9 夢
朱緒が探し始めて三十分、中腰で草を掻き分けているせいで、腰が怠くなり始めていた。
見付かるものといえばゴミばかりで、ゴミ拾いをしているのか、呪具を探しているのか、方法があまりにも地道で本来の目的を忘れそうになる。
人の世そのものに大災を招くような呪具は別格として、素人の——しかも生霊を飛ばす程度の呪具では、邪気を追って探すことは朱緒には難しかった。
とはいえ些末なモノでも呪具は呪具。聞いてしまっては放っておくこともできず、探すと決めたのは自分自身だが、彼と関わったことをすこし後悔し始めていた。
「……名前も知らねぇのに」
ぼやきと共に、思わず舌打ちが出た。ただ学部が同じというだけだ。顔に見覚えはあるが、今日まで話したことすらなかった。
彼は朱緒を霊力の強い人間だと察していたようだが、朱緒も彼が時折連れてくる死霊の存在を感じていたので、そういう人間だという認識は以前からあった。
だが、霊感があるというだけで、彼に対して仲間意識は微塵もない。霊媒体質に多少の同情はあったが、それだけだ。
護符の一枚も書けない朱緒が、彼にできることはない。
本当に、できることなど何もない——にもかかわらず、なぜ首を突っ込んでしまったのか。
出そうになった溜息を、ぐっと飲み込む。代わりに額に浮かぶ汗を拭い、水分補給をするために軍手を外した。
先週、梅雨入りしたということたが、雨どころか曇る日すら少なく、まるで夏のような陽射しが朱緒の白い肌を焼いている。
だが、そんな暑さのなかで不意に鳥肌が立った。
「——ッ!?」
朱緒は彼が探しているはずの上流を見た。すぐ近く——ほんの一〇〇メートル先に、怨嗟を撒き散らすモノの気配を感じる。
「アイツ……!」
◇
秋帆の爪先が地面から数センチ浮いていた。
死霊やその類いが視える彼とて、独力で空中に浮かぶ真似ができるはずもない。
彼を宙に持ち上げているのは、黒い手――否、一双の黒い革手袋であった。
秋帆の表情は苦悶に歪み、見る間に顔は赤く鬱血していった。それもそのはず、黒手袋は彼の首を絞めて持ち上げている。
精一杯の抵抗をしていたが、秋帆の爪先は宙を蹴るばかり。身体を持たない黒手袋の指は、彼の抵抗を意にも介さず万力のような固さで絞め続けていた。
ばたつく足から、徐々に力が抜けていく。意識も朦朧とし始めていた。
(……もう、駄目……)
――その時、遠くから水音が聞こえてきたような気がした。
段々と近付いてきている。
秋帆は最後の力を振り絞り、水音のする方を見た。
ようやく向けた視線の先には、川の浅瀬を走ってくる朱緒の姿があった。靴やジーンズが濡れるまま駆けてくるが、帰りはどうするのだろうかと、秋帆は心配してしまった。
「馬鹿かッ!」
朱緒はそのまま減速することなく、手にしていた刀を腰に構えると走り様――黒い革手袋そのものではなく、黒手袋を普通の人間とした場合、その胴体だと思われる空間へ抜刀した。
――逆袈裟に、空を斬り祓う。
秋帆の目には視えないが、彼には視えていたのかも知れない。
確かに朱緒の刀は、何かを斬っていた。
『ギャアアア――――――――――ッッッ!!!!!!』
男の絶叫が、白昼の蒼天に響き渡った。身も凍る壮絶な悲鳴であったが、果たしてその声が聞こえた者が何人いただろうか。
所詮、肉体を離れた儚い声、霊感を持たぬ者の耳に届くことはない。
力を失った黒手袋とともに、秋帆の身体が落下した。
ところが、落下した衝撃はなく、目を開けると秋帆の身体は砂利の上に仰向けになっていた。しかし、息苦しさと首を絞められていた生々しい感覚はそのまま残っている。
――夢を、視ていたのだろうか? 一体、いつから?
理解し始めた途端、背筋がぞっと冷たくなって、身体が震え始める。
秋帆は、あの生霊に取り憑かれていたのだ。
「大丈夫か!?」
秋帆の震える身体を、朱緒は抱き起こした。その首には、はっきりと赤黒い手の痕が残っている。
「み、観池、く……」
秋帆は恥も外聞もなく、朱緒の身体に縋り付いた。瘧を起こしたように手足が小刻みに震えて、自分ではどうにも抑えられない。
せめて泣き顔は見られまいと顔は伏せた。
朱緒は何も言わず、秋帆が落ち着くまで肩を貸してくれた。背に回された彼の左手が温かく、その安心感で秋帆はまた泣いてしまった。
一方、朱緒の目は黒手袋に向けられたまま、刀を握る右手はいまだ臨戦態勢だった。
確かに『斬った』手応えはあったが、油断はできない。
「……そろそろ離れろ」
震えが収まるのを見計らい、朱緒は秋帆の身体を引き剥がした。
「あっ、その……っ、ごめん……!」
眼鏡を外した秋帆は、軍手で涙と鼻水を拭いながら顔を上げた。まだ身体の奥に震えの芯のようなものが残っていたが、どうにか自分自身の足で立ち上がる。
朱緒は手慣れた所作で納刀すると、落ちていた黒手袋を拾い上げた。
「その刀、本物……?」
顔を拭った秋帆は、眼鏡をかけ直しながら朱緒の刀を見た。
「練習用の模擬刀だ。刃は引いてあるが、生霊ならこれで充分斬れる」
道場に通っていると言っていたが、成る程、居合道を習っているのか。
「生霊を、斬ったの?」
「手荒な真似はしたくなかったが、緊急事態だったからな……」
あの時、彼が助けに入るのが一分でも遅れていたらどうなっていたのか――夢の中とはいえ、きっとただでは済まなかった。
「助けてくれて、本当にありがとう。観池くんがいなかったら、駄目だったかも知れない……」
想像するだに恐ろしく、ふたたび震えが起こりそうになる。あの瞬間、秋帆は本気で死を覚悟したのだ。
「護符はどうした? 身に付けてなかったのか?」
先程まで優しかったのが嘘のように、鋭い目で睨まれた。
「……そこの鞄のなかに……」
「はァ?! なんでいつも肌身離さず持ってないんだ?!」
「はいっ! 今日からそうします!」
本気で叱責され、秋帆は慌てて御守りを入れた鞄を拾い上げ、両手で抱き締めた。




