27 休息の部屋 ≪二日目 夜≫
いったいいつまで、そうして立ち尽くしていたのだろうか。
彼の傍に人の気配が近付いてきた。秋帆は眼鏡を外して、シャツの裾で涙と鼻水を懸命に拭った。いくら汚しても、部屋はすぐそこだ。
「……また泣いてんの」
紅緒のように優しさの欠片もない声に、秋帆は顔を上げた。
「おかえり、観池くん」
「ただいまでもねえだろ」
微塵の気遣いもない。だがなぜか、安心感を覚えていた。思いっきり泣いて、頭がすっきりしているせいかも知れない。
「……観池くん、あんなモノがいてもお祓いできるの?」
「いまのうちなら、まだ何とでもなる。発見したのが早くて良かった」
そう言いながら、彼は塀にもたれ掛かっている。
「……っても、俺が動く訳じゃねえけど」
「じゃあ、誰がお祓いするの?」
「オマエがそれを知ってどうするんだ?」
質問を質問で返されてしまった。
「好奇心で聞いたら駄目なことなら、聞かないけど……」
「答えるのが面倒くさい。これ以上聞くな」
答える気がまったくない彼に、これ以上聞いても無駄だ。
「でも、すごい人がいるんだね。あんなに穢れが溜まったところ、いるだけでもしんどいのに」
「適材適所ってことだ」
伊武も言っていた。
見鬼の才、霊書の才、それぞれ違うと。祓除の才に長けた者がいるのだろう。
朱緒はブロック塀から背中を離すと、秋帆の肩に掛けられていた竹刀袋に視線をやった。
「鞄、預かっててもらって悪かったな」
「出番がなくて良かったね」
鞄を手渡すとき、受け取った朱緒の身体がすこしだけぐらついた。
「……観池くん、大丈夫?」
思わず、心配が声になって出てしまった。
「怠いだけだ。アイツ、体力配分考えず動くから」
「観池くん、ここから帰るのに二時間掛かるんだよね……?」
アイツ――とは、もちろん紅緒のことだろう。
現在時刻、二十時五十分。帰りついた頃には、二十三時近くなる。
「余計なお世話かもしれないんだけど、今日うち泊まってく?」
「……迷惑じゃねえの?」
「独り暮らしだから、全然問題ないよ。布団は干してないから、それでも構わなければだけど」
朱緒のなかで何か葛藤があるようで、しばらく無表情のまま考え込んでいる様子だった。
「……じゃあ、今日泊めてもらえる?」
「部屋、汚いから覚悟してね」
秋帆の言葉に、朱緒は苦笑した。
「ホントにしんどそうだね、大丈夫?」
「……あんまり大丈夫じゃない」
彼の声に覇気がない。
アパートの階段を昇るにも、朱緒は手すりを掴んでようやく身体を引き上げている。こんな調子では、あのまま帰していたら電車で終点駅まで寝過ごしていたのではないだろうか。
「……限界」
秋帆が玄関扉を開けて電気をつけたところ、そう言うと朱緒は上がり端に腰を掛けて、そのまま座り込んでしまった。とうとう体力の限界を迎えてしまったようだ。
日中と夜、合わせて一時間半ほどの捜索活動だったが、霊視しながらの活動だったため、紅緒の体力の消耗は相当のものだったと見える。
「観池くん、ここで寝ちゃ駄目だよ。今すぐシャワー浴びてもらって大丈夫だから、上がって」
そう言われて朱緒はようやく靴を脱ぐと、のろのろと立ち上がり、部屋に上がってきた。そんな状態にも関わらず、揃えられた靴に染み付いた育ちの良さが見える。
八畳1Kの部屋は昨日の夕方出たままで、部屋の四隅に盛り塩が置かれ、荷物が散乱している。
すぐに冷房を入れると、コミックスや晃生が置いていったぬいぐるみ、プリントやらを無理やりローテーブルの下に押しのけて、どうにか荷物を置く程度のスペースを作った。
「観池くん、身長いくつ?」
「……一七七」
「そっか……ジャージの丈短いかも知れないけど、我慢してね」
秋帆は鞄を下した朱緒の背中をユニットバスに押し込んだ。しばらくすると、シャワーの音が聞こえてきたので、どうにか起きてはいるようだ。
それから、タオル数枚と新品の下着、大きめのシャツとジャージを用意すると、ユニットバスの扉を軽く叩いた。
「観池くん、開けるよ。トイレの上に着替えとタオル置いとくから」
くぐもった朱緒の返事があったので、扉を開けた。シャワーカーテンの向こうで身体を洗っている気配がする。
一応、まめにトイレ掃除はしているつもりだが、便座蓋の上にタオルを敷いて着替えを置いた。
床を見ると、脱いだままのシャツやズボンがそのままだ。
「脱いだシャツ洗濯しとこうか?」
「……持って帰って洗濯する」
「じゃあ、袋か何か用意しとくよ」
今日、コンビニで飲み物を買ったときのビニル袋があるはずだ。それでいいだろう。
それから、ベッドの上に置きっぱなしにしていた洗濯済みの衣類をすべてカゴに放り込んでクローゼットのなかに隠した。言い訳をすれば、昨日の朝は御守りが焼けて家事どころではなかったのだ。
無理やり開けたスペースに来客用の布団を敷くと、足の踏み場がなくなってしまった。
晃生や先輩が泊まりに来るときもこんな感じでいつものことなのだが、昨日の朱緒の家と比べてしまって、すこし申し訳なくなった。
朱緒がシャワー中に寝てしまっていないか、聞き耳を立てながら部屋の片付けをしていたところ、やはり眠そうな目をした彼がユニットバスからのっそりと出てきた。Tシャツの大きさは問題ないようだが、ジャージの丈がまったくあっておらず、くるぶしがすっかり見えている。
やはり七センチの身長差は大きい。
「終わった? ごめんだけど、僕もすぐ入りたいから歯みがきは流しでお願い。……あ、歯みがき粉、僕のでも気にしない?」
「……気にしない」
新しい歯ブラシを渡し、朱緒と入れ違いに秋帆もシャワーを浴びた。自分の部屋に招いた手前、帰ったあともあれこれと動いていたが、彼も霊視しながら歩き回ったせいで、紅緒ほどではないが体力を消耗していた。
烏の行水でシャワーから出ると、朱緒はすでに横になり、布団のなかで静かな寝息を立てていた。周りに物がいっぱいで、窮屈そうに膝を曲げている。
秋帆は電気を暗くすると、ユニットバスの扉を閉めて風量弱のドライヤーで髪を乾かした。




