29 まじわる炎 ≪三日目 早朝≫
二十本近くある動画のうち四本見たところで、秋帆は大雅と真っ直ぐに向き合った。
動画はすべて、とある少年を尾行している内容だった。同じファイル内に保存されているところから推測するに、服装は違うが同一人物だろう。
彼が放火している決定的な場面もあれば、明るい時間帯に制服姿で友人たちと歩いているだけの動画もあった。いつ行われるとも知れぬ彼の凶行を映すため、時間が許す限り盗撮していたのだろう。
その少年の顔を、秋帆も一度だけ見ていた。
「あのゲーセンにいたのも、彼を尾行するためだったんだね」
名前を『日邨あまね』と言っていた。
「これだけの動画があるのにずっと黙ってるなんて、犯人をかばってたの?」
そう訊ねた秋帆を、大雅は恐ろしい形相で睨み付けた。唇はきっと引き結ばれているが、その目は違うと雄弁に語っている。
「じゃあ、どうして?」
それでも優しく訊ね返した秋帆の態度に、我に返った彼が下を向いてぽつりぽつりと言葉を漏らした。
「……放火で捕まっても、どうせ大した罪にならないじゃないですか」
ふとすれば、聞き逃しそうな小さな声だ。吐き捨てるようにして言った。
「未成年でも、人を殺したら刑務所に行くんですよね?」
そう訊ねた大雅の黒い瞳が、真っ直ぐに秋帆を見つめていた。その目は混じりけのない憎悪を、なみなみと湛えている。
真っ暗な闇のなかで、自分が正義と信じ込んでいる人間の目だ。
「そうすれば、ネットで顔も名前も晒されるし、医者への道も閉ざされる……」
ざまあみろとでも言いたげに、口元が歪んでいる。
「だから、あいつが人を殺すまで待ってやろうって、思ったんです」
ひどく利己的な言い分だ。これで本当に人が亡くなっていれば、取り返しがつかないことになっていた。
「ぼくの人生を壊したんだから、あいつが報いを受けるのは当然ですよね?」
同意以外は認めない――彼の目はすがり付くように秋帆だけを見つめている。
「……その子が悪いのは、間違いないよ。君を不登校にまで追い込んで、その上、放火までしてるんだから」
大雅を虐めていたというのが、このあまねという少年で間違いないだろう。復讐の気持ちは理解できるが、方法が間違っている。
「だからといって、見て見ぬふりで、犠牲者が出るのを待ってるなんて、それは良くないことだよ」
「ぼくは悪いことは何もしてない! あいつがやってるのを録画してただけです!」
ここで初めて、彼が敵意を剥き出しにして、秋帆を睨んだ。
しかし、秋帆は敵でも味方でもない。
それどころか、彼らを裁くような立場にもない、ただの第三者だ。
「とにかく、この証拠を持って警察に行こう。僕もついていくから」
「……」
「大雅くんのことが心配なんだ」
彼も、ここで秋帆たちに見つかってしまったことで諦めていただのだろう。
警察に行こうと言われた瞬間、がくりと肩から力が抜けて、俯いてしまった。
「……放火を見ていて止めなかったのって、何か罪になるのかな……」
そこで初めて、大雅が不安そうに独り言ちた。
秋帆が法学部の人間なら答えられただろうが、残念ながら彼にはその知識がない。
「分からないけど、反省してるなら警察の人も悪いようにはしないよ」
秋帆は少年と警察署に向かうべく。朱緒に通話を掛けた。
しばらく、呼び出し音が鳴った後、息が上がった朱緒の返事があった。
『……橘、悪い。見失った』
「観池くんが無事で良かった」
少年相手ならともかく、赤猫もいるのだ。
無事な声を聞くことができて、心の底から安心した。
「いま、大変なことが分かって……大雅くんの映してた動画に放火犯が映ってたんだ」
『何?』
「彼から話を聞いてたんだけど、観池くんがいま追ってる子が犯人だった」
『……そうか』
「いまから動画を持って、警察に行くよ」
『その方がいいな。俺たちができるのはここまでだ』
電話を切る前に、ひとつ引っ掛かっていたことを秋帆は口にする。
「……観池くんはいま、どの辺なの?」
『……結構、走ったけど。……ああ、廃団地が見えるな』
赤猫の気配は、その放火犯の逃走と共に離れていった。
嫌な胸騒ぎが、収束していく。
「まさかとは思うけど、彼ってそこに逃げ込んでるんじゃないかな?」
『……アレに招かれてる可能性は高いな』
「放っておいて大丈夫かな」
『さあな。でも、このあとのことは警察の仕事だろ』
それまでふたりの会話を黙って聞いていた大雅が呟いた。
「……あまねくんに、逃げられたの?」
「大雅くんに動画を撮られてたなんて思ってもないだろうから、朝には家に戻ってくるよ」
そもそも、中学生がそう長く逃げられるとも思えない。彼が多額の現金を所持しているとは考えられず、スマートフォンで決済するにしても、その履歴から居場所の特定が容易にできる。警察から逃げきることは不可能だ。
ところが、あまねに逃げられたと知った大雅はひどく取り乱していた。
「このまま、あいつがどこか遠くに逃げたらどうするんですか……!」
初めて聞く少年の怒声に秋帆は驚いたが、どうにか彼の肩を抑えて宥めようとした。
「大丈夫だよ。警察が捕まえてくれる」
「大人なんか、信じられない」
そう言って秋帆の手を振り払い、少年はふたりが行った方に走り出した。
「待って、大雅くん!」
『どうした?』
電話越しにも大雅とのやり取りは聞こえていたのだろう、状況を訊ねる朱緒の声があった。
「ごめん、大雅くんが逃げた……! たぶん、廃団地だ」
◇
「……マジかよ」
舌打ちして通話を切ると、朱緒も廃団地へと走り出していた。
建物の影はもう見えている。
ひと際高くなっている団地の坂道を駆け上がり、鎖で施錠された門を乗り越えた。
敷地内に入った瞬間、赤猫の匂いがした。気配ではない、鼻腔の奥にこびりつくような獣と炎の匂いだ。
ろくでもないことが起こっていると、紅緒でなくとも本能的に直感した。
二号棟に入ると、スマートフォンで足元を照らしながら階段を駆け昇った。匂いがますます濃密になっていく。その障気にあてられた周りの死霊が、共食いを始めていた。場の穢れが、急速に圧縮されていく。
四〇二二号室の前に立った朱緒は鞄から模擬刀を取り出すと、鞘から抜いて構えた。
半開きになった扉の奧――己を害する存在と認識し、赤猫は朱緒を激しく拒絶している。
扉を全開にすると、奥から吹き抜けてきた熱風が頬に当たった。並みの人間ならばそれだけで発火していたのだろうが、蛇神の加護を受ける朱緒には、ただの生ぬるい風だ。
朱緒は慎重に部屋に入り、素早く奧に進んだ。
「――ッ、何だよこれ……」
そこで彼の視たものは、餓鬼のように腹が膨れた火だるまの人間だった。
だが、たしかに赤猫の気配は目の前にある――その人間は、赤猫と一体化していた。
ふらふらと歩き回りながら、両手を振り回して悶え苦しんでいる。それにも関わらず、倒れる様子は一切なく、まだそこに立っていることが不可思議だった。
これもまた、ここが赤猫の領分であるからこその異常。
――だがしかし、どのみち助かるものではない。
朱緒は、静かに模擬刀を構えた。




