4 三様の筆線 ≪一日目 昼≫
昼食を終えたあと、食堂で次のコマまで前期試験の準備をすることになった。そのままの流れで晃生も同席だ。
図書館に移動するという話も出た。そちらの方が静かで、資料も探しやすい。その上、コピー機も数台完備されているので環境はいいのだが、飲食禁止の点が唯一のネックだったため、却下となった。
「コピー行ってくる。三部ずつでいいか?」
「いいよ、僕が行ってくる。花澄ちゃんと璃々ちゃんの分もいるし」
問題用紙を手にした朱緒が立ち上がった。秋帆も続いて立ち上がる。
「俺だけ何も持ってきてないから、これくらいやらせろ」
自分だけが過去の試験の問題用紙を用意できないのは、彼としても居心地が悪いらしい。
──と、ここで秋帆と朱緒の二人して気づいてしまった。
コピー機のある購買まで片道五〇メートルの往復、コピー機を回す時間。せいぜい掛かって十数分だろう。
だがしかし、御守りのない無防備な秋帆がその間、無事でいられる保証はない。
晃生がいなければどうということもないが、これまでの会話の流れでふたり一緒にというのは不自然だろう、どうするべきか──秋帆と朱緒は目を合わせたまま一瞬、固まっていた。
「じゃあ、ふたりで行ってきなー。自分は席取りしてるから。あ、ついでに炭酸系の飲み物買ってきてもらっていい?」
まるで、二人の間の空気を察したような晃生の言葉に驚いた朱緒は、思わず彼の顔を見た。
「……え? なに…… そんなにお使いイヤ……?」
突然振り向いた朱緒に睨まれたと思ったのか、さすがの晃生も喫驚している。
「……睨んでねぇよ。気に入らなくても文句言うなよ」
「うん、冒険してくれてもいいよー」
「じゃあ、僕も行ってくるね」
「いってらー」
晃生はにこにことしながら手を振っている。
彼のこの無意識の勘の良さは、秋帆たちとは違った第六感的なひとつの能力ではないかと思うことがあった。有り難いと感じる反面、何をどこまで知っているのだろうと、たまに怖くなる。
購買に入ると、コピー機はすでに三人組の生徒が使っていた。
それを待つ間、晃生に頼まれた炭酸飲料や自分たちの飲み物やおやつを買い込んだ。
そうしてようやく空いたコピー機に滑り込み、五人分の印刷を設定した。
印刷を待つ間手持ち無沙汰になり、秋帆はスマートフォンを取り出した。アプリのアイコンに付いた未読メッセージの数が増えている。
家族用のグループ──両親姉弟、祖父母から彼を心配するメッセージがいくつも送られて来ていた。友人の家に避難させてもらうので大丈夫、という旨のメッセージを返した。
あとは特に重要な話はなかったので、スタンプや既読だけつけて各々のグループを閉じた。
トーク画面を下にスワイプすると、一番下に出たのは朱緒のアイコンだ。一ヶ月前に、秋帆がどうにか交渉して交換してもらった。
トーク内容も、前期試験のどの科目の過去問題が用意できるだとか、そんな事務的なやり取りだけで、雑談らしい雑談はない。
秋帆は未読メッセージのなくなったアプリを閉じて、スマートフォンを鞄へ戻した。
「クリップ持ってるから、食堂戻ったら分けようか」
朱緒は印刷できた分のプリントを、コピー機の上でそれぞれ分けてまとめていた。
「用意がいいな」
「だから、荷物多くなっちゃうんだよね」
秋帆はそれなりの重さがあるバックパックを背負い直してみせる。
「……アイツには言ってるのか?」
「言ってない」
急に振られた話だったが、誰に何を、とは言わずとも分かる。
「賢明な判断だな」
「……」
秋帆としては、晃生には霊感があることを告白しても良いと思っているのだが、タイミングがなく何となくそのまま過ごしていた。このままずっとタイミングが来ることがなければいいと思う反面、隠し事をしているようで後ろめたさも感じていた。
「それより、コーセーくんに見付かってごめんね」
「遅かれ早かれだろ」
一週間も行動を共にすることになれば、いずれはそうなるタイミングもあっただろうが、朱緒がそれほど気にしていないことに秋帆は胸を撫で下ろした。彼の地雷や、距離感の計り方が分からず、まだ手探り中だ。
基本的に朱緒のガードは堅い。二度ほど遊びに誘ったことはあるが、二度とも用事があるからと断られた。
タイミングが味方したとはいえ、初めて会話をして十分程度で遊ぶ約束を取り付けた晃生が特殊過ぎた。
ふたりがコピー機を使い終わると、また後に来た二人組がコピー機の前に立っていた。
「おかえりー、コピー機混んでた?」
「前に一組使ってたから、ちょっと遅くなっちゃった」
朱緒は印刷物と、三人分の食料を机に置いた。
「あ、自分の飲み物どれかな」
晃生が買い物袋に手を伸ばしたところで、朱緒が袋から一本の黒い五〇〇mlのペットボトルを手渡した。
ありがとう、と笑顔の晃生が受け取ったが、ラベルを見て一瞬固まった。
黒地にショッキングピンクと白、金のインクを使った毒々しいデザインのラベルだ。
新発売のフレーバーらしい。
「ブラックチェリージンジャーペッパーミント味?」
「ブラックチェリージンジャーペッパーミント味」
朱緒が真顔で返した。
「誰チョイス?」
晃生の視線が秋帆の方へ向く。
それに秋帆は緩く首を振った。
「完全に観池くんチョイス」
朱緒が選んでいるところを見ていて止めなかったので、秋帆も共犯と言えばそう言えなくもない。
「冒険していいって言ってたろ」
「観池くんって、意外に面白い人?」
言いながら、晃生はペットボトルの蓋を開けた。炭酸の抜ける音とともにブラックチェリーの甘い香りと炭酸の苦い匂いが隣の秋帆にも香ってくる。
晃生は躊躇なくひとくち目を飲んだ。喉仏が大きく上下に動く。
ペットボトルを静かに置いて、眉間に指を当ててわざとらしく悩んでみせる。
「……自分は結構イケるかも」
「ひとくちいい?」
秋帆は好奇心に負けてしまった。晃生が無言でペットボトルを回してくる。
彼ほど思い切ることはできず、ひとくち含んで味わった。
最初はブラックチェリーの甘さにガツンと殴られるが、その間にあるジンジャーのほのかな風味、その後鼻に抜けてくるミントの爽やかさに、舌にピリピリくるペッパーと強炭酸の刺激──悪くない。まさに夏に相応しい飲み物だ。
「後味のペッパーが癖になるかも……」
秋帆は、無言でペットボトルを朱緒の前に置いた。
順番通り回ってきてしまったペットボトルを前に、朱緒はうろんげな目で、秋帆と晃生のふたりを交互に見ていた。
しかし、ふたりは穏やかな笑顔を彼に向けるだけ。無言の催促についに諦め、朱緒もペットボトルに口をつけた。
そして口に含んだ瞬間、眉間に深い皺を寄せた。
「……マジかよ……オマエら、舌大丈夫か?」
彼の口には合わなかったらしい。口元を押さえてどうにか飲み込んでいた。
「自分では絶対買わない味だけど、そんなに言うほどかな?」
「この複雑な味わいが分からないかー」
晃生は平然とふたくち目を飲んでいる。
しかし、一ヶ月後にはドラッグストアの見切り品コーナーに置かれているだろうことは、秋帆の想像にも難くない。
「お金、返すね。幾らだった?」
そう言うと、晃生はスマートフォンを出してきた。
しかし、
「スマホ持ってないから、現金で」
朱緒は財布を出して、レシートを置いた。
スマートフォンを持っていないという彼に、晃生は少し驚いたようだったが、何も言わず鞄から財布を取り出した。
勿論、朱緒がスマートフォンを持っていないというのは真っ赤な嘘だ。
この嘘を吐き通すために教室ではスマートフォンを出さないようにしているのだから、徹底している。
秋帆が連絡先の交換をお願いしたときも同じことを言われて断られたが、朱緒がスマートフォンを使っている場面を一度目撃していたので、その手には引っ掛からなかった。
その時の彼の苦々しげな舌打ちを、いまでもはっきりと覚えている。
それから、三人でそれぞれ教科書や資料を持ち込める科目を確認しつつ、過去の出題範囲に付箋を差し込み、補足や要点を黙々と書き込んでいった。
勉強というよりも、作業に近い。高校の時の試験勉強よりもその点では楽だが、単位を落とせば卒業が危うくなるので必死さは違う。
「付箋持ってる? なくなっちゃった」
秋帆が反応するより早く、朱緒が机のうえを滑らせて向かいの晃生に付箋を渡した。
「ありがとー。三枚もらうね」
何色かのうち、黄色の付箋を三枚もらうと、朱緒の方に戻した。
そのとき、ふと目に入った朱緒の教科書に晃生は感嘆の声を漏らした。
「観池くん、字きれいだねぇ……」
「……どうも」
朱緒の返事は素っ気ないが、褒められて満更でもない様子だ。
「ホントだ。すごく綺麗な字」
秋帆も朱緒の手元を覗き込んだ。読みやすい綺麗な楷書が、教科書の隙間に書き込まれている。
「小学校の先生になれるね」
深く考えた訳ではなかったが、秋帆の口から思わずそんな言葉が溢れ落ちた。安直だが、小学校の先生の板書を思い出させる。
「それだけでなれる訳ないだろ」
「え? 教免取らないの?」
朱緒がどんな時間割を組んでいるのか知らないが、その気になれば教員免許は取れるはずなので、秋帆は思わず首を傾げた。
「適正の問題なんだよ」
「適正かぁ……」
そう言われてしまえば、秋帆に言えることはない。
「でも、いいよねー、字がきれいなの。自分は汚いから、羨ましいな~~」
「練習しろ」
にべもなく、朱緒は晃生を突き放した。
「耳が痛い…… 小学校教員専攻希望だからホントに練習しないといけないんだけど」
うんざりしたように、晃生はノートに顔を突っ伏した。彼自身が言うように、癖の強い形の崩れた文字が罫線に並んでいる。まるで蚯蚓の盆踊りだ。
「そういえば、観池くんは専攻はどこ行くの?」
首だけ上げた晃生が、朱緒の顔を覗いていた。
「スポーツ教育」
「そうなんだー…… アッキーは変わらず?」
「うん、特別支援専攻」
「みんな見事にバラバラだねぇ……」
晃生が少し寂しそうにしている。
こうして集まって話すのは初めての三人だったが、何となく気の置けない空気になっていた。
「共通科目は一緒に授業受けられるし、そもそも僕たちまだ一年生だよ」
同じ学舎の学生になって、まだ四ヶ月。学生生活は始まったばかりだ。
もう四年生にでもなったような友人のぼやきに秋帆は笑った。
「そうだったねー。あとまだ三年半よろしくね」
「俺を巻き込むな」
空気を読まない朱緒が、小さく舌打ちした。




