12 蜘蛛の糸の先にいる男 ≪一日目 夜≫
伊武が両手をパチンと打ち鳴らす。
「でまあ、本題なんだけど。俺も呪符を書く側でね」
突然の呪符という言葉に、秋帆は驚いた。
彼もまた、視える側という訳だ。朱緒との会話を聞く限り、薄々そんな気はしていたが、符を扱う人だとは微塵も考えていなかった。
「次のが届くまでの、繋ぎを用意してあげられるかもしれない」
「本当ですか!?」
蜘蛛の糸のような話に、秋帆は思わず身を乗り出してしまった。
「まあまあ、落ち着いて。かもしれないって話だから」
伊武はどうどうと、両手をひらひらさせながら秋帆を宥めた。
「朱緒くんも下手に君に期待させたくなかったから、黙って連れて来たんでしょ。期待して、無理でした~~なんてなったら、ガッカリだしね」
ああ、そういうことかと、胸のもやもやがすこし晴れたが、それにしても朱緒は言葉が少ない。
「焼けた護符、視せてもらえる? まずはそれからだ」
秋帆はパンツのポケットに入れていた御守りを予備と合わせて彼に手渡した。
御守り袋のなかの紙を軽く開いてそれを視た瞬間、伊武の雰囲気が少し変わった。
「……凄いね。誰に書いてもらったの?」
「国祥寺の志齊住職です」
その名を聞いた伊武の顔が、分かりやすく驚いて目を見開いた。
「へえ、俺らの間じゃ名の通った人だよ。一般人に護符を書くような人だとは思わなかったな」
「そんなにすごい方なんですか…… 祖父と住職が囲碁クラブの仲間で、仲良くさせていただいているんです」
「良いご縁だね」
彼が莞爾と笑った。
「伊武さんが親父以外の人を褒めるの初めて聞いたな」
朱緒もすこし驚いた様子でスプーンを置いて、護符を覗き込んでいた。
「俺だって尊敬してる人は何人かいるよ。弟子に取ってくれる人が真赭さんしかいなかったってだけで」
「親父も認めてないだろ……」
手厳しい突っ込みが朱緒から入った。
「で、こんな護符いったい誰が焼いたの?」
勿体ないと言いたげに、心底残念そうな顔を朱緒へ向けた。
「赤猫に遭った」
「視たの?」
「焼かれたのは昨日だけど、今日、同じ場所で俺も橘も視たから確定だろ」
「ああ…… 面倒なのに遭っちゃったね。普通の御守りなら燃やされることもなかったんだろうけど、警戒したんだろうなぁ」
彼は黙ったまま、口元に手を当て、人差し指で頬を叩きながら考え込んでいる様子だった。
「護符が届くまで、一週間くらいって言ってたっけ……」
秋帆は頷く。
「……視たところ、まだ霊力は残ってるし、手を加えればどうにかなるかな」
「どうにかなるというのは……?」
伊武は視線を上げると、歯を見せて笑った。
「明日からは、朱緒くんの傍をチョロチョロ歩かなくて済むようになるよ」
「本当ですか? 有難うございます!」
秋帆は座ったまま深く頭を下げた。
「いいよいいよ、気にしないで。明日の朝までには何とかしとくから。それまで二つとも預かっとくよ」
伊武はテーブルの上に置いていた清潔な白いハンカチを開くと、御守りを丁重に挟んだ。
「……あの、それで、代金はどうすればいいでしょうか?」
緊張した面持ちの秋帆が、伊武の顔をじっと見上げている。
「いつも、祖父母が御守りを用意してくれていたので、……相場が、よく分からなくて……」
「朱緒くんの友達からお金取れないでしょ」
秋帆の何が伊武のツボに嵌ったのか、彼は声を上げて笑っていた。
「胡散くさ。……橘、百円でもこいつに渡しとけ。タダより高いものはないからな」
「ええ~~。払ってもらえるなら、せめてもう一桁寄せてくれよ」
「……少し、待っていてください!」
財布を取ってきます、と言った秋帆は食べかけのまま離席してしまった。
「何も、いま取りに行かなくても」
真面目だねえ、と言いながら伊武がにやにやと楽しそうに笑っている。
そうして財布を持って戻ってきた秋帆だったが、大変申し訳なさそうに肩を竦めていた。
「ごめんなさい…… 財布にこれだけしかなくて……」
秋帆は頭を下げながら、五千円札を財布から取り出した。
「足りなかったら教えてください。電子決済で十万円くらいまでなら、たぶん、後払いでなんとか……」
秋帆がそう口に出したところで、とうとう朱緒まで笑い出してしまった。必死に口許をおさえて顔を背けているが、明らかに笑っている。
伊武に至っては、手を叩いて大爆笑していた。
「大丈夫大丈夫。お気持ちで」
伊武は笑いを堪えながら、五千円札を受け取った。
彼らの態度から、五千円ではまったく足りないことを察した秋帆だったが、具体的な金額を教えてもらわないことには、どうすることもできない。
「用が済んだんなら、部屋戻ったら?」
「ええー。せっかくだから、俺も橘くんとお喋りしたいんだけど」
まったく何を企んでいるのか読めない男に、朱緒は疑わし気な目を向けている。
だが、朱緒の視線を躱すように伊武は話題を変えた。
「橘くんはサークル入ってるの?」
「いえ。……でも、週一、二回フリースクールのボランティアスタッフには行ってます。将来、不登校の子供たちを支援する職に就きたくて」
「すごいね、立派な志だと思うよ」
「……ありがとうございます。でも、具体的にどうしたら良いのか解らなくて…… だからボランティアに参加してるんですけど、まだまだ見えてこないのが悩みです」
止めても無駄と悟った朱緒は、目の前の食事に集中することにしたようだ。黙々とカレーを食べている。
「ボランティアも始めてそんなに経ってないでしょ? まだまだ焦る必要なんてないよ。フリースクールで何してるの?」
「小中学生に勉強を教える補佐をしてます。火曜は講義が午前中までなので、午後の半日だけ」
「へぇ、じゃあ明日も?」
「……その予定だったんですけど、御守りが燃えてしまって不参加の連絡を」
してるんですけど、と言い切る前に、伊武が手を打った。
「そうだ。朱緒くん、一緒についてってあげなよ。橘くん、ボランティアって見学させてもらえるの?」
「は?」
それまで空気に徹していた朱緒が、喉から野太い声を出した。
「午後も講義入れてるから普通に無理。つか、アンタが護符に手を入れるなら、俺は要らないだろ」
「自分の手技に自信はあるけど――でも、俺だって絶対じゃない。様子見に明日一日くらい付いててやったら?」
「絶対じゃないとか言うようなヘボ野郎が、看板上げてんじゃねえよ」
上から見下ろしたまま笑みを崩さない伊武に対し、朱緒はまるで威嚇のように彼を下から睨め付けている。
部屋の空気が雪崩れ落ちるように悪くなっていく。秋帆は顔を青くして、オロオロとしながら朱緒と伊武のふたりを交互に見ていることしかできなかった。
「そんな口利くなら、今すぐ真赭さんに連絡しちゃうよ」
「脅しかよ……」
「明後日、報告するとき、責められるのは俺だからね。これくらいの裁量はあって当然だよ」
端から旗色の悪かった勝負は早くも決着し、朱緒は舌打ちした。
「……観池くん、わざわざついてきてもらうのは悪いから、気にしないで」
「駄目駄目」
伊武はちっちっち、と人差し指を振って見せた。
「朱緒くんにも色んな経験積ませとかなきゃ。大学卒業したら就職活動の苦労も知らず、このお宮を継ぐことになるんだからね」




