21 双子の兄弟 ≪二日目 夕方≫
秋帆と朱緒は、二日連続で赤猫に遭遇した秋帆のアパート前に移動していた。
ここで待つよう朱緒が言い残したのが十分前。木陰に入っていたが、外にいるだけでじりじりと体力が削られている。しかも、朱緒から預かった模擬刀が入っている鞄を肩に掛けているせいで、地味に重い。彼曰く、万が一の時の護身用ということだ。
ハンカチで流れる汗を拭っていたところ、四辻を曲がってこちらに戻ってくる朱緒の姿がようやく見えた。
彼が秋帆の目の前に立ったところで、おずおずと声を掛けられた。
「……君が橘くん?」
ほんの十分前まで話していた彼から、まるで初対面であるかのように話し掛けられて、秋帆は戸惑いながらも笑顔を見せた。
「うん、初めまして。紅緒くん、だよね。観池くんから聞いてる。双子のお兄さんなんだってね」
そう聞いた『紅緒』が破顔した。
「こちらこそ、初めまして。気難しい弟がお世話になってます」
ぺこりと小さくお辞儀した。
その所作を見てようやく、演技ではなく、本当に彼は朱緒ではないのだと実感することができた。そもそも彼が、これほどにこにこと愛想よく笑うところなど一度も見たことがない。神社で氏子の対応をしているときですら、くすりとも笑わなかった彼では、考えられないことだ。
しかし、髪型も、服装も、持ち物も、声も、腕にあるほくろの位置も――勿論、顔もまったく同じ。
一卵性双生児でもほくろの位置は違うと聞いたことがある。なにもかも寸分違わず同じということはあり得ないので、朱緒に似た誰かが『紅緒』として秋帆の前に現れたということでもない。
目の前に在る肉体は、まぎれもなく朱緒で違いないのだ。
ただ、中身に別物が入っている。
(本当に、『観池くん』じゃない……)
秋帆は、十数分前の朱緒との約束を思い出していた。
「話をつけてくるから、オマエはそこで待ってろ」
誰と話をつけてくるのか? ――質問を許されていない秋帆は、ただ頷いた。
「十分は掛かると思う。その後、そこの角を曲がって俺が戻って来ても、それは俺じゃない。双子の兄の、紅緒だ」
『紅緒』――朱緒の口からようやく出てきた名前に、彼は思わず訊ねてしまった。
「それはどういう意味なの?」
「詮索するなって、言っただろ。警告は一度までだ」
朱緒の冷たい声と視線に、背筋が冷えた。
「紅緒なら必ず塒を探し出す。アイツの目も万能じゃないが、俺たちでも視えないものが視えるからな」
確定事項のように、断言した。
質問を許されていない秋帆だったが、挙手して質問の意思を伝えた。
「……何?」
下手な質問なら、もう次はないというような厳しい目で睨まれた。
「今日、一日で探し出せるの?」
「そうだ」
この広い街でそんなことができるとすれば、『紅緒』の霊視能力は余程のものだ。
ただ死霊が視えるだけの秋帆など足元にも及ばない。
「紅緒には、橘の事情を話すが、構わないな?」
「もちろん」
秋帆は頷いた。
「最初にも言ったが、いまこうして話していることは絶対アイツの耳に入れるな。赤猫に関係することを相談するのはいいが、アイツの雑談には適当に相槌を打って、余計なことは一切話すな。質問もするな」
「分かった」
『是』以外の返事を許されていない秋帆は頷いた。
「これが守れなければ、オマエがどんな目に遭おうが、今後一切関わらない。分かったな?」
何も分からないが、彼が本気だということだけは理解できた。恫喝に近い条件に、秋帆はただただ頷いた。
「……あとは、アイツが馬鹿なことしてたら、できる限り止めてくれ」
「……分かった」
――そうして、次に現れた朱緒は、本当に『朱緒』ではなかった。
「今日は赤猫の塒を見つければいいんだよね」
「……うん。聞いてると思うけど、御守りを焼かれて困ってるんだ。新しいのは六日後には届くから、できるなら、それまでには何とかしたくて……」
「橘くん、かなりひどい憑依体質だもんね」
紅緒の赤みがかった褐色の瞳が、じっと秋帆の顔を視ている――顔を視ているようで、もっと深くを視られている。
「それから、これは赤猫に関係しているか分からないんだけど」
秋帆はそう前置きしてから、三週間前から起こっている連続不審火事件のことを、彼の推測を含めて話した。
「……なるほど。まったく関係ないとは思えないね。塒を見付けた後、視に行ってみようか」
紅緒はじっと話を聞いた後、頷いた。
「でも、あんまり期待しないでね。視えても全部解る訳じゃないんだ」
「一番は塒を見付けることだしね」
それさえ見付かれば、秋帆個人の問題は解決できる。不審火も懸念事項ではあるが、犯人が人間ならばいずれは警察が逮捕するだろう。
「焼かれた護符、見せてもらっていい?」
伊武の手が入った御守りではなく、予備の御守りを紅緒に手渡した。紅緒はそれを手に取ると、茶色く焦げたそれを優しく指先で一撫でした。
「……かすかに赤猫の咒が残ってるね。大丈夫、これで後を追える」
「紅緒くん、すごいね。それだけでわかるんだ……」
「後を追えるって言っても、最短距離で行けるわけじゃないよ」
「……?」
秋帆は嫌な予感がしつつも、首を傾げた。
紅緒はそんな様子の彼を置いて、すたすたと歩き始めてしまった。
「こっちだよ」
迷いのない足取りだ。秋帆は慌ててその後を追い掛けた。
「最短距離で行けないってどういうこと?」
「赤猫の移動したルートをそのまま追うことになるから、遠回りしちゃうってこと」
なるほど、犬が匂いを辿って行くようなものかと、納得した。
しばらく道路を歩いていた紅緒だったが、突如足を止めて人家の塀を見た。
「ここを登ったみたいだ」
そう言うと、何の躊躇もなく紅緒は塀に手をかけて登ろうとした。秋帆はその光景に呆気にとられて、反応が遅れてしまった。
「それは駄目!」
「でも、こっち……」
軽く抵抗する紅緒の背に必死でしがみついて、引きずり下ろした。止められた紅緒が不服そうに腰に手を当てて、唇を尖らせて彼を見ている。
だが、それどころではない秋帆は周囲に誰もいないことを確かめて、胸を撫で下ろした。時刻は十六時過ぎ、学生の下校時間に重なる。この密集した住宅街で、誰にも見られていなかったことは奇跡に近い。
「それがぎりぎり許されるのは小学生までだよ! 空き巣や強盗に間違われて通報されたらどうするの?」
「……確かに?」
昨今、巷を騒がせている闇バイトのこともある。
まったく何も考えていなかった様子の紅緒に、秋帆は底知れぬ不安を感じ始めた。
彼の破天荒な行動から鑑みるに、朱緒の意識は介在していないようだ。コントロールや、意思の疎通は不可能なのだろう。最後に朱緒の言っていた紅緒の『馬鹿なこと』とは、こういうことかと合点がいった。
まさかとは思うが、朱緒はこんな紅緒ひとりに塒の捜索をさせようとしていたのだろうか。ならば、朱緒も朱緒だ。ちょっとどうかしている。
秋帆の同行を渋っていた朱緒だったが、逆に自分がいなかった時のことを考えると胃痛がした。
「紅緒くん、時間は掛かっても道を歩こうか?」
「今日は仕方ないね……」
まだすこし不満そうだが、紅緒は了承した。
そしてスマートフォンを取り出すと、GPSからこの辺りの住所を特定し、地図アプリを開いていた。
「マップからでも解るの?」
「ううん、さすがにそれは。残ってる咒の気配から、どの辺を通って道路に出てるか見てるだけ。この辺土地勘ないから、下手に歩き回ったら見失いそうだし」
そう言うと、紅緒はスマートフォンを片手に歩き始めた。
彼のスマートフォンには薄汚れたあおさばさんのミニフィギュアのストラップが揺れている。
朱緒とは別の機体だ。二つを使い分けているらしい。
「本物の猫みたいなところを通ってるんだね……」
「生前は普通の飼い猫だよ。きっと縄張りを巡回してるつもりなんだろうね」
「飼い猫かどうかまでわかるの?」
「視てないの? 首輪してるよ」
二回の遭遇とも、直視を避けていたので秋帆はまったく気付かなかった。
口にしてから、紅緒は自分の発言を不用意なものだったと気付いたらしく、慌てて自分の手で口を塞いだ。
「……でも、橘くんはあんまり視ない方がいいね。あの赤猫、可哀想な姿をしてるから」
――そうだ。
死霊に同情すれば、付け入る隙を与えやすくなる。それで何度痛い目に遭ったか知れない。
紅緒と秋帆は、人家の敷地を迂回しながら街を歩き回った。
秋帆がこの街に引っ越してきてすぐの頃、周辺の公園やパン屋を一、二度散歩したきりで、近所を歩き回るのは久しぶりだった。生活に慣れてくると決まった道を通るばかりで、アパートから三百メートルも離れていないのに、こんな風景があるのかと初めて通る道に感動を覚えていた。
そして、駐輪場の一角を見た瞬間、秋帆は一気に現実に引き戻された。
紅緒も何かに気付いたらしく、振り向いたお互いの目が合った。
「あそこ、何かある」
「紅緒くん、行ってみよう」
ふたりして反対車線へ走って渡った。それから、辺りを見渡して探した。
「……あった」
屋根のついた駐輪場の一角、カラーコーンを置いて立ち入り禁止にしている場所がある。
カラーコーンの手前に立つと、煤で屋根の裏まで真っ黒になっているのがよく見えた。
「橘くん、これって」
紅緒が、秋帆の背中から顔を出した。
「うん……ここ、ニュースで見た。一昨日の放火現場だ」
まさか、赤猫の移動ルートの近くにあるとは。
――否、連続不審火と赤猫が関係しているならば、まさかのことではない。
「重なってて分かりにくいけど、二回焼かれてるね。焼け跡の片方しか咒の痕跡がない。一度目は人間の手で火をつけられて、その上からさらに赤猫が火をつけてる……」
紅緒が眉をしかめて煤の跡を見ている。
報道も彼の見立て通りだ。一度目、消防車が消し止めたあと、一時間もしないうちにまた出火したらしい。鎮火を確認して、警察や消防車もまだ近くにいたらしいのが、人の目を盗んでそんな仕業ができるのは、赤猫に違いない。
「赤猫がすごく興奮してるのが視える……」
「どうして赤猫が興奮してるのか分かる?」
「そこまでは…… 動物の感情は分かりにくくて」
紅緒が申し訳なさそうに眉尻を下げている。
「そっか……」
「……でも、橘くんが言ってた縄張りを荒らされて、というのはいい線いってるかもね。間違いなくこれはマーキングだよ」
紅緒は駐輪場を見渡した後、元来た道へ引き返そうと秋帆を手招きした。
「橘くん、戻ろう」
「……もういいの?」
「大丈夫だよ。視るべきものはもう視たから」
迷いなく歩き出す紅緒を見ていると、本当に彼とは視えている世界が違うことを痛感した。
もしかすると、視えない人たちからすれば、秋帆もこう映っているのかも知れない。




