14 墨染の呪い ≪一日目 夜≫
先にお風呂をいただいた秋帆は、朱緒の部屋でスマートフォンを触りながら彼を待っていた。
しかし、晃生が贈ったあおさばさんのぬいぐるみが部屋のどこにもないことが気になって、きょろきょろと部屋のなかを見渡していた。あまりじろじろ見るものではないと思うが、好奇心が勝ってしまう。
ふたりで荷物を置きに来たときには、確かにベッドの上にいたはず。どこに移動させたのだろうか。
ベッドの下を覗き込んでみたが、衣装ケースで埋まっている。
「橘くん、折角だからお話ししようよ」
妙な体勢をしていたところで、伊武が声掛けもなく部屋に入ってきたので、秋帆は驚いて首を痛めかけた。
「観池くん、お風呂ですけど……」
「いいのいいの。いないタイミング狙って来たんだから」
部屋の主がいれば怒りそうなものだが、彼は気にする素振りもなくベッドの上に胡坐をかいた。
「今日のことは、本当に有難うございました」
秋帆は改めて礼を言った。
朱緒から彼を紹介してもらわなければ、この一週間どうなっていたことか。
「ええ~~。まだどうなるかも分からないのに期待されてるねぇ、俺」
「あっ、その……プレッシャーを与えようとか、そういうのじゃなくて……」
「嘘嘘、冗談だよ。自信あるし。やっぱり面白いなあ、橘くんは」
「…………」
伊武がはははと、笑っている。
朱緒が彼に注意しろと言った意味が少しだけ分かる気がする。善良なだけではない毒がある。
「不躾な質問なんですけど……」
「ん? 何? 何でも聞いてよ」
秋帆からの質問が嬉しかったのか、伊武は人好きのする笑みを向けた。
「伊武さんも幽霊とか、視えるんですよね?」
「一応、視えるよ。影や靄みたいなのが視えるだけだから、君たちほどはっきりと視えてないけど」
思ってもいなかった答えに、秋帆は軽く驚いた。
「……そうなんですか? すごい方みたいだから、もっと色々なものが視えるのかと思ってました」
「俺の腕を信じてくれるのは嬉しいけど、買い被りだよ」
伊武は何か考えるように、視線を上にさまよわせた。
「……橘くんは何でも視える人ほど、すごい力を持ってると思ってる?」
「はい、何となく」
頷く秋帆に、伊武が首を振った。
「ところがどっこい、そうじゃないんだよね。視えることと、呪符を書く才能ってのはまったく別物だから」
「そうなんですか?」
驚いた顔をする秋帆を見た伊武が、嬉しそうに笑った。
「視ることができなくても、霊書――符を書く才を持ってて、それで商売してる人もいるよ。――ただ、視えた方が現場で臨機応変に動けるから、重宝されるっていうだけ」
「現場?」
「除霊だとか、咒の討伐のね」
「へえ…… 何だかすごいですね」
まるで知らない世界の話に、秋帆は好奇心を擽られた。
視ることはできてもそれだけで、自衛することすらできない無力な彼からすれば、死霊に対抗しうる力を持っている人たちは、まぶしく映る。
「逆に朱緒くんなんかは、視えて祓えても、書く方はからきし駄目なんだよね。せめて俺くらいの才能があればねえ……」
同情とも、嘲りともつかない笑みが伊武の唇の端に浮かんだ。
それを見た秋帆は、すこし不快な気分になった。友人を馬鹿にされたのだ、何か言い返したかったが、この男の方が彼のことを知っている。
途端に、そのことがとても悔しくなってしまった。
もやもやとしたまま黙っている秋帆に向けて、良いことを思い付いたとでも言うように、伊武が一度手を叩いた。
「……そうだ! 橘くんも自分で護符書いてみる?」
「え……?」
彼に悪感情を抱いていたところ、まったく予期せぬ誘いに秋帆は激しく動揺した。
「僕でも書けるんですか?」
「俺が教えてあげる」
伊武の誘いに彼の心は動いた。これまで志齊住職や朱緒に頼りきりで何もできなかったことが、自分の力で解決できるかもしれない。
そう考えた瞬間、眼前が開けたような気がした。
「始めるとしたら、まずは昔からある定型の符からだね。お手本通り書けば、誰でも一定の効果があるんだよ。そのための『型』だからね」
なるほど、と秋帆は素直に頷いた。
「でも、才能があれば、一定以上の効果が発揮できる。君がお世話になってる志齊住職や朱緒くんの親父さんなんかだね。このレベルになってくると、自分に合わせたオリジナルの呪符を書いちゃうんだけど」
「伊武さんもそうなんですか?」
「んー…… 半分そうで、半分違う。自信があるといっても、まだ研鑽の途中だから。定型を崩して、より自分に合った呪符を模索中」
男がにこりと笑う。
魅力的な誘いだ。しかし、何か違和感があった。
いくら秋帆が視える人間とはいえ、何も知らないただの一般人だ。そんな彼をそちらに引きずり込むような話に、今さら不安になった。
「それより一番得意なのは、今回みたいに他人の書いた符に手を加えて魔改造しちゃうことなんだけどね。書いた本人にはメチャクチャ嫌がられるから、全方位から嫌われまくってるんだけど」
つまりは、他人の作品を切り貼りしながらコラージュして自分の作品を作り上げているということだろうか。
「それは嫌われそうですね……」
ひとによっては、冒涜と捉えるに違いない。
「橘くんもそう思うタイプ?」
だが、伊武は悪気なくからからと嗤っている。
「でもさ、俺なんかに魔改造される程度のモノしか書けない奴が雑魚なだけでしょ」
そういう連中は、相手にしていないということだろう。完全に見下している。
「ずっと上のレベルの人の呪符なんか、それだけで繊細で、完成されていて、美しいからね。――まあ、それだけに触ってみたい気持ちもあるにはあるんだけど。……だからさ、今日は橘くんが護符を持ってきてくれて、俺は感謝してるくらいなんだよ。不完全とはいえ、あの志齊住職の護符を触れるんだからね」
先程とはうって変わって、陶然とした笑みを浮かべていた。興奮しているのか、うっすらと頬が上気している。
彼の呪符への情熱は本物のようだが、それだけに空恐ろしく感じてしまった。
「……あ、俺の話なんかはどうでもいいよね」
ふと我に返った伊武は、すこし照れ臭そうに頭を掻いた。
「君に適性があるかどうかは、書いた符を見てみないことには分からないんだけど。もしかすると、朱緒くんより才能あったりするかもね」
「……伊武さん、何してんの」
その時だった。鋭く尖った低い声が、入り口から聞こえてきた。
そちらを向かずとも、朱緒が恐ろしい顔で睨んでいるのが分かる。
「朱緒くん、早いね。ちゃんと湯船浸かった?」
「誰かさんのせいで、ゆっくりできる訳ねえだろ」
男は渋々ベッドを降りると、腰を折って秋帆の耳元で囁いた。
「橘くん、さっきの話考えといてよ」
「……」
恐らく、この男はロクでもない人間だ。
そう頭では理解したが、その言葉は魅力的に響いた。
「早く出ていけ」
「はいはい。じゃあ、ふたりともおやすみ」
朱緒は伊武の後ろ姿を廊下の曲がり角に消えていくまで、睨みつけていた。怒りが陽炎のように背中から立ち上っている。
「伊武さんが言ってたことは、忘れろ」
言いながら、障子を静かに閉めた。
「……でも、僕が……その、護符を書けるようになったら自衛できるし、すごく良いことなんじゃない?」
「オマエの可能性を広げることにはなるだろうが、いい面だけじゃない」
こちらを向いた顔は、予想に反して無表情だった。怒るでもなく、窘めるでもなく。ただただ冷たく、すこし突き放したように秋帆を見下ろしている。
「下手に適正があってみろ。オマエは必ず、誰かを呪うことになる」
「……」
静かな声だったが、まるで脅迫の言葉だ。
しかし、秋帆は秀のことを思い出し、反論することができなかった。
きっと彼も大切な人を守るためなら、迷いなく誰かを呪うだろう――その確信がある。
「その覚悟ができたとしても、絶対アイツだけには師事するな。ロクな死に方しないぞ」
「はは…… それは何となく分かる」
へらへらと笑って見せる秋帆に、それまで能面のように無表情だった朱緒の眉根が寄った。
「ならいいが」
言いながらベッドに座ると、彼は手に持ったドライヤーをコンセントにつないで、髪の毛を乾かし始めた。
よく見れば、朱緒の髪は湿り気を帯びたままで、乾かす時間すら惜しんだようだった。
「……あ、コーセーくんからチャット来てて、また観池くんと遊びたいって」
「は? 俺はもうこりごりなんだけど」
「クレゲはもう勧めたりしないよ。コーセーくん、そんな鬼じゃないから。まだ遊び足りなかったって言ってたしね」
「充分、相手してやっただろ……」
朱緒はうんざりしたように舌打ちした。
「明日早いから、もう電気消すぞ。スマホ充電するなら、そこの座椅子の横にコンセントあるから」
「あ、助かる」
旅行用鞄から充電器を取り出した。
座椅子の横を覗き込むと、電源タップがあった。この距離ならば、充電しながらスマートフォンの操作ができそうだ。
秋帆は電源プラグを差してから、机の上の棚を見上げた。
「このフィギュア、ビーエックスのキャラだよね」
棚に飾っているのは二体のフィギュアだ。
スカルの仮面をして、黒い独特なフォルムに赤と青のグラデーションのラインが入ったスーツを着用しているキャラクターと、白の帽子とスーツに黄色や黄緑色の差し色が配色された二枚目キャラクター。
どちらも同じシューターゲームのキャラクターだ。
「……プレイしてんの?」
「いや、僕は遊んだことないんだけど、作業用でよく観てる配信者さんがプレイしてて」
「そうか……」
心なしか、彼が肩を落としたように見えた。
「観池くん、好きなんだね。得意なの?」
「……得意っつか、ただのエンジョイ勢だし。プラチナ帯の下の方ウロウロしてるから、そんなには」
ぐいぐい来る秋帆に朱緒はすこし引いているようだったが、ここで諦める訳にはいかない。
何を隠そう、秋帆もゲーマーなのだ。
ようやく見つけた朱緒との共通点、彼は食い下がった。
「このパソコンもゲーミングPCだよね。他には何のゲームするの?」
「やっぱシューター系が多いかな。ライト4とか、ベイオとか、たまに誘われてナイトレイトとか遊ぶけど」
「そうなんだ」
今度は秋帆が肩を落とした。
「……橘はゲームすんの?」
「ポイモンとか、ダルゼとかのRPG系」
秋帆は血の出るゲームはまったくプレイできない。
現実世界でグロテスクな死霊を視ているのに、なぜ娯楽のゲームのなかでまたグロテスクなものを見なければならないのか。
ビーエックスは血が出るグロテスクな表現はないが、そもそもエイム操作の苦手な秋帆に、対人シューターゲームの素質はない。そのため、見る専に徹しているのだ。
「あー…… そうか……」
お互いにゲーマーだと認識したが、まったく噛み合わないジャンルに秋帆は頭を抱えた。
「……寝るか」
「……そうだね」
朱緒はベッドから立ち上がると、照明の引き紐を引いて電気を消した。




