2 厄介事
今日——木曜日の講義は三時限で終わりだ。
璃々《りり》と晃生はサークルがあるので教室で別れ、秀と秋帆、花澄の三人はそれぞれ自宅やアルバイト先に向かうため駅を目指した。
「バイト怠いな〜……」
溜め息をつく花澄の足取りが重い。それに合わせる男二人の歩調も、自然と遅くなっていた。
「接客業は大変だよね。ライブのお金貯めてるんだっけ」
「チケットは大丈夫なんだけど、物販がね! 事前予約で買いすぎちゃって。バイト入れるだけ入らなきゃ来月ピンチなんだよね〜〜」
花澄の推しは企業Vチューバーグループだ。箱推しらしく、彼女のショルダーバッグにはぬいぐるみが五つぶら下がっている。
毎月バイト代の半分を推し活につぎ込んでいるとかで、他にもカメラへの課金や被服代にコスメ代など、後払いを駆使しながら毎月自転車操業で支払いを回していると言っていた。
そのため、カフェのバイトの他にもスポットバイトを入れており、独り暮らしの秋帆よりもずっとたくさん働いていた。
「パパ活すりゃ一発じゃん」
「えっ!?」
秀は名案だとばかりに手を叩く。
悪気がないのが一番、タチが悪い。どうしてこの場に晃生がいないのか、秋帆は頭を抱えたくなった。秀に注意しなければいけないのだが、うまく言葉が出てこない。
「わたし、可愛いけど、そういうの嫌だから」
自分をかわいいと自負する花澄は、その自信に裏打ちされた力強さで言い返した。
はっきり言えない秋帆よりも、彼女の方が余程強い。
「みんなやってんだろ」
「わたしはわたしだし。関係ないもん」
「でも、毎月金欠なってんじゃんか」
「でも、何とかなってるし」
「そのうち借金地獄になんじゃねーの」
「これでも、ちゃんと考えてるんだからね」
ふたりとも喧嘩腰ではないが、花澄と秀の間に見えない壁が聳え立っている。
これは長引きそうだ。
「秀くん、ちょっとしつこいよ……」
そう言うのが、秋帆には精一杯だった。
「ねっ、アッキーくん。ちょっとしつこいよね」
唇を尖らせた花澄は、さっと秋帆の後ろに回り、彼を盾にして秀を非難した。
「アドバイスしてやっただけだろ……」
二対一になった秀は、むっとした顔で、花澄ではなく秋帆を睨んだ。
より弱い方へ矛先が向くのは仕方がない。これ以上強く言うことはできない秋帆は、曖昧に微笑んで返した。
「でさ、アッキーくん聞いてよ〜〜。今回のアクスタがもうカッコよくてね」
キャンパスを抜け、今朝も通った裏道の入り口まで来たところで、秋帆はようやく思い出した。
(しまった……)
今朝の死霊の姿を思い出し、思わず身体がすくんだ。
十四時半を少し回ったばかり、周囲はまだまだ明るいが、そんなものは関係ない。すでにいない可能性もあるが、絶対とは言い切れない。できれば一週間はこの道を避けたかった。
「……ねえ、今日は正門から帰らない?」
「は?」
秀の不審感に充ちた目がこちらへ向けられた。しまった、と思ったが秋帆はとっさの嘘が下手だった。
『忘れ物したから、先行ってて』とでも、言えば良かったのだ。後悔しても後の祭り。
「……あの、今朝ここ通ったら変なもの視ちゃって……」
「変なもの?」
花澄が可愛らしく小首を傾げる。
「何かの死体、みたいな……?」
ぎりぎり嘘は吐いていない。死霊のなかには、死亡時の姿で現れるものがいる。
おそらく、今朝遭遇したものはそうだ。
「えー、ヤダ〜〜! 気持ち悪ーい!」
「猫? 犬?」
「怖くてちゃんと見なかったから……」
しどろもどろだ。
友人とはいえ、まだ付き合いの浅い彼らに、秋帆は自分が視える人間であることを打ち明けていなかった。秘密というほどのものではないが、なるべく波風を立てないための処世術だ。
幽霊が視えることを打ち明けなければ良かったと、どれほど後悔したか知れない。
幽霊は存在しないと面と向かって言ってくる人はマシな方で、その場では何も言わず後になって嘘つきだと陰口を吹聴されたことがあり、かなり傷付いたことがあった。
はたまた、霊の存在を信じているのかいないのか分からないが、好奇心であれこれ聞いてくる人もいた。その人に悪意はなかったのだろうが、そこから面倒事に巻き込まれたこともあり、どう転んでも好ましい事態になることは、これまでの経験上皆無だった。
そんな事情もあり、霊感があることは極力知られたくなかった。
「わたしもヤダ! 正門の方回ろうよ〜〜」
「大丈夫だって、見なけりゃ良いじゃん。俺が手引いてやるから」
「つまずいたら危ないもん。絶対、イヤ!」
「え〜……」
秀の下心を敏感に感じ取った花澄は、はっきりと拒絶した。
先ほどのやり取りのこともあり、秀は失点を取り戻そうとしているようだ。それから少し考えた彼は、自信満々に胸を叩いた。
「分かった! 先に行って見てきてやるよ」
「ホント? なら助かる〜〜」
及第点ではあったようで、花澄の機嫌は何とか持ち直したようだ。
「ほら、行くぞ秋帆」
「ぼ、僕も苦手だから!」
秀に腕を掴まれ、強引に引っ張られる。しかし、秋帆も踏み止まって必死に抵抗した。
彼のその様子を、秀は怪訝な顔で見ていた。秋帆がここまで拒絶し、抵抗するのは初めてのことだ。
「ただの死体だろ? そんな嫌がることないじゃん」
『忘れ物』を言い訳にしなかったことを、秋帆は心底後悔した。後悔しても、もう口に出してしまったものはどうしようもない。
「じゃあ、お前もそこで待ってろよ」
秋帆は観念した。秀が行ったところで霊が視えるわけでもなし、そもそも死体はないのだ。
「……秀くん、待って」
呼び止めた秋帆に、秀だけではなく、花澄までもが怪訝に眉をひそめた。
「本当は、今朝視たのは死体じゃなくて、幽霊なんだ。また同じ幽霊がいたら、今度こそ憑き纏われる」
「……はァ?」
秋帆は二人の視線が怖くて、俯いたまま言葉を続けた。
「僕、霊感があって、そういうのが視えるんだ…… 今まで黙ってて、ごめん……」
——言ってしまった。
知られてしまったという後悔と、打ち明けたことに対する解放感。そしてどんな反応が返ってくるのだろうという不安感が、胃の腑の辺りでぐるぐると渦を巻いている。
「……えっ、霊感があるってスゴくない?!」
第一声は、わっと咲くような好奇心に満ちた花澄の声だった。
「……マジかよ、ユーレイ見えるとかヤベーじゃん。なんで今まで言わなかったんだよ?」
秀の口調も強く責める訳ではなかったので、秋帆はようやく視線を上げてふたりの顔を見ることができた。
「幽霊が視えるなんて言ったら気味悪がられるから、言い出しづらくて……」
「やだ、そんなことないし! 逆にすごいじゃん。会話とか出来たりするの?」
「会話はしたことないけど、たまにぶつぶつ喋るのはいたりするかな……」
ふたりは興味津々で口々に問いを投げ掛けてくる。
「やっぱ、ユーレイって足透けてたりすんのか?」
「そんなことないよ。見た目だけじゃ生きてる人間と見分けがつかない時もあるし」
「ウッソ〜〜! そんなにハッキリ見えちゃうんだ!」
「はっきり視えたり、白っぽいのとか黒い靄に視えたりとか、いろいろ」
「へ〜〜」
秀も花澄も、信じているのかいないのか、やはりいまいち分からない顔で秋帆の話に相槌を打っている。
「……それでね、できれば皆には内緒にしてて欲しいんだ」
「コーセーと璃々にもか?」
「コーセーくんは分からないけど、璃々ちゃんは前にオカルトは信じてないって言ってたし。どうしても、こういうの受け付けない人もいるから……」
「ふーん、解った」
秀は秋帆の様子から察したのか、素直に頷いた。しかし、花澄は何事か言いたそうにちらちらと秋帆の様子を窺っている。
「アッキーくん、どうしても他の人に言うのダメかな……?」
「……え?」
「実はサークルの先輩が困ってて」
「……」
——面倒事だ。
まだ詳しい話も聞いていないのに、秋帆は憂鬱な気持ちになった。
「美雨先輩っていうんだけど、その先輩がアパートで変なもの見たって言うの」
その花澄の言葉に、動揺を見せたのは秀だった。そういえば、花澄と秀は同じ写真同好会に所属している。
「……マジかよ? 先輩、この前ストーカーに遭ったばっかじゃ」
「そうなの…… やっとストーカーがいなくなったと思ったらこれで…… 美雨先輩、すっごく不安がってて……」
花澄はまるで自分ごとのように、いまにも泣き出しそうな顔をしている。これほど深刻な表情する彼女を初めて見た。
「ねぇ、アッキーくん、お願い。先輩の部屋にユーレイがいないか、一回見てくれない?」
「でも僕、視えるだけでお祓いなんてできないよ……」
断ろうとした途端、秀に肩を掴まれた。
「はあ? なに言ってんだよ!?」
頭の上から落ちてくる恫喝混じりの声に、秋帆の身が竦んだ。掴まれている肩に指が食い込んで痛い。
「秀くん、大きな声出さないで! ……アッキーくん、もし何かいたら、お祓いはお寺とか神社に頼むし。見てくれるだけで良いから……お願い!」
こういう場合、可愛らしい容姿というのは得だ。過剰な演技だと頭では理解していても、感情を揺り動かされてしまう。
しかも、その後ろにいる秀に凄まれてしまっては、退路がなかった。
「視るだけで、良いなら……」
「ホント!? まじ嬉しい! 今日バイト終わった後、時間ある? 急でごめんなんだけど、先輩の部屋に来て欲しいの!」
「きょ、今日!? 夜になるけど、先輩の迷惑にならないかな?」
名前からして『美雨先輩』は女性だろう。女性の部屋へ夜に訪れるのは、憚られた。
「全然そんなことないよ〜〜! いるかいないか分かるだけでも先輩の気が楽になるし。もしいてもわたしの家に泊まってもらうから、その方が動きやすいもん!」
「……分かった。七時に終わるから、八時以降なら大丈夫だよ。もし遅くなりそうだったらすぐに連絡する」
せっつかれ、強引に花澄と今夜の約束を取り付けられた。
しかし、人助けと思えば少し明るい気分になれる。相も変わらず自分は単純な人間だと思ったが、他人に利用されているとは考えたくない、そこまでひねくれたくなかった。
「うん、じゃあ八時でお願い。待ち合わせ場所はまた連絡するから。美雨先輩にはわたしから連絡しておくね。本当にありがとう!」
これまで見せたことのない心から嬉しそうな顔で、花澄が笑っていた。




