が、遠ざかっていった。列のいちばん後ろで、ミナの隣には、ドリスがつながれていた。


列のずっと前のほうで、ドリスの母親の声がした。


「ドリス! ドリス、いるの! 返事して!」

「うるせえ!」


殴る音がして、悲鳴が上がった。


「顔はなぐるなよ」


別の男の声だった。


「逆らわない! 逆らわないから、やめてくれ!」


列の真ん中から、ドリスの父親の声がした。殴る音は、さっきより長く続いた。悲鳴も、長く続いた。


ドリスは泣いていなかった。前をにらんだまま、唇をきつく噛んでいた。


ミナの手を、縄ごと握っていた。痛いくらいに、強く。その手が、ぶるぶると震えていた。


***


夜通し歩かされて、明け方に着いたのは、南の村だった。


ミナも知っている村だった。秋祭りの日には、父親に手を引かれて来たことがある。けれど、祭りの日ににぎやかだった広場で笑っている者はいなかった。畑では、見覚えのある顔の男たちが、足に縄をつけられたまま鍬を振っていた。村のまわりには、膝の高さまでレンガが積まれていた。


この村も、とっくに襲われていたのだ。


着いてすぐに、縄が切られた。大人の男と、大人の女と、子どもに分けられた。


女たちが、先に連れていかれた。ドリスの母親が一度だけ振り返り、男に背中を押されて、見えなくなった。


子どもが入れられたのは、村はずれの荒れ地に建つ、窓のない石造りの倉庫だった。もとは村の麦をしまう倉庫で、戸には外から閂がかかる。ミナの村の子どもは、ミナとドリスを入れて七人。いちばん年上が、十四のミナとドリスだった。


子どもたちの番をしているのは、女だった。きれいな顔をしていた。縄は、つけていなかった。


「いいかい。おとなしくして、真面目に働きゃ、飯はちゃんと出る」


女は、子どもたちを見回した。


「あたしみたいにね。あたしは、あの人たちが来たとき、真っ先に頭を下げたんだ。なんでもします、仲間に入れてくださいってね」


女は、顎を上げた。


「今じゃ、ここを仕切ってるあの人と一緒に飯を食ってるんだよ」


倉庫の中は、薄暗かった。床は、冷たい石だった。隅に水瓶が一つ、反対の隅に用を足すための桶が一つあった。女は、子どもたちに毛布を一枚ずつ放って、出ていった。外から閂のかかる音がした。


ミナは、毛布を広げもしないで、石の床に体を丸めた。


暗がりの中で、喉の奥から声がもれた。


「……母さん」


一度もれると、止まらなかった。


隣で、毛布を引きずる音がした。ドリスが、自分の毛布ごと、ミナを抱きしめた。何も言わなかった。ドリスの腕は、震えていた。


ミナは、ドリスの腕の中で泣きながら、眠った。


その夜から、ミナは毎晩、眠ったまま泣いた。


***


翌日から男たちは、塀を造らされていた。力のある女たちは、塀に使うレンガを作らされた。子どもたちは、中年の女や力の弱い女たちと一緒に、飯炊きに回された。


小さい子は、野菜や器を洗った。ドリスとミナは、下ごしらえに回された。女が包丁を差し出すと、ドリスがミナより先に受け取った。ミナに回ってきたのは、手でやる仕事だった。


男たちの飯には、村の鶏が出た。奴隷の飯は、豆と固いパンだった。


ミナは、鶏の羽をむしっていた。


大きな羽は、とっくに抜き終わっていた。それでも、皮に細い毛が残っていた。ミナは、それを一本ずつつまんで抜いた。一本抜くと、隣の一本が目についた。それも抜いた。


足元が、濡れていた。


「何してんだい」


女が、上から見下ろしていた。ミナの手元の鶏を見て、それから足元を見た。


「いつまでむしってんだい。宮廷の料理でも作る気かい」


それから、わざと大きな声で言った。


「この子、漏らしてるよ!」


そして突き飛ばした。


「ああ、汚い」


ドリスが、まな板の前から駆け寄ってきた。


「すみません、着替えさせてきます」

「ほっときな。余計なことすると、あんたも同罪だよ」


女のひと言で、ドリスの足が止まった。ドリスは、自分のまな板の前へ戻っていった。


替えの服は、もらえなかった。濡れたまま、日が暮れるまで床拭きをさせられた。


夜になると、パンが倉庫に渡された。六つだった。


「あの子の分は、ないよ」


「あのおばさん、意地悪」


ドリスは、自分のパンを半分にちぎって、ミナに差し出した。


「そうだね。今日は、これ食べて」


次の日もその次の日も、ミナはしくじった。鍋を焦がした。水を汲みに行って、桶を井戸端に置いてきた。呼ばれても、返事をしなかった。そのたびに、ミナの夜のパンは抜かれた。そのたびに、ドリスが半分をくれた。


***


ある日、男たちの飯を運ぶ女の手が、足りなかった。


「あんたも運びな」


ミナは、スープの皿を持たされた。


男たちは、塀のそばに座って飯を待っていた。ミナは皿を両手で持って、そろそろと歩いた。


足が、もつれた。


ミナの体が前へ飛んだ。皿はミナの手を離れて、くるくると宙を舞い、男の一人の頭の上に、すぽんと伏さった。


「熱っちい!」


男が飛び上がった。番の女が、いつもそばで笑っている男だった。


男はスープをしたたらせたまま、駆け寄ってきた番の女を殴りつけた。


「ちゃんと躾けとけ!」


倉庫に戻ると、女はミナの腕をつかんで、袖の上から棒で打った。背中も打った。顔だけは、打たなかった。


「なんで、あんたは普通にできないんだい」


ドリスが、ミナの前に出た。女は、ドリスも打った。棒は、なかなか止まらなかった。


その夜、倉庫に渡されたパンは三つだった。


「あの子の分は、なし。あんたたちも半分だよ。文句は、あの子に言いな」


小さい子が、泣き出した。ほかの子たちが、ミナを見た。


ドリスは、自分の半分を、さらに半分にちぎって、ミナに差し出した。


ミナは受け取って、すぐに食べた。それから、ドリスを見た。


「ドリス、もっとパンはないの? お腹すいた」


ドリスは、黙っていた。壁のほうを向いたまま、動かなかった。


「ねえ、お腹すいた」

「なんで」


ドリスが、振り向いた。


「なんで、いつもそうなの」


ドリスの声は、震えていた。ミナは、ぽかんとしていた。


「わたし、すごく痛かったんだよ。毎日パンもあげてたのに」


ミナは、まばたきをした。なんでドリスが怒っているのか、分からなかった。


「小さい子だって、お腹減ってるんだよ」


倉庫の中の子どもたちが、こっちを見た。ドリスは声を落とさなかった。


「わざとじゃないなら、なんでできないの! ちゃんとやってよ! なんで、普通にできないの!」


番の女と、同じ言葉だった。


ドリスは、はっとした顔をした。何か言いかけて、やめた。それから、また壁のほうを向いた。


その夜から、ドリスはミナをかばわなくなった。


夜中に目を覚ますと、ミナの頬は濡れていた。ドリスは、ミナに背中を向けて眠っていた。


***


やがて、子どもが一人、また一人と連れ出されていった。泣いて母親を呼ぶ子も、ドリスの服をつかんで離さない子もいた。誰も、戻ってこなかった。


夏が来るころには、倉庫の中には、ミナとドリスしか残っていなかった。


窓のない倉庫の中は、蒸し風呂のようだった。風はどこからも入らず、石の壁が昼の熱を夜までため込んだ。豆とパンだけの飯では、体がもたなかった。二人とも、立ち上がるのもやっとになっていた。


二人は、左右の壁にそれぞれもたれて、足を投げ出して座っていた。顔を上げれば、いやでも向かいの相手が目に入った。一言も、しゃべらなかった。


ドリスが、咳をするようになった。


最初は、小さな咳だった。咳は、だんだん大きくなった。夜になると止まらなくなった。パンも、半分以上残すようになった。そして、一口も食べなくなった。


ドリスの膝もとに、食べ残しのパンがたまっていった。誰も片づけなかった。蒸し暑い倉庫の中で、パンは端から青く黴びていった。


ミナは、それを見ていた。


ドリス、苦しいのかな。


声をかけようとして、やめた。また、あの夜みたいに怒られる気がした。


ミナは、膝を抱えて、目をつぶった。


父さん、母さん。ドリスを、助けてあげて。


「ミナちゃん」


暗がりの中で、ドリスの声がした。


「ミナちゃん……水……」


ミナは、動けなかった。


なんで普通にできないの。ドリスの声が、耳の奥でぐるぐる回った。


「ミナちゃん、助けて……」


ドリスに、助けてと言われたのは、初めてだった。


助けてくれるのは、いつもドリスだった。ミナは、誰かを助けたことなんて、一度もなかった。


無理だ、と思った。


ミナは、両手で耳をふさいだ。


体を丸めて、目をつぶった。


そのまま、朝まで動かなかった。


朝になると、ドリスは目を開けていた。ミナのほうを向いていたが、どこも見ていなかった。ミナは、何も言えなかった。


その日のうちに、ドリスは壁にもたれていられなくなった。座ったまま横に倒れて、そのまま起き上がらなかった。


次の日、横になったままのドリスの腰のあたりで、毛布に濡れたしみができた。しみは、少しずつ広がっていった。


ドリスは、目を開けたまま、身動き一つしなかった。


ミナは、怖かった。壁に背中をつけたまま、動けなかった。


父さん、母さん、助けて。


涙が、ぼろぼろとこぼれた。


男が二人来て、ドリスを見下ろした。


「こいつはもう駄目だな」


男たちは、ドリスの両足をつかんだ。


「……どこに連れてくの」


ミナが聞いた。男たちは答えなかった。


ドリスは、石の床を引きずられていった。毛布が、途中で落ちた。ドリスの腕は、床の上でぶらんと揺れていた。


ミナは、壁から体を離した。這うようにして追いかけて、ドリスにしがみついた。


「ドリスを連れてかないで!」


「臭え」


男の一人が、ミナを蹴り飛ばした。ミナは、石の床に転がった。


戸が閉まって、閂の音がした。


ミナは、這って戸にすがりついた。


どん、どん。


「ドリスを返して! ドリスを返して!」


叩いても、叫んでも、戸は開かなかった。


戸口のあたりに、ドリスの毛布が落ちていた。


***


次の日の昼過ぎから、外が騒がしくなった。馬のいななき。何台もの荷馬車の車輪がきしむ音。男たちの怒鳴り声。


「みんな乗れ! もたもたするな!」


殴る音がした。


「ちょっと、あたしは違うよ! あの人に聞いとくれ!」


番の女の声だった。誰も、返事をしなかった。


夕方には、外の音がやんだ。


その夜、倉庫の裏口の前で、男が二人、酒を回していた。


「あのガキ、どこへやった」

「北の村に捨ててきた」

「ご苦労なこった。で、次はどいつだ」

「隅っこで動かねえやつだろ。もう何日も食ってねえ。ほっといても、そのうちだ」

「戸、開いてたぞ」

「臭えんだよ。どうせ動きゃしねえ」


男たちは笑った。


「北の村」という言葉のところで、ミナの指が、かすかに動いた。


ドリスは、北の村にいる。


行かなくちゃ、と思った。


今度は、ミナが助けに行く。


そして、仲直りする。これからは、ドリスにパンもあげよう。殴られそうになったら、守ってあげよう。お漏らししたら、着替えさせてあげるんだ。


夜更け。見張りの男は、開け放された扉にもたれて居眠りをしていた。隅の死にかけを気にかける者は、もう誰もいなかった。


ミナは立ち上がった。ふらつきながら、男の脇をすり抜けた。


塀の門は、昼に馬車が出ていったまま、開いていた。レンガの塀に沿って歩き、ミナは門を出た。


外は真っ暗だった。北を向いて、裸足のまま歩き出した。


「……ごめんね。いま、いくから」


荒れ地の石が、足の裏に刺さった。何度も転んだ。転ぶたびに起き上がって、北へ歩いた。


***


ドリスは、ミナの村の外れで冷たくなっていた。


ミナは、その場に座り込んだ。声が出なかった。息だけが、ひっ、ひっ、と喉の奥で引っかかった。


ここに、置いておけない。


畑の隅に、鍬が一本転がっていた。ミナはそれで穴を掘り、ドリスを土の下に寝かせた。


ミナは自分の家の焼け跡へ行き、骨だけになった父さんと母さんも、ドリスの横に埋めた。


二度目の朝になっていた。


三つの土の山に、丸い石を一つずつ置いた。それから、畑の端に咲いていた白い小さな花を、一輪ずつ添えた。


水をあげよう。


ミナは立ち上がって、村の井戸のほうへ歩き出した。焼けた家のあいだの道を、一歩、また一歩。


井戸が見えたところで、足がもつれた。そのまま、前のめりに倒れた。


ミナの手は、土で真っ黒になっていた。


父さん、母さん、ドリス。みんなを、困らせてばっかりだったね。ごめんね。


いま、そっちに行くね。


ミナは目を閉じた。


***


日が、高くなっていた。


遠くから、声が聞こえた。


「きゃっきゃっ」

「わあーーーーーーーー」


騒がしい声だった。こんな荒れ地に似合わない、能天気な声。


ミナは、目を開けなかった。


開ける力は、もう残っていなかった。


どーん、と、すぐ近くで土塀の崩れる音がして、声が止まった。

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