10 観池の家 ≪一日目 夜≫
電車を三回乗り継ぎ、都心部から離れていくごとに乗車者数が少しずつ減っていく。車窓からの風景も明るい繁華街と住宅街、真っ暗で何も見えない田園地帯が交互に現れては消えた。
二十一時二十七分――ふたりはようやく無人改札の駅で下車した。周りはほぼ真っ暗で、営業している店舗の明かりがぽつりぽつりとあるだけだ。
「ここから歩きで三十分掛かるぞ」
「……遠いね」
言葉は控え目だったが、まだ掛かるのかと言いたげに秋帆の瞳が絶望を写していた。
アパートを出てすぐ、朱緒からあと二時間掛かると聞いた彼は、我慢できず駅の売店で餡団子を購入していた。夕飯が用意されていると聞いていたが、空腹の限界だったのだ。ホームの隅の方で、朱緒とふたりで団子を分け合って胃に詰めたが焼け石に水。
いま現在、昼食から九時間以上経ち、空腹のピークを過ぎに過ぎて胃がおかしくなりそうだった。
「チャリなら十分も掛からないけど」
「……それは」
「二ケツすれば」
「…………やめとこうか」
朱緒の悪魔の囁きに、秋帆は悩んだ末に断った。
だろうな、と朱緒は少し疲れた顔で呟いていた。
駅から商業地を抜けて国道へ出ると、街路樹が並ぶ歩道をしばらく歩いた。既視感のある地方都市の郊外の景色だ。
六車線道路の両側には大型量販品店やドライブスルーのファストフード店、二十四時間稼働しているスーパー、様々な店舗が並んでいる。歩けど歩けどその光の帯の先が見えない。
電飾の看板のお陰で暗さはないが、さすがにこの時間帯、歩道を歩いている人は少なかった。
ふたりは光の終わりを見ることなく、コンビニと中古車店の間の脇道に入った。
朱緒は後ろからついてくる秋帆の方を振り返った。電車を降りてから、ふたりとも口数がぐっと少なくなっている。
「コンビニ寄る? 買い忘れたものとか」
「大丈夫だよ」
コンビニの明かりが届かなくなると途端に周囲が暗くなり、車の走る音も遠ざかっていった。ぐるりと見渡しても住宅街だが、遠くから微かに虫や蛙の鳴き声が聞こえてくる。この辺り一帯は水田に囲まれてるのだろう、秋帆は故郷を思い出して懐かしくなった。
都内とは違い、風が涼しい。この空腹さえなければ、良い散歩になったに違いない。
何度か路地を曲がり、また広い道路に出た。比較的新しい住宅街と旧くからある住宅街がその道を挟み、はっきりと分かれていた。
点滅信号が光る四車線道路の横断歩道を小走りで渡ると、歩道のすぐ脇に小川が流れていた。闇のなかでは流れは見えず、微かなせせらぎだけが響いている。
その対岸には樹影が見えた。森だろうか。
「……あのさ、ウチ、居候のオッサンがいるんだけど」
唐突に話し始めた朱緒の、歩く速度がすこし落ちた。
「叔父さんとか、親戚の人?」
「いや、まったくの赤の他人」
なぜ、そんな人が? とは思ったが、各家庭さまざまな事情があるのだろうと納得し、深く追及はしなかった。
「外面はいいけど、ロクでもないクズだから、注意しろよ」
「……えっ? うん……分かった」
朱緒は、本当に大丈夫かと言わんばかりの疑わしげな目で、秋帆を振り返った。
その男と朱緒の関係性は分からないが、彼がここまで扱き下ろすとは、なかなかの人物に違いないと、肝に銘じた。
それからしばらく進み、左手の森が途切れたところで竹垣が現れた。その上から見える瓦屋根が低い。平屋建ての家屋だろう。
「そこの橋渡って、左手すぐが家」
左手に掛かる橋を渡ると、ほんのすぐ先に門扉が見えた。
道路と門の間には一メートルほどの水路が走り、その上に分厚いコンクリートの壁をそのまま倒したような橋が渡されている。手摺も何もない無骨な橋だ。
渡った先には、年季の入った瀟洒な数寄屋門がひっそりと建っていた。
「……観池くん家って、お金持ちだったりする……?」
「古いだけだ。先入れ」
朱緒は鍵を開けて引き戸を引くと、客である秋帆を先に招いた。
緊張しながら門を跨いだ秋帆は、潜り抜けるその瞬間に何かが耳元で弾ける感覚を覚えた。
思わず左手で耳に触れたが、当然ながら何もない。
音がした訳ではなかった。勿論、耳鳴りという訳でもない。ただ、門扉の内側と外では『違う』という違和感だけがある。
だが、その微かな違和感は、目の前にある立派な純日本家屋を前に塗り潰された。
「……すごいお家だね」
「そうか? ボロいだろ」
入母屋屋根の玄関を見上げた秋帆が、感嘆の声を上げた。朱緒はボロいと言うが、年月を経た佇まいはそれだけで存在感がある。
前庭に敷かれた玉砂利を踏む足音が、ふたり分響いている。飛び石は配されていたが、この暗闇では見えない。足元灯が壊れているようだ。
両脇に迫る庭木の足元で、白いドクダミの花が明かりの代わりと言わんばかりに十字を連ねて幾つも咲いていた。
「水回りはリフォームしてるからマシだけど、廊下とかマジで気を付けろよ」
「それ聞いて安心した。古いお風呂って雰囲気だけでも怖いもんね」
前庭を抜け玄関前に立った朱緒だったが、足を止めて振り返った。何かを言い淀んでいる。
秋帆は何かと問うように、大きく瞬きした。
「もう黙っててもバレるから言うが……」
「うん?」
珍しく、朱緒の歯切れが悪い。だが、すぐに観念したようだった。
「俺の家、代々神職の家系なんだよ。来るまでに鎮守の森が見えただろ? あそこがお宮」
「すごく納得した。だから観池くんの周りの空気ってそんなに綺麗なんだね」
言ってはなんだが、秋帆に驚きは微塵もなかった。
「納得されるのも複雑だな……」
朱緒は負け惜しみのように舌打ちしながら、玄関の引き戸を開けた。
「ただいま」
「お邪魔します」




