↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
33/40

18 囀ずるひなどりたち ≪二日目 昼≫

 秋帆あきほがボランティアスタッフとして通うフリースクールは、住宅街の中にあった。建物はごく普通の一軒屋で、ブロック塀には『フリースクール ひなどりの森』という看板が掲げられている。


 その玄関前まで来た秋帆だったが、後ろを振り返り再確認した。


「本当に、二コマも講義サボって大丈夫……?」


 三時限目は到底間に合わないが、いま戻れば四時限目の講義を受けることはできる。


「これで単位落としたらアイツのせいにしてやる」


 三時限目・四時限目と講義を入れていた朱緒あけをは宙を――伊武いぶの顔を浮かべてそちらを睨んでいた。

 そう恨むのも当然で、これで試験範囲の発表などがあれば、目も当てられない。


「来るときにも説明したけど、心の傷を負っている子供もいるから、優しく接してあげてね」

「……善処する」


 朱緒には前もってフリースクールひなどりの森の説明をしていた。

 様々な理由で学校に行けなくなった小学生から中学生まで、総勢十名ほどの小規模なフリースクールだ。通っていた学校の許可があれば出席日数として認められるため、転校して復学する子や、受験が受かればそのまま中学、高校に進学する子もいる。


 逃げ場所――と言えば言葉は悪いが、完全に人との関わりを絶ってしまうよりは、ずっと良い。

 一度引き籠ると、そのままずるずると続いてしまうことを、秋帆は経験上知っていた。


 秋帆は目の前のインターフォンを鳴らし、声を掛けた。女性の声で返事があり、失礼しますと、言いながら鍵の掛かっていない玄関ドアを開けた。


 大小十足の、汚れた運動靴がたたきに並んでいる。きちんと揃えられていたが、数が数だけに溢れ返っている。

 廊下のすぐ左横にある部屋からは、子供の笑い声や話し声がよく響いてきた。そこにいるだけで、楽しそうな雰囲気が伝わってくる。

 ところが、後ろの朱緒の顔色を窺うと、気の重そうな顔をしながらキャップを脱いでいた。


「心配いらないよ、今日は見学だし」

「……どうだかな」

「荷物どうする? 一応ロッカーあるけど」

「大丈夫だ」


 大学から秋帆のアパートに寄って荷物をおろしていたので、ふたりとも身軽な格好でここまで来ていた。

 先導する秋帆が扉から顔を覗かせると、わっと一斉に子供たちが秋帆の名前を呼んだ。


「あっ、アッキー先生だ」

「秋帆先生、こんにちは!」

「みんな、こんにちは。一週間振りだね」


 部屋には八人の子供たちがいた。十三畳ほどのリビングダイニングを教室として、二つのテーブルに小学生五名と中学生三名のグループで分かれて座っている。それぞれのテーブルに大人が一人づつ付いており、二人も秋帆の顔を見ると笑顔を向けてきた。


「秋帆くん、再来週から試験なのに悪いね」

「いえ、こちらこそ。予定がころころと変わってしまって、ご迷惑をお掛けしました」


 そのうち小学生のテーブルに座っていた壮年の男性が立ち上がり、声を掛けてきた。

 白髪の長髪を後ろでひとつに結び、鼻の下には口髭を整え、ブロータイプの黒いプラスチックとメタルのコンビフレームの眼鏡を掛けている。


 野外活動も活発にしているのだろう、顔の皺から受ける印象の年齢にしてはがっしりとして引き締まった体つきをしており、皺の深い皮膚は褐色に焼けている。

 白いポロシャツにスラックスを掃いているが、アロハシャツの方が似合いそうな雰囲気だ。


「それから、彼が見学希望の観池くんで、同じ教育学部の一回生です」

観池みいけです。今日はお忙しい中、突然お邪魔させてもらってすみません」


 朱緒は軽く会釈した。

 澄ました顔のままで、愛想笑いひとつしない。だが、会釈ひとつとっても丁寧な所作見せ、相手を不快にさせない彼なりの気の使い方をしていた。


「いやいや、活動に興味を持ってくれるだけでも嬉しいよ。……できれば、ボランティアにも参加して欲しいっていうのが本音だけどね」

「考えてみます」

「ぼくはこのフリースクールの校長の榎本えのもとだ。よろしくね」


 中学生グループの机に座っていた女性もいつの間にか榎本の隣におり、朱緒を見て会釈し、朱緒も返した。


「スタッフの一橋いちはしです、今日は来てくれてありがとう。見学って話だけど、全然手が足りてないから、もし良かったらちょっとだけ手伝ってもらっても良いかな?」

「出来ることであれば」

「ありがとう! とっても助かる」


 一橋と名乗った女性は、小動物のように可愛らしいくりくりとした瞳をしていた。秋帆たちより少し年上で、ここで活動するようになって五年という大先輩だ。一見優しそうだが、そのはっきりとした口調は芯の強さを感じさせる。

 そんな彼女に案内されて、朱緒は小学生組のテーブルに座るよう促されていた。


「秋帆くん、今日も中学生組の勉強見てもらえるかな?」

「わかりました」

「みんな、ちょっと注目」


 榎本が朱緒の横に立った。


「今日、見学に来てくれた観池くんだよ。みんな、分からないことがあったら、彼に教えてもらってね」

「みいけ? じゃあ、ミケ先生だね」


 小学生の一人がそう言うと、みんな口々に『ミケ先生』と口々に言い始めた。

 さすがの朱緒もその合唱を怒ることはできないようで、無表情のまま居心地が悪そうに座っていた。


 そんな朱緒を微笑ましく眺めながら、秋帆は中学生組の机についた。

 中学生組の机には男子がひとり、女子がふたり座っている。


「今日もよろしくね」

「よろしくお願いしまーす!」


 三人が口々に挨拶を返す。

 その中でも、一番声が小さいのは唯一の男子――昨日偶然ゲームセンターで会った大雅たいがだ。机の下には、定位置だと言わんばかりに三毛猫の死霊が彼の足下で目を閉じて眠っている。


 勉強を教えるといっても、中学生になると自主勉強が主だ。彼らが分からないというところをアドバイスするだけなので、先生と呼ばれるのは気恥ずかしい。

 特に、大雅は頭がよく、秋帆が教えたことなど一度もなかった。通っていた中学校もレベルの高いところだったのだろう。


「大雅くんも、わからないところがあったら言ってね」

「……はい」


 敢えて、昨日のことは伏せた。誰にも見られたくないところだったに違いない。

 秋帆が彼の立場ならば、こんなところで話題にされたくはない。言葉少なな彼の態度も、同じ気持ちなのだと思わせた。


「……ねえねえ、アッキー先生」


 それまでひそひそと囁きあっていた向かいの女子ふたりが、身を乗り出して話しかけてきた。


「ミケ先生、カッコ良いね」

「アッキー先生の友達なんだよね?」

「うん、そう……かな」

「じゃあさ、カノジョいるとかって、知ってる?」


 やはり来たかと、秋帆は苦笑いした。


「さあ、僕は知らないけど、聞いてみる?」


 思い出せる記憶を辿る限り、そんな素振りは一切ない。

 しかし、まだ秘密を打ち明けられるほどの関係性を築けていないので、恋人の存在を隠していないとも限らない。


「初対面で、そんなこと聞けるわけないじゃん」

「ね~~」


 少女は悩ましげに溜め息を吐いていた。

 十三、四歳からすれば十九歳は大人に見えるのだろうか。

 しかしながら、十九になっても精神的な部分は大人になりきれず、自分の未熟さには辟易としている。


「アッキー先生が聞いてみてよ!」

「えっ、それはちょっと……」

「わからないことがあったら聞いてねって言ってたじゃん! 嘘吐くの?」

「それは勉強のことで……」


 面と向かって聞きづらいというのはわかるが、彼にもそこまで踏み込んだ質問をする度胸はない。


「どうしても! お願い!」

「一生のお願いだし……」


 だが、彼女たちの粘りもすごい。

 秋帆は小さく息を吐いた。


「……そこまで言うならいいけど、休み時間になってからだよ。それまではちゃんと勉強に集中しようね」

「は~い!」

「やったぁ! アッキー優しーい」


 彼女らは顔の良い『歳上の男性』を見て、騒いでいるだけだ。本気で付き合いたいなどとは考えていまい。恋に恋する年頃の少女たちの戯言だとわかっていたが、恋愛経験のほとんどない秋帆が彼女らになんと言うべきなのか、わからなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。