4 黒の革手袋
「……で、でもでも、美雨先輩も永瀬先輩も変なもの視てる訳だしっ……!」
「うん、『何』かは在るんだよ」
秋帆はガラス戸越しに隣の部屋に視線を向けた——否、正確には隣の部屋に繋がるユニットバスへ。
他の三人もつられてそちらへ顔を向けた。
「お風呂場を調べさせて貰って良いですか?」
「もちろん……」
秋帆にも、それが『何』であるのかは分からない。邪悪ものではないのだが、善良なものとは到底思えなかった。
決して死霊には持ち得ない、生々しいほどの気配——執念とでも言うべき、粘ついた気持ちの悪い情念の淀みを感じる。
秋帆が先頭に立ってユニットバスの戸を開けた。
すると、よりはっきりと濃くなる気配。必ずここにあると、秋帆は確信した。
「……ここに何があるの?」
花澄が不安そうにユニットバスを覗き込む。
「それは視てみないと…… 集中したいので、しばらく静かにしてもらっていいですか?」
三人三様、緊張の面持ちで頷いた。
ユニットバスの電気を点けるが、なんとなく薄暗い。二畳ほどしかない空間だ。正面に洋式トイレがあり、そのすぐ左に小さな洗面台、シャワーカーテンを隔てて浴槽がある。壁には吸盤の付いたラックにシャンプーやボディソープが並べられている。
見えるところに変わったものはない。余計なものを置くスペースもない。
だが、確実に気配はここに在る。
(落ち着いて視れば、大丈夫……)
秋帆は深呼吸すると目を閉じて、神経を全集中させた。頭のなかにこの部屋を思い浮かべて、俯瞰しながら気配の出所を探る。
霊の形を視るだけなら無意識でできるが、より深く視るにはかなりの集中力が必要だった。
家族のなかでも、秋帆はこの霊視が苦手な方で、霊体を認識する器官——第三の目が在るとすれば、自分は他の家族よりも退化しているのだろう。
そのせいで認識・知覚する代替手段として視覚や聴覚、嗅覚へと無理矢理に変換しているという感覚があった(前に一度、この話を家族にしたが、分からないと一蹴された。)。
こうして深く集中するときは第三の目を拡げて探しながら、第六感として受け取った情報を五感へと変換するふたつの精密作業を、同時進行しているような感覚だった。
その処理速度は、当然のことながら遅い。この狭い空間の捜索に六十秒の時間をかけた。
そうして、ようやく情報整理を終えた秋帆は、首を上に向ける。
「踏み台か何かありますか?」
美雨に頼むと、椅子を持ってきてくれた。秋帆は椅子に上ると、天井に手を伸ばした。その手の先には、点検口。
秋帆はそのまま蓋を持ち上げ、横にずらして隙間から腕を差し込んだ。
すると、何か柔らかいものが指に当たる感触がした。
「——っ!」
触れた途端、総身に鳥肌が立った。
——これだ。
直感的に理解した。これは、呪いを掛けた何かだ。気味が悪かったが、みんなの手前、なけなしの見栄を張らなければならなかった。
それを掴み、ゆっくりとみんなの前に差し出した。
「これが、先輩の悪夢の原因だと思います」
眼前でそれを見てしまった美雨の双眸が、恐怖に見開かれている。
彼女はそれに見覚えがあった。見覚えどころか、それは恐怖の象徴そのものの形をしている。
震える両手で唇を押さえ、懸命に悲鳴を殺した美雨は、それでも堪えられず部屋の奥に逃げてしまった。
「美雨先輩っ!」
花澄が慌ててその後を追う。しばらくして、奥からは美雨を宥める彼女の声が聞こえていた。
「それが、先輩を苦しめてた原因だって言うのかよ……」
秀が、感情のない声で呟いた。
「形も話の通りだから、間違いないと思う」
天井裏にあったものとは、一双の黒い革手袋だった。
美雨へのすさまじい執着の気を放っており、悪意とまでは言えないが、何かの拍子に反転しかねない危うさが、秋帆には視えた。
中には柔らかい何かが入れられており、人間の手に嵌めているかのような厚みがある。
それを素手で触っている秋帆は、不気味で堪らなかった。間違っても、中を見ようなどとは思わない。
「明日にでも、祓いに持って行かないと」
秀の方を見ると、鬼の形相で秋帆を睨んでいた。
憎悪、憤怒、殺意——自分に向けられているものかと勘違いするほどの恐ろしさに、手の中にある呪いのことも吹き飛び、秋帆の身体がすくんで動けなくなってしまった。
秀もまた、美雨の身を案じている一人なのだ。その原因を憎むのは、当然と言える。
その日は、そこで解散となった。




