しゅうどういん
「……おにいちゃん、ちゅき」
また増えた。
ラムネを飲ませるのに抱え起こした腕の中で、女の子は、目の端から涙を一筋こぼしたまま、口の端だけで少し笑っていた。
少しずつ傾けて、瓶の三分の一ほどを飲ませた。
目は開いているが、ぐったりしていて、指一本動かす力もないらしい。
日も傾いてきた。
「休める場所が欲しいな」
誰に言ったわけでもなかった。腕の中で、女の子の指がのろのろと持ち上がった。荒れ地の向こうを指している。
「……しゅうどういん」
指は、それきりぱたりと落ちた。
修道院。どこにあるのかは知らないが、少なくとも、こんな焼け跡よりはましだろう。
「ちょっとだけ、立てるか」
女の子は、こく、とうなずいた。
脇の下に手を入れて、立たせる。膝が震えていたが、どうにか立った。俺はその前で背中を向けて、しゃがんだ。
「ほら、乗れ」
ずしっ。
ずしっ。
だだだだだ、と足音が近づいてきた。
どしーん。
俺は前にのめって、顔面を地面にしたたか打った。
背中の上で、声がした。
「おんぶですわ!」
「……おんぶ」
「ぼくも!」
首だけ回して見上げると、俺の背中にヴィクトリア、その上にセレネ、その上にレオナが乗っていた。女の子は、さっきと同じところで、ふらふらしながら立っていた。
「お前らじゃない」
背中をひと振りすると、三人まとめて転がり落ちた。俺は立ち上がって、顔の砂を払った。
女の子の前に、もう一度しゃがむ。今度は、背中に軽いのが一つだけ乗った。
「おんぶー!」
「おんぶー!」
「おんぶー!」
大合唱になった。
「あー、うるさい」
首だけ後ろに向ける。
「お前は、寝てていいからな」
俺は、女の子がさっき指さした方へ歩き出した。
道があった。道といっても、人の足で踏みならされただけの、うっすらとした筋だ。
ヴィクトリアが、俺の横に並んできた。俺の肩から垂れた女の子の袖を、グイグイ引っぱる。
「お名前なんですの」
「……ミナ」
背中から、かすれた声がした。
ヴィクトリアのエメラルドグリーンの瞳が、みるみるうちにきらきらしていった。
「おいくつですの」
「ここに住んでますの」
「お洋服、汚れてますわね」
ヴィクトリアは、抱えていた衣を一枚、ひらりと広げてみせた。セレネが荒れ地で脱ぎ捨てた、あの衣だ。
「このお洋服、着ますの」
ミナは、しばらく黙っていた。
「……じゅうよん」
一つ目にだけ、答えが返ってきた。
「まあ!」
「ミナを休ませてやれよ」
ヴィクトリアは、くるりと向きを変えて、後ろのレオナに駆け寄った。
「やっぱり、わたしがお姉ちゃんでしたわ!」
それから、セレネに駆け寄った。
「やっぱり、わたしがお姉ちゃんでしたわ!」
最後に、俺のところへ戻ってきた。
「やっぱり、わたしがお姉ちゃんでしたわ!」
「わかったわかった」
それにしても、十四にしては、ずいぶん小さい。
振り返って、ヴィクトリアを見た。俺と同じくらいの歳で、あれくらいだよな。
ヴィクトリアの後ろで、セレネが短冊を掲げていた。
『いと おねえちゃん』
ヴィクトリアは、きゃっきゃっと跳ねていた。
「ぼくも、おねえちゃん!」
レオナが手を挙げた。
俺は、そのまま歩いた。
道は、ゆるい上りになった。
地味にきつい。
王女を抱えて森を走ったときは、息ひとつ切れなかった。今は、こんなに軽いのを一人背負っただけで、もう足が重い。
逃げ足は、本当に逃げるときにしか働かないらしい。
上っても上っても、修道院らしい建物は見えてこなかった。うっすらとした道だけが、先へ続いている。
「ちょっと休むか」
背中のミナに聞いた。
ミナは、こく、とうなずいた。
背中から下ろして、腕に抱きかかえる。ポケットを叩くと、瓶のラムネが出た。栓を抜いて、瓶の口をミナの唇に当てる。
ミナの喉が、こくりと動いた。
ヴィクトリアが、横からのぞきこんだ。
「赤ちゃんみたいですわ」
そういえば、荒れ地に落ちてから、誰も何も飲んでいない。
ポケットを何度か叩いて、人数分出した。
「ほら」
ヴィクトリアに一本、レオナに一本、セレネに一本。最後に、自分の分を出した。
栓を抜いて、一気にあおった。
「しゅわしゅわ!」
セレネを見ると、両頬が、リスみたいにぱんぱんに膨らんでいた。
どんな飲み方だよ。
腕の中を見ると、ミナの瓶が空になっていた。
「なんか食うか」
ミナは、小さく首を振った。
「お兄ちゃん、これ、おいしいですわ」
ヴィクトリアが、空になった瓶を振っていた。
「ラムネだ」
「らむね!」
その横で、レオナが剣で地面を掘っていた。空き瓶を穴に入れて、上から土をかぶせる。
「らむね、いっぱいはえる!」
セレネは、袖から短冊を出して掲げた。
『いと あまし』
それから、空の瓶を俺に突き出した。
「もう、いっぽん」
「ダメ」
俺は、ミナを背負って、また歩き出した。
「わたしも! わたしも!」
後ろで声がした。振り返ると、レオナがセレネをおんぶしていた。セレネは親指をしゃぶっている。赤ちゃんの真似らしい。そのまわりを、ヴィクトリアが跳ねまわって、はしゃいでいた。
レオナが、首だけ後ろに向けた。
「おまえは、ねてて、いいからな」
キリッ。
なんだ、そのキリッは。顔がいいから、余計に腹が立つ。
やがて、道がゆるく下りはじめた。
その先の低いところに、建物がぽつんと見えた。
「あれか」
***
門をくぐった途端、目の前に修道女が飛び出してきた。
「ぎゃー!」
四十くらいか。修道服の裾をからげて、全力で逃げていく。
続いて、もう一人飛び出してきた。
「ぎゃー!」
もう一人。
「ぎゃー!」
もう一人。
「ぎゃー!」
最後に、婆さんが出てきた。しわだらけの顔で、手に、カエルを握っていた。
婆さんは、すてんと転んだ。
「ふえええん」
婆さんの手から、カエルがぴょんと逃げていった。
逃げていた修道女たちが、ぞろぞろ戻ってきた。泣いている婆さんのまわりに、しゃがみこむ。
「いんちょうさま、いたいの?」
「だいじょうぶ?」
院長は、泣きながら顔を上げた。
「かえる、つかまえてきて!」
修道女たちは、いっせいに首を振った。
「かえる、こわい」
「こわい、こわい」
カエルが、ぴょん、ぴょん、と跳ねてきて、俺の足もとで止まった。
ミナを背負ったまま、しゃがんでつかまえた。
「大事なカエルなんですか」
院長が、走り寄ってきた。
「ありがとう、お兄ちゃん」
「いえいえ」
え、お兄ちゃん?
「この子を休ませたいんですが」
院長は、俺の背中をのぞきこんだ。
「びょうきなの? かわいそう!」
修道女たちが、わらわら集まってきた。気づくと、十人ほどの婆さんに、ぐるりと囲まれていた。
「びょうき?」
「かわいそう」
病気、なのか? よく知らないけど。
修道女たちが、俺の袖をつかんで、いっせいに引っぱりはじめた。
「べっど、あるよ」
「ごはんも、あるよ」
「おふろも、あるよ」
グイグイ引っぱられて、俺は建物のほうへ引きずられていった。
「あ、いや、いいんですか」
返事はなかった。
「このカエル、どうしましょう」
「すてといて」
院長は、もう振り向きもしなかった。さっきまで、あれだけ追いかけ回していたのに。
「ちょっと待って」
慌てて足を踏んばって、カエルを地面に置いた。
すかさず、レオナが拾い上げた。
「ぎゃー!」
ヴィクトリアが逃げ出した。レオナが、カエルを握って追いかけていった。
セレネも、そのあとを追いかけていった。たぶん、何も分かっていない。
「ちょっと、引っぱらないでください!」
俺は踏んばったまま、ずるずると引きずられていった。
背中で、ふふっ、と小さな声がした。
ミナが、笑っていた。
読んでいただき、ありがとうございます。
続きを追いかけてもらえるなら、ブックマークをしていただけると嬉しいです。
面白いと思っていただけたら、下の★で評価をお願いします。とても励みになります。




