20 炎天問答 ≪二日目 夕方≫
十五時になり、子供たちが下校した教室をスタッフ総出で掃除をしてから、今日の報告書を書いて提出した。
榎本と一橋はまだ他のスタッフと明日の打ち合わせをしていたが、ボランティアである秋帆と見学者の朱緒は見学の礼を言って、一足先にフリースクール『ひなどりの森』を後にした。
外に出ると、数歩で蝉の鳴き声と蒸し暑さに押し潰されそうになってしまった。
朱緒も憂鬱な顔でキャップを被っている。
腕時計は十五時四十三分――今日の捜索リミットを日没までとして、約四時間。今日一日で赤猫の塒を見付けられるとは考えていない。たった四時間で何ができるのか。この街で雲をつかむような話だが、足で探す方法以外、秋帆には思い付かない。
朱緒に妙案があるのか訊ねるため、声を掛けようとした。
「観池くん」
「橘」
同時に出た声にお互い牽制されて、先の言葉が続かなかった。
「……観池くんから先にどうぞ」
秋帆が促すと、気まずそうに視線を横に逸らせた朱緒は汗が流れるこめかみを指でなぞりながら、口を開いた。
「……今日は悪かった」
「え?」
「『オマエの態度が気に食わない』っていうのは本音だけど、言葉を選ぶべきだった」
いままでずっと強い物言いをしてきた朱緒がそんなことを気にするとは、驚きのあまり秋帆はどう返して良いか分からなかった。
「あの後、めちゃくちゃ凹んでただろ?」
机に突っ伏していた姿を見られていたらしい、秋帆は恥ずかしくなった。
しかも、あれは朱緒だけのせいではない。
「……でも、断れない僕も悪かったし」
「そういうお人好しなところが橘の美徳だろ」
限度はあるが、と朱緒が続けた。
しかし、秋帆は首を振った。朱緒が言うような美徳などでは決してない。断りきれないだけだ。もっと言うなら、断って人に嫌われるのが怖い。
「そんな風に言ってもらえるものじゃないよ……」
否、嫌われていると分かっていたとしても、頼まれれば断りきれない――
「僕が馬鹿なだけだよ」
「それはそうだな」
一言のフォローもなく、そう言ってしまう朱緒に秋帆は思わず笑ってしまった。
本当に悪かったと反省しているのかと思ってしまったが、何も考えてないに違いない。
「……何笑ってんの?」
笑う秋帆に朱緒は困惑して、軽く引いているようだった。
「観池くん、いま恋人いるの?」
「またかよ……」
怪訝な顔の朱緒がこちらを軽く睨んだ。
「これは僕の好奇心」
「……いない。付き合ったこともねえし」
「好きな人はいるの?」
一瞬、朱緒の視線が泳いだ。
「……いるけど」
「告白しないの?」
「ソイツ、別に好きなヤツいるから。諦めてる」
諦めてる、という言葉に重みがあった。
「優しいね」
「は?」
「告白して、相手を困らせたくないんでしょ?」
「ただの臆病だろ」
臆病になる気持ちも痛いほどによく分かる。告白して、元の関係に戻れるかどうかも分からない。
秋帆にも、覚えのある感情だ。
「橘は?」
「僕も、生まれてからずっと恋人なんてできたこともないよ」
「好きなヤツいんの?」
意趣返しとでも言うように、秋帆とまったく同じ質問をしてきた。
「……まだ好きかって聞かれたら、違うんだけど」
秋帆はその時のことを思い出し、心拍数が跳ね上がっていくのを感じた。
背中や脇の下に、嫌な汗が滲む。
「中二のとき、仲の良い女子がいたんだけど、僕のせいで疎遠になっちゃって、まだちょっと引きずってる」
「後悔してんの?」
「後悔っていうか……謝りたい、かな」
ふーんと、興味が薄そうに朱緒が相槌を打った。
「……やっぱ、他人の恋愛話聞いて盛り上がる奴らが分かんねえわ」
朱緒はつまらなそうに肩を竦めた。
「ゲームしてた方が楽しいのは分かるけど。恋人できたら、考えが変わるかもね」
「じゃあ、一生ないな」
「言い過ぎ」
生涯独り身でいるとでも言うような朱緒に、秋帆は苦笑した。結婚は分からないが、彼に恋人ができないということはないだろう。
それよりも、飛び抜けて良いところもなく、異性からモテたことのない秋帆は笑い事ではない。
「で、橘が言おうとしたのこれ?」
「赤猫のこと、聞きたかったんだ」
咒のことを切り出すと朱緒の足が止まり、途端に目付きが鋭くなった。
秋帆も足を止めて、彼の赤みを帯びた褐色の瞳を見上げた。
「何の手掛かりもないのに、どうやって赤猫の塒を探すの?」
「……それより、オマエもついて来るつもりか?」
炎天下の住宅街の真ん中で人影は少なかったが、朱緒は声を落としている。
「えっ? ついて行かない選択肢なんてあるの?」
当然のように、塒探しに加わるつもりだった秋帆は驚いた。
「護符燃やされてんだろ? 次は自分自身が燃やされるって考えないのか?」
「そうだけど、見過ごせないよ。僕の生活圏で起こってることだし、普通に過ごしていても、巻き込まれないとは限らないよね?」
「だからって、自分から近付くのは馬鹿がすることだろ」
「僕が馬鹿だって、ついさっき観池くんも認めてたよ」
秋帆の詭弁に心底呆れた朱緒が、忌々しそうに舌打ちした。
「……どうしてもついて来るつもりなら、俺の言うことには絶対に従え。一切詮索するな。赤猫に関すること以外の質問も認めない」
「うん、分かった」
秋帆は朱緒の目を真っ直ぐに見ながら頷いた。
「今日は塒を見付けたら、そこで終わりだ。何があっても、手を出すな」
「呪具を持ち帰ったりもしないの?」
「しない。静観する。持ち帰れるモノとも限らないしな」
「なるほど」
秋帆は頷いた。
「それから、自分の身は自分で守れ。俺を当てにするな」
「危なかったら、観池くんを見捨てても全力で逃げる」
「それでいい」
それから、朱緒は一瞬逡巡するように視線を下にさ迷わせた。
「……オマエ、口は堅いか?」
「堅いつもりだけど」
「向こうに着いたあと、俺が話すことは絶対誰にも言うな。『俺』自身にも」
朱緒はこれまでよりもいっそう低い声で、秋帆に警告した。
その言葉の意味することは分かりかねたが、頷かなければ彼は納得しないだろうことは分かる。
「……分かった」
秋帆は戸惑いながらも頷いた。




