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流れていく風景を車窓から眺めていた。新幹線と電車を乗り継いで沙羅の故郷の有る地方へと向かうので、移動中の景色もこのちょっとした旅行の醍醐味だった。沙羅は通話可能エリアに電話をかけに行っていたので私は一人だった。こうした移動の時間を楽しめる事自体も当たり前ではない、と知ったのは、田村さんや聖一さんのところに来る相談者の人達からの情報によるものだった事も頭の片隅にいつもある。
カルトのテロリスト達はこの国の本当にあらゆる所に侵食していて、今もこの瞬間も、健康加害テロを陰湿な方法でやり続けている。例えばこうした移動の際に使う乗り物に一定の時間、人は閉じ込められるわけだけれど、それを利用してアレルギー症状等の疾患を惹起させる有害物質を散布していたりするらしい。
被害者や犠牲者に対して、予め住居(特に寝室)にそうしたアレルギー症状や病等を惹起させる有害物質を散布し続け強制摂取させる様な仕掛けがされている(建設業者、配線、配管工等も関与している)。カルトテロリストやスパイ工作を行なう工作員は、化学物質等の過敏症や粉塵、香料等を使った香害等のアレルギー症状や、ガスや有害物質等を使って酸欠状態を創り出して、慢性疲労や脳梗塞や癌などの病を意図的作為的に創り出し、被害者や犠牲者が家にいても外出時でもそれらで苦しむ様に、社会的に有益な活動が出来ない様に、心身共に追い詰められていくように(自死へ追い込むために)嫌がらせやいじめを始めとした快楽殺人や健康加害テロをしているのだ。一般市民に紛れたカルトテロリストやスパイ工作員は、そうして、自分達に都合の悪い人間を病気にしたり、障害又は傷害を負わせたり、社会的に本当に有益な活動を出来なくさせたり、自死に追い込んだりしている。
彼等彼女等は空気汚染という手法を使って様々な病気や障害又は傷害を人々に負わせているが、医療や福祉の分野にも浸潤しているので、そこからも利益を得ている。税金も公的資金も湯水の様に使っている。そうして、快楽殺人衝動や加害侵害癖を持つ有害な危険人物を摂り込み、本来ならそうした苦しみや痛みや障害を背負わなくてもいい人々にそれらを作為的に意図的に負わせ、面白がりながらそれを組織的しているのだ。それによって、自分達は選ばれた民である、との強烈な選民思想を味わう事もできるし、加害侵害行為を行う事や、それらによって苦しんでいる人々を見る事自体が彼等彼女等にとって、たまらない愉悦であり快楽だから。
自分達は上級国民だ、(神、仏、天、又は国家の上層)から選ばれた特別な権利を持つ人間だと本気で思い込んでいて(財、家柄、血統、地位、権力等がその根拠になる事が多い)、どれだけ罪や過ちを犯しても、人々、生命、存在を傷つけいたぶり踏みにじりながらも、善人や救い主のふりで搾取し続けている事すらバレずにやり続けている事自体が自分の上級国民の証であり、特権だと信じ込んでいる人々がこうした事をカルトやスパイやマフィアの実働部隊を使ってやっていて、自分達に都合の悪い人間(本当に社会的にも有益な働きをするはずの人間や自分達の罪や過ちを告発しようとする人々)を陰湿な方法でねちねちと嫌がらせやいじめや虐待や拷問をする様に痛めつけて殺していく事を金や妄想的信念で何でもする様な一般人も使ってしている。
彼等彼女等の考える事は基本的に同じで、共通している。
脅し、いじめや嫌がらせ、暴力、犯罪、裏社会の力等を使えば、人々をコントロールすることが出来る、黙らせることが出来る──そうして自分達の罪や過ちの責任を取らされる事からも逃れることが出来る、だ。
何故ならこうした人々は、自分達のしている事をばらされたくないし、その責任を取る事も取らされる事もしたくないからだ。自分達にはその権利がある。本当にこれだけは金太郎飴の様にどこを切っても同じだ。そういう習性のある、そうした種類の人間だから、としか言いようがない。どんなに素晴らしい理想も論理も倫理も宗教も思想哲学もすべてがそこ(選民思想、特権階級思想、権利、特権)に集約されて呑まれ、都合よく改変されていく──そして、これらがまさに、こうした人々が社会や共同体、国家や世界にとって危険で有害である事の所以でもある。
彼等彼女等は、恣意的で野放図なその欲望衝動を本当の意味で制御することが出来ない(隠蔽し、誤魔化し、隠れて行い続ける事はできるが、本質的にそれらを抑える事はできない。何故なら、彼等彼女等の精神内界構造がそれを必要とする構造だから。その為にそれらを外界にも作り出している)からだ。
彼等彼女等が何らかの功績を上げていたとしても、それは基本的に他者の生命や才能、功績を搾取して得たものであって、不正に手に入れているもの、カンニングでよい成績を出しているだけに過ぎない。決して彼等彼女等自身が社会や共同体、国家や世界に有益なのではない。そう見せかけるのが上手いだけで、ただ騙しや詐術に長けているだけなのだ。
「陸が神奈を一人にするなって言っていた」
沙羅がそう言って、向かいの席に戻って来た。
「あ、そういえば、陸が智也さんと会ってみたいんだって。ビデオ通話で対面させてみたら?」
「そんなこと言っていたんだ」
「気になるでしょう、やっぱり」
「そうだね、陸が智ちゃんと話してみるのもいいかも」
沙羅はそう言って「私の前ではあまり気にしていないみたいな感じだったけど、やっぱり気にしていたんだ」と、少し嬉しそうに言った。
「沙羅は陸が後で合流したいって言っても構わない感じ?」
「うーん、それはそれで微妙な感じかなあ」
「そうだよね……」
「こういうのって、ちょっと難しいよね。私達が出会う前の事で、そこにも歴史があるわけだから。陸と神奈との関係だって、私からしたらそうだし」
うん、そうだよね。私が納得しつつ、何か言うべきか考えていたら、
「でも、それをどうこうしたいという気持ちはないの。ただ、それぞれの時間や関係の積み重ねがあるから、互いの全てを共有するのは無理だよね、ってこと。後は結局、お互いの信頼関係の問題でしかないのかも」
「……なるほど」
こういう微妙な関係で関係操作をする様な人が絡むと、なんだかまたややこしいことになるんだろうな……と、何となく思っていたら、沙羅は言った。
「私は自分が大切にしたい人との関係を大切にしたいから、それを使って自分の有利なように駆け引きをしたりするのは好きではないけれど、そういう手練手管みたいなものが人間関係には必ずと言っていい程絡んでくるのも知っているし、それで凄く嫌な思いをしてきたから、陸にもそういう思いはさせたくない。智ちゃんとの関係で陸に不快な思いや不安な思いをさせたくないけれど、いざ二人を前にしたら、気を使い過ぎて空回りした挙句に要らない誤解を招きそうな気がするんだよね……」
「疑われたくないあまりに不審者の様に振る舞ってしまうみたいな感じ?」
「そんな感じ」
「そういう事もありそうだよね」
「そういう予想がつく段階で既に疲れるし」
「……確かに、疲れそう」
「そういう意味では、陸と神奈がちょっと羨ましい」
何だかどう返答したらいいのかと思っていたら、沙羅が笑って言った。
「神奈が付いて来てくれるから、陸も安心しているって言うのも含めてね」
私がどう返答したらいいのか分からないでいたら、
「神奈は神奈で私にも陸にも偏らずに自分の軸で何でも決めそうだし、でも私達の事も大切にしてくれるのがわかっているから、何となく安心するんだと思う」
何となく言っている事は解るけれど、でもそれって……
「……それは、沙羅も、陸も、同じなんじゃないの?」
「私と陸はまさに当の当事者すぎるから。だから自分達に似た第三者がいてくれるとかえって楽になる」
「……男女の仲って結構、めんどくさいよね」
「本当にね」
「──こういう互いに互いの事を想っているけれど、その信頼関係を保つには気を使い過ぎてもだめだし、使わな過ぎてもだめだし、みたいな微妙な危うい感じに、自分の利己的な利益や快楽を満たす為の関係操作をする人や、素朴な人と人の信頼関係にひびを入れたり疑心や不信の種を蒔いて低劣なものに変容させていきたがる人もいるわけだし、そう考えると、関係性って本当は微妙な生ものだよね。腐らせてしまう事も簡単にできてしまう──多分その信頼関係を大切に育む事よりもずっと簡単に。それが嫌で、始めから利益や損得勘定で割り切って付き合う人もいるだろうし」
何となくそんな事を(この場に相応しい話題なのかも考えずに)私がぽつりと言ったら、沙羅は特に嫌な顔もせずに普通に頷いた。
「始めからそういうものって割り切ってしまって損得や利益をとる。コントロールする側に回る。そういうのもわからないでもないよね。ある意味、それも自分を守る便利な境界設定になるし。自分が変な関係性に絡めとられるよりはいい、って思うのも分かる気がするし。ただ自分がそれをしたいかと言うと、好みじゃない、の一言で終了なんだけれど」
「損得や利益で割り切って自分を守っているそういう人ほど、恋愛に限らず、人と人の関係性に過大な背負いきれないような幻想を抱いていそうな気もする」
「なんかわかるかも」
「あれって何なんだろうね」
たまに、人の話を見たり聞いたりしていると、ふと感じるそれ。当人すらも気づいていないみたいだけれど、似たような雰囲気を大抵はみんながみんな一様に漂わせているので、どうしても目につく、というか、鼻につくというか──
「幻想ともいうし、期待? とも言うのかも?」
「ああ、何かわかる。期待、そうだね。そんな感じかも」
「救世主を待ち望むような人の気持ちと変わらないようなそんな感じを、世俗的なもの、関係性──恋愛も含めてだけれど──に期待している感じ。決して生身の人間やその関係性には背負いきれないような──献身性とか、犠牲的精神とか。赤ん坊が母親から無条件に与えてもらう種類の純粋な愛情とか献身とか犠牲とかに近い種類の、過大な幻想とか期待のようなものだよね。それこそ救世主願望の世俗バージョンみたいな感じで、愛とか性愛とか恋愛を祭り上げているの。本当はそこから人の持つ生命エネルギーみたいなものを搾取したりされたりしているだけなのに、何か都合よくすり替えている感じ」
「それはつまり、吸血ゾンビの病に似たものだよね」
「うん、そう。愛とか性愛とか優しさとか善とか絆とか……何でもいいんだけれど、表に掲げているそれとはまったく異なる種類のものが、どういう論理なのかわからないけれども、いつの間にかすり替わっている感じだよね」
「何で、そもそもそれが他から与えられるもの前提なのだろう、と思うんだけれど、何でも先ずは自分からだよね──無力な赤ちゃんだって本当はその無力さによって自分自身の生命や存在や運命を否応なく先ずその保護者に明け渡しているからこそ、母親も保護者もそれに対して生命や魂からの責任に目覚めてしまうわけだけれど、誰にでもそれが通用するわけでもないからこそ、虐待の対象になってしまう悲劇も生まれているのだし。それを考えたら、その危険性も分かりそうなものだと思うんだけれど」
「関係性を大切にするのはいいけれど、先ずは自分自身が自分をちゃんと大切にできるようになってからでないと(何故その当たり前のことが、まるでわがままで悪い事の様に、罪悪感を抱かされる様な風潮になっているのかも不思議だけれど)──それは、例えば自分が電池切れを起しているのに、その少ないエネルギーを他の為に献身的に使うことでお返しに同じようなものや信頼を得ようとしてもうまくいかない事の方が多いし、その電池切れの苦しさから飢餓感を倍増させてしまって冷静な判断もできにくくなったりするからまた騙されたりいいように使い物にされたりする可能性や危険性を高めたり、自分自身がそれを他から奪いたくなったり、実際に奪う様になったりする事に繋がるようなものだよね。
自分自身の心や軆のケアやサポートがまず必要なんじゃないのかって思うんだけれど、何故かいつも、他者軸に引っ張って行こうとするものが愛や優しさや善、献身性や犠牲的精神をもっともらしく美しく語るから、みんな騙される。それはその人自身が本当は他者からのエネルギーを搾取していて、それを愛や絆や善性なんかへの過大な幻想にすり替えているから(自分でも自分を騙しているから)なんだよ、多分」
「ある程度の自分自身の健全性や健康的なバランスを保てるようにならないと、という事だよね。まずはその為に自分自身で適切な自分の時間や力の使い方、命の使い方を学んだり育てたりして、それからそれを基本的な土台にして他へと振り向けていく事で、振り子運動の様な丁度いいバランス関係を見つけたり育てたりする楽しさとか、そこから新たに湧いてくるエネルギーにも気づいていくのだと思うのだけれど、それが何故か土台の所から不安定にさせられているのに、更に自他で奪い合う関係に誘導されて行っているみたいだから気になるんだよね。どうしても。それが鼻につく。すごくいい匂いの様に見せかけているけれど、本当はそれ、毒だよ、って言いたくなる」
私がそう言うと、沙羅は手元に視線を落としながら言った。
「以前も話した通り、智ちゃんがいい人だったから──ファザコンとブラコンが一緒くたになったような子供の愛情欲求に付け込む様な事を彼はしなかったから──私は運がよかったと思うの。自分自身の土台がとても不安定で、両親からの愛情や配慮をきちんとかけてもらえていなくって、まだ世間知らずで幼いのに自分はもう大人だと思っている様な危なっかしい状態だった私みたいな若い女の子たちは他にもたくさんいるし、男の子だってそう。そういう子たちをどんなに簡単に利用できるかを知り尽くしている悪質でずるい人は男でも女でも沢山いるし、実際にそうした表沙汰にならない事件は沢山あるから」
智也さんに手放しで甘えていた沙羅の可愛らしい姿を思い出して、今の沙羅も十分可愛らしいし綺麗だけれど、「少女と女性の魅力があった」と智也さん自身も言っていた様に、少女から大人になりかけていた十代前半から十代半ば頃の彼女を想像すると、確かに危うい様なところも含めてかなり魅力的な女の子だったのだろうな、となんとなく思う。そしてそうした少女や少年たちを食い物にする様な人間も沢山いる事もわかる。
「恋愛至上主義まではいかなくとも、何かそうした関係性に幻想や期待を持って、そこに入って行く事が人間として必要な学びや成長をもたらす、その関係性に損得を超えて自分を開いていく事が必要、みたいに安易に思い込んでしまうのは、危険だ、って事だよね」
私がそう言うと、彼女は頷いた。
「少し考えてみたら、そんなの、そうした子たちの持つ純粋な愛情欲求や期待や幻想を食い物にする方からしたら、随分と都合のいい事この上ないものでしかないってわかる──かなり危険だって。それをさも高尚な事の様に思い込ませているのも、犠牲的精神や奉仕の精神を食い物にして使い物にしたい側からしたら、やりたい放題にできる(それはカルトやマフィアの得意とするところだし)──やりがい搾取って言うの? 何だかブラック企業の代名詞みたいな標語があったけれど、それと基本的には同じ構造だと私は思っている。こうした詐欺や詐術に騙されてしまわない為にも、先ずは、ちゃんと自分で自分を大切にできるようにならないといけないんだよ、って思うの。その土台すらしっかり育んでいないと、詐術のプロを相手にした時に、簡単に騙されてしまうし、それを見抜けない。
我が儘でも自己中でも誰に何と言われたとしても、基本的に自分を守れるのは自分自身であって、自分に責任があるのも自分なんだから、権威を振りかざしたり、詐術に長けた親切な人情家に恩を着せられようと何だろうと、きっぱり自分自身を守るためには境界線を引かないといけないときがあるし、それをしないといけないんだよ。自分自身を守るために立ち上がる事に罪悪感を抱かせられる方がおかしいんだって、健康的な土台がしっかり育まれていなかったら気づけないかもしれないし」




