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「何をしているの?」
「星の地図の話から色々思い出したみたいで、ちょっと整理しておこうかなと思って」
海が図形やらメモ書きやらを机の上に広げていたので、研究室の資料かなと思ったら違ったらしい。「星の地図?」私が訊き返すと、海はメモ書きの一つを手に取って「なんか、夢の中で神奈と一緒にこういうのをまとめたりしていたんだよね」言って海は「聖一さんに訊いたら、この世界の心理学で似たようなものがあるから、って本を貸してくれたんだけれど、本当に似たような概念があったから、それを書き出していたんだ。何かの役に立つかなと思ってさ。忘れないように」
海からメモを受け取って、そこに描かれた図形を眺めながら
「ふーん?」
「何か覚えがない?」
「特には」
「おかしいなあ、夢の中では何かの試験前の神奈に俺が一生懸命こうした事を教えていたんだけれどなあ」
「一夜漬けみたいなものだったんじゃないの? 知らないけど。というか、夢の話なんだし、そこまで色々と細かいことまで覚えてないよ。目が覚めたら殆ど忘れちゃうんだし」
「俺はわりとしっかり覚えている方なんだ」
「ふーん」
同じ夢を一緒に見ていることの不思議さはこの頃にはあまり気にならなくなり、こうした日常会話で普通に夢の話が出て来るまでになっている事の方が、改めて考えるとかなり不思議な事態なのだけれど、これが私たちにとって通常運転になりつつあった。
「俺達が今生きているこの世界の思想哲学のスタンダードって基本的に二元論で、光と闇、陰と陽、善と悪みたいな感じだろう?」
「そうだね。主流の思想ってそうかも。物語の中でもそういうものが描かれるよね」
「まあ、どっちかというこの世界のそれはと二元論というよりは還元論に近いけれど」
そう言って、海は続けて言った。
「でも、俺達がいたところって、元々は本当はそれはあまりなくて、沢山ある中のバランス指標の波の一つみたいな感じだったはずなんだよね。確かに対になるものはあったけれど、便宜上の概念だった。それが今のこの世界で言う対称的な二元論に近いけれど、そもそもそれって対称性はいくらかあっても互いに反発し合ったり戦い合うものでもなかったはずなのに、わざとばらばらにされていたし、反発し合うように誘導されていたりしたから、実はここでも同じなのかなと思ってさ。それで覚えていることをできるだけ書き出したりまとめておこうと思って」
「これ何?」
幾何学模様の複雑な図形みたいなものが描かれているノートを眺めながら、私が尋ねると、「俺が夢の中で直接聖一さんから教わっていた時に使っていた図形。視覚的にも一気に把握できて捉えやすいから、簡単にだけれど描いてみたんだ」
ふーん、と私がそれを眺めていると、海はその図形を指でなぞった。
「それぞれ波のポイントみたいなものに対称性があって、バランスの指標自体は本来波のような感じだったから、こっちの方が概念を伝達する図形としては解りやすいんだ。どちらかというと、ちょっと仏教でいう曼荼羅に近いかな」
幾何学模様の複雑な図形を前に私は眉をひそめた。
「これが?」
「そう」
言って、海は「ユングも似たような図形を描いているんだよね。自分が夢やヴィジョンで見た図形を描いている。それで、曼荼羅を後に知って、これだったんだ、と自分でも思ったらしいよ」そう言って、ノートに描かれたいくつかの図形を見せてくれた。コンパスや定規を使って綺麗に描かれた幾何学模様の複雑な図形の数々にはいくつかのパターンがあった。基本的に中心から放射状に広がる対称性の在る幾何学模様の連続が描かれている。枠組みが四角であろうと円であろうと、それは同じだった。
「この概念をものすごく単純化したのが、俺らのよく知っている正三角形が対になった星の地図なんだよ」
「そうだったんだ」
私は彼のノートに描かれたいくつかある図形の中でも蓮の花の花弁を描いたような美しい図形に目を留めた。これなんかはちょっと曼荼羅みたいかも。そう思いながら。
「綺麗だね」
「綺麗な細かい線を引くのにものすごく集中するから、図形を描くことが、ちょっと瞑想みたいな感じでもあるんだよね。自分でも描いていて気持ちいいんだ。不思議とすっきりするというか。体も心も頭も静かになる感じ。自然に姿勢を正しているような感じになる」
「へえ」
そう言えば、海は何となく雰囲気が聖一さんに似てきているのもあるけれど、いつも静かで落ち着いた感じになっている。どこか静謐さがある佇まいとでも言うべきか。こういうのも関係しているのかな。
「蝉時雨が辺り一面に降るように反響する中で、かえってそこだけ心や軆が静かになるみたいな、真空の宇宙をどこまでもひとりで漂っているみたいな気分になるんだよね。何かそんな感じの事を言った俳句かなんかなかったっけ?」」
「あったような。松尾芭蕉?」
「それ。そんな感じに近い。繁雑な仕事をしているのに、逆に頭も心も軆も静かになる、すごく集中できるんだ」
「ふーん」
ちょっと分かるような。周囲が何かと騒がしかった時に、聖一さんから借りた難しい本を読んでいる時だけ、すごく静かな気持ちになった。静謐な宇宙空間をひとり、漂っているような気持ちになった。周辺が混乱して騒がしかった分、逆にかえって集中できた──その道が拓かれた。あんな感じか。読書であれ、図形描きであれ、何でも人の心身には瞑想に通じる何かがあるのかな。静かな集中、没入、そんな感じ?
──閑さや岩にしみ入る蝉の声──
「奥の細道だっけ」
「そう。出羽国の立石寺のだよね」
海が描いた図形のノートをぱらぱらと眺めながら、私はふっと今がいつなのかどこなのか分からなくなるような気がした。何だろう、何か懐かしい感じがする──図形を何となく眺めていたが、それ以上は特に何も感じなかった。うーん、ざんねん。
「俺達が星の地図を使って瞑想したりするときに、エネルギーの使い方を一緒に学んでいたの、覚えている?」
「なんとなく。それってここでいうサイキック能力の基本だったような」
「そう、それが、今の俺らが生きているこの世界で言うと、感情とか感覚のエネルギーの使い方に近いんだよね」
「うーん、何となくわかる気がする。思考のエネルギーではなくて、どっちかというと感覚的な力だった」
私がそう言うと、彼は頷いた。
「そう。もっと身体的な感覚が重視されていたし、神聖視もされていたから。でも、記憶をあれこれ取り戻してみると不思議なんだけれど、ここ、この俺達が今生きている世界って、身体的なものや、感覚、感情、本能とかそういう感性自体がとても低いもの、卑しいものとして扱われている感があるんだよね。人間よりもずっと感覚的にも身体能力的にも優れているのに動物も低いものとして扱われているし」
私は、確かにそうだな、と頷いた。
「女性性が低く扱われるのにも、そういった感性的なものや感情的な力を貶めるみたいな感じがあるかも」
「うん、そう。本当に不思議なんだけれど、そうなんだよね。男性の中に女性性が在るのも、女性の中にも男性性が在るのも本当はごく自然な事なのに、なんだか変に対立させられるようにものすごく短絡化された対称性の表象の中に、それぞれが落とし込まれて対立構造を強いられている、そういう違和感はあるかも」
あ、なんだろう、何か引っかかった──思い出しかけている。記憶の細い枝が引っ掛かったその方向へ、触手を伸ばすようにして記憶をたどる。
「あ、思い出した。聖一さんが星の地図の水平方向の概念※について説明してくれる時に、男女のそれについて言っていた」
「ふーん、確かに、それは似た概念かも」
「海は覚えているの?」
「ここでいう概念にするなら個別性と共同性とか自主性と協調性とか、保留性と流動性とかそんな感じだったよね」
「そう、それ」
「こういう概念って、あくまでも便宜上のものだったから、おおまかなイメージや感覚を表象化したものでしかないんだけれど、それが星の地図の力の探求には十分役に立ったんだよね。でもあくまでも地図上の指標や大雑把な目印みたいなものだったから、あとは繊細な感覚で探っていくもので、そっちが本当は本質だった。瞑想の為の地図とか目印に近い感じだったと思う」
何となく、覚えている気がするけれど……「それって、私達がうんと小さい頃にゲームとか遊び感覚でやっていた事だったよね。瞑想も瞑想だって知らずにしていた気がするし」
「そう。遊び感覚でその延長線上にこの訓練があったんだよ。実際にエネルギーの使い方が分かれば、それを視覚化したり、実体化できたし」
「何となく覚えているよ。海は私に色付きのエネルギーの珠を次々に出して音を鳴らしたりして見せてくれて、その作り方を教えてくれた。それがとても綺麗だったから、羨ましくて、一生懸命習っていた気がする」
「そうだった。うん、神奈より俺の方が年上だったし、対の子の神奈が見つかった時には俺は聖一さんから個別指導も受けていたから、神殿のやり方ではなくて独自のやり方で教えていた気がする。より身体感覚を使った概念のみに頼らない方法を使っていた。その方がバランスがいい、って聖一さんから俺も教わっていたから」
「今のこの世界で言うなら、その身体感覚って、五感(見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れる)のとても繊細な官能性というか、性的な快さとかではない方のだけれど、感覚的な快い感覚を大切にしていた気がする。それに第六感が加わって、エネルギーへの感応性の快不快の微細な感覚も大切にしていたような」
「そう、言葉でというより、感覚で覚えていく感じが本質だったから。概念や論理は後付けというか、後からでもよかったんだよね。この方法だと本当に幼い頃から訓練が出来るし、分裂や疎外を防いで全体性に常に触れながら覚えさせることが出来たから。でもそのおかげか、神奈はすっかり神殿の中ではかなり異質な反逆児に育ってしまったけれど」
「私があのくそ窮屈なところで散々苦労したのは海のせいだったの!?」
「いや、俺のせいだけじゃなくて、元々の性格もあっただろう、絶対に」
「ほんとかよ」
「それに、俺も、ものすごく苦労した気がする。神奈のやらかしの後始末で」
「……(それは何だかとてもよく覚えている気がするけれど、黙っとこう)。」
※第三章 4参照




