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11/14

ミナ

辺境の荒れ地の北に、小さな村があった。


畑と、井戸と、家が十軒ほど。ほかには何もない。雨の少ない土地なので、畑の作物はいつもどこか元気がなかったが、村の人間は元気だった。夕方になれば誰かの家の前に集まって、誰かの悪口と、誰かの自慢話と、今年の麦の出来の話をした。毎年、麦の出来は悪かった。毎年、来年はよくなると言っていた。


ミナは、その村の娘だった。


ミナの父親は、自分では村の用心棒のつもりでいた。


といっても、誰かに雇われているわけではない。報酬をもらったこともない。辺境の村には獣も出るし、たまには流れ者も来るから、誰かが守らなければならない。それなら剣を持っている自分がやる、と勝手に決めて、毎朝、畑に出る前に錆びた剣で素振りをし、畑仕事の合間に村をひと回りした。頼まれれば隣の家の屋根も直したし、頼まれなくても井戸の綱を替えた。そういう、お人好しだった。


「俺は、騎士団長の兄弟子だ」


それが、父親の口ぐせだった。若いころ、王都の近くの道場で、ほんの少しだけ剣を習ったことがある。何年もたってから、その道場から王国の騎士団長が出たという噂が、辺境まで流れてきた。同じ師匠に習ったのだから、兄弟子には違いない。それ以来、父親は誰にでもこの話をした。


噂には、尾ひれもついていた。騎士団長は、剣で薪を割る。石も斬る。岩をにらむだけで、岩のほうが割れる。


「なにしろ、俺の弟弟子だからな」


父親は、まるで自分のことのように胸を張った。


村人たちは、それを笑って聞いていた。そのうち誰が言い出したのか、父親は村じゅうから「兄弟子」と呼ばれるようになった。


「それでな、俺は若いころ、狼を斬ったことがある。師匠が俺に言ったんだ。お前の剣には――」

「そんなことより、畑」


夕方、家の前で父親が自慢話を始めると、母親が後ろから鍬を突き出した。父親はびくっと肩を跳ねさせ、鍬を受け取った。


「せっかくの剣士さまも、母ちゃんの前じゃかたなしだな」


話を聞いていた村の衆がどっと笑い、父親は肩をすぼめて畑へ戻っていく。いつもの光景だった。


隣の家には、幼馴染のドリスがいた。


ミナと同じ十四歳で、同じくらいの背丈で、ミナより頭ひとつぶん、しっかりしていた。一人っ子のドリスは、小さいころからミナを妹のように思っていて、何かと世話を焼いた。


ミナは、それが嫌だった。ドリスが嫌いなわけではない。同じ年なのに、ドリスはなんでもできて、ミナはなんにもできない。ドリスに助けられるたびに、自分だけがだめなのだと分かってしまうのだ。


***


母親が井戸へ洗濯に出ていた昼下がり、ミナは父親に薪を頼まれた。


「裏の薪、割っといてくれるか」


ミナは、裏の薪の山の前に立った。手には、斧ではなく、壁に掛けてあった父親の錆びた剣を握っていた。


騎士団長は、剣で薪を割るらしい。父親が言っていた。


ミナは剣を振りかぶり、薪に打ち下ろした。こん、と鈍い音がして、刃がはね返った。薪は、なんともなかった。もう一度打っても、こん。もう一度打っても、こん。


当たるところが悪いのかもしれない。ミナはしゃがみこんで薪をくるくる回し、木目を見た。年輪の詰んだところと、粗いところがある。節がある。端に、細いひびがある。このひびに沿って打てば、割れるかもしれない。


ミナは立ち上がって、ひびのところに剣を当て直した。


こん。こん。こん。


打つたびに、まわりが少しずつ遠くなっていった。


さっきまで聞こえていた鶏の声が、聞こえなくなった。畑のほうで誰かが笑っている声も、隣の家で鍋を叩く音も、聞こえなくなった。薪の山も、裏庭の垣根も、見えなくなった。目の前には、一本の薪と、その端の細いひびだけがあった。


ひびは、打つたびにほんのわずかに口を開けた。開けたように見えた。ミナは息をするのも忘れて、その隙間だけを見ていた。


おなかの下が、重たく張ってきた。足をもじもじと踏みかえて、ミナはまた剣を振り上げた。あと少し。あと少しで、割れる。重たさは、いつのまにか、ずっと遠くのことになっていた。


影が、ミナの足もとから薪の山の向こうまで伸びていた。


ミナは両手で剣を振りかぶり、ひびのまん中に打ち下ろした。


ぱかん。


薪が、二つに割れて転がった。


その音と一緒に、世界が戻ってきた。鶏の声。風の音。夕方の煙の匂い。それから、足の冷たさ。


「……あ」


足元に、水たまりができていた。


「ミナがもらしたー!」


垣根の向こうから、近所の悪ガキが顔を出していた。いつもミナをからかってくる子だった。悪ガキはうれしそうに跳びはねると、村じゅうへ触れ回りに走っていった。


「ミナがもらしたぞー!」

「やめてよ! ちがうの、これは、薪が――」


言い終わる前に、ミナの顔はみるみる真っ赤になった。


畑から戻ってきた父親が、それを見て、ぶはっと噴き出した。


「ミナ、また夢中になってたな」

「笑わないでよ!」


悪ガキの声を聞きつけて、隣の家の戸が開いた。出てきたドリスは、水たまりとミナの顔を一度ずつ見ると、ミナの家へ入っていき、ミナの替えの服を抱えて戻ってきた。どこに何がしまってあるのか、ドリスは知っていた。


「ミナちゃん、着替えようね」

「見ないで!」


ミナは服をひったくって、家の中へ走って逃げた。


着替えて戻ってくると、ドリスは裏庭にしゃがんで、二つに割れた薪を拾い上げていた。


「すごい、ちゃんと割れてる。よくできたね」


ドリスは薪を山の上にそっと載せると、自分の家へ帰っていった。


「ドリスちゃんに、ありがとうは?」

「……やだ」


***


ある日の昼過ぎだった。


「イノシシだ!」


村の裏手の山から、大イノシシが下りてきた。牙は短剣ほどもあり、村はずれの豆畑で、豆の畝を鼻でひっくり返している。


「兄弟子!」

「兄弟子を呼べ!」


畑から駆けつけた父親は、錆びた剣を抜くと、集まってきた村人たちに向かって叫んだ。


「みんな、家の中に隠れてろ! ここは、俺がやる!」


声は裏返っていたが、村人たちは言われたとおりに家へ駆けこみ、戸を閉めた。ミナも母親に腕を引かれて、家の中へ押しこまれた。


豆畑には、父親とイノシシだけが残った。


「お、俺は、騎士団長の兄弟子だぞ!」


イノシシが、こっちを向いた。父親の膝が、がくがくと震えた。


イノシシが、地面を蹴った。


「わあああああ!」


父親は悲鳴を上げて逃げ出し、逃げながら、剣を後ろへ放り投げた。重かったのだ。


剣はくるくると回りながら空へ上がり、井戸のはね釣瓶の綱を、ぷつりと切った。重りの石がどすんと落ちて、竿がびよーんと跳ね上がる。竿の先の桶が、鶏小屋の屋根をすっぱーんと叩いた。


鶏が、一斉に飛び出した。


ばさばさと舞い上がる鶏に驚いて、山羊が暴れた。暴れた山羊が、坂の上に止めてあった荷車を後ろ足で蹴った。荷車はごろごろと坂を下りはじめ、積んであった肥桶が、坂の途中でひっくり返った。


そのころ父親は、村の真ん中の木によじ登っていた。


父親を追ってきたイノシシは、木の手前で肥を踏んだ。つるっと滑り、くるくると回りながら地面を滑っていって、そのまま井戸の石組みに頭から突っこんだ。ごつん、と鈍い音がした。


イノシシは、目を回してのびた。


最後に、空の高いところから、父親の剣が落ちてきた。剣はまっすぐにイノシシの尻に刺さり、ぶすっ、といい音がした。


村が、しんと静まりかえった。


しばらくして、あちこちの家の戸が、少しずつ開いた。村人たちが恐る恐る外へ出てくると、井戸のそばに、大イノシシが尻に剣を立てたまま倒れていた。木の上では、父親が枝にしがみついたまま、白目をむいて気絶していた。


「……兄弟子が、仕留めたぞ!」


誰かがそう言うと、村じゅうがどっと沸いた。


木から下ろされた父親は、しばらくきょろきょろしていたが、自分を取り囲む村人たちの顔と、尻に剣の刺さったイノシシを見比べると、ゆっくり胸を張った。


「ま、まあな。兄弟子だからな」


村人たちは、もう一度どっと沸いた。


ミナは戸口から飛び出して、イノシシと、胸を張る父親を見比べた。ミナの目が、まん丸になった。


その後ろで、母親だけが、肥まみれの坂と、屋根の抜けた鶏小屋と、綱の切れたはね釣瓶を、順番に眺めていた。


***


その夜、村は久しぶりの肉で宴になった。


村人たちは、代わる代わる父親の椀に酒を注ぎにきた。


「さすが、騎士団長の兄弟子だ」

「剣を投げて仕留めるなんて、聞いたこともねえ」


父親は、注がれるたびに少しずつ胸を張っていった。最初は「たまたまだ」と言っていたのが、そのうち「狙って投げた」になり、夜が更けるころには「最初から、はね釣瓶を狙っていた」になった。


ミナは、父親の隣に陣取った。父親が何か言うたびに、誰よりも大きくうなずいた。


「父さんが倒したんだよ! 剣がね、ぴゅーって飛んで、それで、あ、この肉おいしい。それでね、ぶすって」


肉をかじりながらしゃべったので、肉のかけらが飛んだ。手に持った骨から汁が垂れて、服にしみができた。身ぶりの肘に押されて、椀が傾いた。


横に座ったドリスが、椀をまっすぐに戻した。


「ミナちゃん、お椀は両手で持とうね」

「うん。それでね、イノシシがね」


ミナは片手で椀を持ち、もう片方の手で骨を振り回した。肉が一切れ、ぽとりと地面に落ちた。ミナが拾って口に入れようとすると、ドリスがその手首をつかんだ。


「落としたのは食べたらダメだよ。こっちのにしようね」


ドリスは自分の皿から肉を一切れ取って、ミナの皿に載せた。それから袖で、ミナの口のまわりを拭いた。


「ドリスは、もうミナの姉ちゃんだな」


村人の誰かが笑って、ミナはむくれた。むくれたまま、すぐに忘れた。


「父さん、熊を倒した話、みんなにもしてよ!」


父親の手が、止まった。


「く、熊か」

「熊も斬ったんでしょ! 何匹? どっちから来たの? 何で斬ったの? 熊って、鳴くの? あ、熊も食べられる?」


村人たちが、身を乗り出した。


「熊もやったのか、兄弟子」

「聞かせてくれよ」


父親は、肉を口に入れたまま固まった。村じゅうの目が、まっすぐに父親を見ていた。ミナは父親の袖を引っぱり続け、そのあいだもミナの膝には汁がこぼれ、ドリスはそれを拭き続けた。


「モグラだろ」


母親が、一言だけ言った。


村じゅうが、どっと沸いた。父親は、黙って肉を噛み続けた。


***


次の日、ミナはドリスをつかまえて、畑の端に座らせた。


「それでね、父さんがね、熊をね、こう、ずばって。熊って毛がすごいんだって。あ、あの雲、熊みたい。でね、熊がね」


話は、前の晩よりさらに大きくなっていた。熊は三頭に増え、父親は木の上から飛び降りて三頭まとめて斬り、ついでにイノシシも倒した。ミナの中では、もう全部本当のことだった。


ミナの目は、きらきらしていた。手は熊の大きさを描き、剣を振り、空を指さした。ドリスのほうを向いてはいても、ドリスの顔は見ていなかった。ミナに見えているのは、頭の中の熊と父親だけだった。


ドリスは、ふと空を見た。日が、だいぶ傾いていた。夕飯の支度をしなければならない。


「うんうん」


ドリスは相槌を打ちながら立ち上がり、畑のカカシを引き抜いてきた。


「うんうん、それで?」


自分の座っていたところにカカシを立てて、向きをミナのほうへ直した。それから、ミナの耳もとで言った。


「ミナちゃん、すぐ戻るからね」

「うん。それでね、父さんがね!」


ドリスはくすりと笑って、家へ帰っていった。


カカシは、何も言わなかった。風が吹くと、こくりとうなずいた。


***


家に帰ると、ドリスの母親が熱を出して寝こんでいた。


ドリスは水を汲んで額を冷やし、粥を炊き、畑から戻ってきた父親の夕飯をこしらえた。母親が咳きこむたびに背中をさすり、濡れた布を何度も取り替えた。外がすっかり暗くなっていることにも、気づかなかった。


戸が、どんどんと叩かれた。


「ドリスちゃん! ミナ、来てないかい!」


ミナの母親の声だった。戸を開けると、ミナの両親が立っていた。母親は息を切らし、父親は松明を握っていた。


「昼から、帰ってこないんだよ」


ドリスの手から、濡れた布が落ちた。


「あ……ごめんなさい! 畑の端です!」


ミナの母親は、最後まで聞かずに飛び出した。松明もろくに持たず、垣根を越え、畝を踏みつけ、まっすぐ暗闇へ突っこんでいく。


「ミナー! どこだい、ミナー!」

「落ち着け。そっちは井戸だ」


ミナの父親が、その腕をつかんだ。夜道が怖くて、膝はがくがく震えていた。それでも、腕は離さなかった。


ドリスは二人を追い越して、畑の端へ走った。


月明かりの下で、ミナがカカシに向かって座っていた。


「……それでね、父さんが、熊を、えいって」


ドリスは駆け寄って、ミナの肩をつかんだ。ミナはようやく顔を上げて、まばたきした。それから、目の前のカカシと、肩をつかんでいるドリスを、何度も見比べた。


「あれ。ドリス、いつから藁だったの?」


ドリスは、答えられなかった。ミナの肩をつかんだまま、ぼろぼろと泣きだした。


「ごめんね。ミナちゃん、ごめんね。すぐ戻るって言ったのに。ごめんね」

「え、なんで泣いてるの? ねえ、ドリス。あ、そうだ、熊がね」


ミナには、何が起きたのか分かっていなかった。ドリスは泣きながら、ミナを抱きしめた。


追いついた父親は、ぜえぜえと息をしながらカカシを見て、それからミナを見た。


「……その熊の話、誰から聞いた」

「父さん」


母親が、父親を見た。


父親は、カカシのほうを向いた。


***


村が襲われたのは、その年の春の夜だった。


最初に聞こえたのは、馬の蹄の音だった。たくさんの馬だった。それから、誰かの叫び声。戸を蹴破る音。火の爆ぜる音。


「誰かー! 助けてくれー!」

「兄弟子ー! 兄弟子ー!」

「子どもが、うちの子がー!」


外から、村の衆の悲鳴が聞こえた。


父親は、錆びた剣を握ったまま、戸口の前で固まっていた。剣の先が、がたがたと震えている。イノシシのときと同じだった。


それでも父親は、ミナを母親の腕に押しつけた。


「裏から逃げろ」


それから、母親の顔を見た。


「……行ってくる」


声も、震えていた。父親は戸に手をかけた。


その戸が、外から蹴破られた。


松明を持った男たちが、なだれこんできた。父親は、よろけながら剣を振り上げた。


振り下ろす前に、父親の体が、くの字に折れた。


剣が、床に落ちた。父親は、それきり動かなかった。


母親は、ミナを放した。すぐさま床の剣を拾った。


「よくも、うちの人を!」


叫びながら、男に斬りかかった。


錆びた刃が、男の喉もとをかすめた。


「おっと、危ねえな」


首筋から、つうっと血が垂れた。男は刃物を振り抜いた。


母親が、父親の隣に倒れた。


ミナは、その場から動けなかった。

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