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自己愛憤怒という言葉や概念がある。不健全な自己愛や自我、自尊心を持つ自己中心的な人間が、欲望や快楽を優先するために自尊心や自己価値観、自我や自己愛への脅威と認識する等の反応(自己愛的傷つき、自己愛損傷:Narcissistic injury)の際に生じさせる激しい怒りを指す。自己中心的な人間はそれらを多発させる。その過程で他者を傷つける攻撃行動(復讐や懲罰行為:私にはその権利がある)に出る可能性が高い。
──ある少女のクラスメイトがいじめを苦に自死をした。
少女はそのクラスメイトと特に仲が良かったわけではないが、学校を休みがちだった不登校児の自分が久々に登校した際に、そのクラスメイトが自分の次に休みが多い事に気づいた事があった。仲の良い友達が日直で、出席簿のチェックを手伝っているときに、自分の次に休みの多い生徒がいるのに気づいたからだった。
何故だかそのときそれがとても気になった少女は、特に仲が良くもないそのクラスメイトの家にお見舞いに行こうか、と何故かとうとつに思っていた。いや、でも特に仲良くもないし、変に思われるだけだし、と打ち消すも、ふとした時などに何故かそうしたいような気がどうしてもして、ずっと気になり続けていた。それはその矢先の出来事だった。
そのクラスメイトのグループ内でいじめがあった事も、クラスメイトがいじめにあっていた事も少女は何も知らなかったが、何故かそのクラスメイトの事が気になり続けて、お見舞いに行こうか(ただお見舞いのお花を届けに行きたい)と何故かずっと思い続けていた事や、それを何となく変に思われるかも、と行動に移さなかった事が、クラスメイトのお葬式が終わった後もずっと少女は忘れられなかった。
それからしばらくして、少女の妹が自傷行為をするようになった。少女のクラスメイトの自死による騒ぎがあって皆がそれに何がしか心を痛めていた時期だったので、それは周囲を巻き込んだ大きな騒ぎにもなった。少女はそれを少し離れたところから眺めていた。少女には、妹が本当は自死をするつもりはなく、ただ注目を集めるためにそれをしていることが何となくわかっていたけれど、それを口にする事はしなかった。
少女の家はその頃、両親は別居、父親が生活費を入れない、幼い末の妹もいるため母が新聞配達などで生活費を細々と稼ぐ等の経済問題に、子供である自分も真ん中の妹も不登校児で、その上に真ん中の妹の自殺未遂騒ぎが連日起こるので母親が疲労困憊のほぼ限界に近い状態にあるのを少女は知っていた。
ある深夜のこと、ごん、ごん、ごん、と何か奇妙な物音がしていることに夢うつつに気づいていた少女は、目を覚まして起き上がり、そのまま真ん中の妹の部屋に行った。妹は部屋の隅に座り込み、柱にごん、ごん、ごん、と自分で頭を打ち付けていて、手首をまた切っていたらしく、血だまりがスカートにできていた。少女がドアを開けると、妹は暗い甘えの宿る目をあげてこちらを見た。少女はその表情を見て、何も言わずにまたドアを静かに閉めた。そうして自室に戻った。
──ここで誰にもその行動を止められないなら、彼女(妹)は自分でそれを何とかしなくてはならない。つまり、自分自身で、生きるか死ぬか、選択をしなくてはならないのだ。本当に死にたくないなら、自分でつけた傷の始末を自分でしなくてはならない。
いたずらに命や身体をおもちゃにして注目を集める行動は、周囲がそれに親身になって関われば関わる程に歯止めもきかなくなるのがわかっていた少女は、そこで妹自身に自分で選択をさせることを選んだ。それは賭けかも知れなかったけれど、妹は死ぬつもりはないことも、少女には何故かはっきりわかっていた。ただ確信をもってそれを誰かに言うことが出来なかっただけで、最初からそれはわかっていたことだった。結局、妹の自殺未遂騒ぎはそれを境に止まった。少女はそれについて、誰にも話さなかった。説明しようにも、説明するのが難しかったからだった。
しかし、この話はこれでは終わらなかった。少女の妹はそれから何年もたってから、当時まだ姉の恋人だった姉の後の夫が家に遊びに来ていたときに、その恋人がトイレに来た時をわざと狙いすまし、お風呂上がりに裸で目に付くように通り過ぎることや、みんなで談笑しているときにその恋人の太ももに手のひらを這わせて撫でてみたりと性的に誘い、肉体関係を持った。そうして、姉の恋人を傀儡にして二人で結託し、何も知らない姉に対してその行動を監視し、陰湿な攻撃を仕掛け始めた。二人で面白がって姉を精神的に追い詰め、自殺に追い込もうと様々な陰湿な攻撃を仕掛けていたのだった。それは姉が結婚し家を出てからも続いた。
姉には精神不安定なところがあるから何をしでかすか分からないからと(それはそのようなるように、妹と結託した姉の夫とで姉を密かに囲い込んで陰湿な攻撃を執拗に続けていた事に対しての姉側の正常な反応だったのにもかかわらず)、周囲にも協力者をつくり、味方の振りをした人間で姉(標的)の周囲を囲い込み、その息のかからない姉の力になる可能性が高い友人関係を排除させるように仕向けて孤立無援にさせ、姉のその行動をスパイのように監視させながら諜報活動といじめや嫌がらせをゲームの様に集団で愉しみ、じわじわと執拗に嫌がらせを仕掛け続け、精神的に追い詰めて自殺や精神錯乱による精神病発病や犯罪などの逸脱行為などに追い込もうとしたが、うまくいかなかった。
都合の良い手駒で傀儡であった姉の夫と姉が離婚した後も、集団で行うカルトの嫌がらせを使って意図的に病気にさせたり、働けなくさせて経済的に困窮させたり、犯罪行為にまで手を出して様々な嫌がらせも続けたが、妹の思うようには姉は自殺をすることはしなかった。精神病にさせるとか、逆上させて犯罪者にさせる事も成功しなかった。
──こうした一連の妹の起こした行動が、自己愛憤怒から来る復讐心というものをよく顕している。
少女(姉)の行動により、自分(妹)が悲劇のヒロインとなり周囲からの注目を集め、優しさや同情をすきなだけ買うことのできる自傷行為を、その快楽や甘い蜜の源泉を、自分自身で終わらせなければならなくさせられたことに対して、妹は、【姉が自分を殺そうとした】というように曲解し、それを周囲に密かに吹聴し、本当は自分自身の行動の結末を自身で取らされただけだったのだが、自分は被害者であり、姉に復讐をする権利が自分にはある、というように自身のなかで位置づけた。そしてそれが彼女の中での正義と揺るぎない権利になったのである。
姉を自殺や精神病、犯罪行為などに追い込もうとしたのも、妹が外化構造(自身の都合の悪い事や葛藤などを犠牲者などの外界に責任転嫁する精神内界構造)をその精神内界構造に持っていたからである。自分自身が自殺や発病したりしないために犠牲者にそれを肩代わりさせようと自殺や病に追い込むのもこの種の人々にはよくあることなのだ。
自身の不健全で脆弱な自我や自己愛、自尊心の問題を背負わせるスケープゴート(犠牲者)に姉を仕立てるために、在る事無い事を吹聴し、標的(犠牲者:ターゲット)の周囲に敵意を煽ったり育てたりしながら、標的が逃げられない様に環境や周囲から囲い込み、不法行為や犯罪行為にまで手を染めて監視し、傀儡や協力者に諜報活動をさせながら、陰湿な攻撃を執拗に加え続けたのだ。しかし、その姉と妹では姉妹であっても、その精神内界構造や人格構造が決定的に異なっていたので、妹は姉を精神的や身体的、社会的に追い詰めることはできたが、最終的には妹が画策したようには、姉を自死させる、精神病にさせる、犯罪者にさせる等の目的はうまくいかなかった。
この差が、健全な強度を持った自我境界や健康的な自己愛や自尊心を持つ人間と、不健全で脆弱な自我境界や不健康な自己愛や自尊心を持つ(そして自身で処理できない葛藤を他者を犠牲にして背負わせる外化構造を精神内界にもつ)人間との差異なのだ。
健全な強度を持った自我境界や健康的な自己愛や自尊心を持つ人間は、もちろん人間だから感情的にもなるし、怒りを爆発させることはあっても、それらをできるだけ他の生命や尊厳を侵害しない方法で処理(たとえば自宅内で枕や段ボール箱をぼこぼこにするとか)するし、又は怒りに任せて子供や動物など自分より弱いものにあたらない様に適度にガス抜きをしたりするので、結果的には強いストレス環境に置かれたとしても自身の倫理観と感情と行動のバランスを保てる事が(完全にというわけではないが)多いのだ。基本的に誰かや何かの犠牲を必要としないし、いじめや嫌がらせ、虐待行為、犯罪行為等に手を染めなくてもストレスの解消はいくらでもできるからだ。しかし、それが妹のような精神内界構造を持つ人間には基本的に理解できない。何故なら、あの手この手を使い追い詰めれば相手も自分自身と同じになると思い込んでいる(外化構造により自身の問題や本性を相手に外化し投影している)からである。
犯罪に手を染めていたのも、その精神や人格、その関係性の持ち方に病んだ歪みや問題を抱えているのも、そしておそらくは死や破壊の危険な加害侵害攻撃衝動を抱えているのも、何をしでかすか分からないのもすべてこの加害者である妹自身なのだが、彼女はそれを自身の問題として処理できない。想像を絶する作為を弄してあの手この手を使ってまで標的を逃げられない様に囲い込み状況を設定するのも、陰湿な攻撃行動を続けるのも、その責任をすべて犠牲者に背負わせるためのものであり、それは身勝手な自己愛憤怒からくる復讐心により発動している。
違法行為や犯罪行為、逸脱行為、社会的倫理規範に反するようなことなどを見咎められる、たとえば、いじめや嫌がらせ行為を止められる、詐欺や恐喝、傷害、殺人などの罪を告発されそうになる、又は告発される、不倫などの不貞行為の責任を取らされそうになる、又はとらされる(不倫相手との子供をその不倫相手から堕胎させられる等も含む)、自分自身が築き上げた虚構の常識的な善人像や理想像を崩される、嘘を暴かれる、又はそうされそうになる、健全な自我境界を引かれる(自身の選択した行為などの責任を自身に返される)等、本来ならば自己責任の範疇にあるようなこうした出来事であっても、不健全で脆弱な自我境界や不健康な自己愛や自尊心を抱え、その精神内界に外化構造を持つ当人にとっては、【自分は被害者であり、相手が悪いのであり、問題があるのは相手なので自分には復讐をする資格や権利がある】、ということになってしまうのだ。
そして、その自己愛憤怒による復讐心の攻撃行動には、驚くほどの執拗さでもって尋常ではない時間とエネルギー(力)が注ぎ込まれる。この姉妹の例でいえば、なんとこの妹は何十年間にもわたり、執拗に自身の姉に対してこうした陰湿な攻撃行動を続け、自分自身の子供や夫にまで犯罪行為やカルトによる諜報活動やテロ行為(家宅侵入や盗聴盗撮、その他の盗みやプライバシーの侵害、重大な人権侵害などの犯罪行為、飲食物への有害物の混入、健康加害を目的とした有毒性の空気汚染物質を散布する等)に協力・加担させていたのだ。そうして姉の健康と社会的立場や人生の殆どを破壊する陰湿な攻撃行動や異常な干渉を何十年にもわたり、し続けた。十分な機会も時間も与えられていたのにもかかわらず、彼女(妹)がそれを反省する事はなかった。何故なら、自分は被害者であり、悪いのも問題があるのも相手(姉)だからである。自分自身は完全無欠の完璧な人間であり、被害者なのだ。又は善意の常識的な人間(これだけの異常な加害侵害攻撃行為や犯罪行為に手を染めていても:ここにこうした精神内界構造をもつ人間の異常性がよく顕れている)だからである。
これは聖一さんの所に来る相談業務の依頼者の話ではなく、彼の個人的に親しい関係にある人の実際の体験の話(特に秘密保持契約のない例)だった。こうした実例から示されているように、不健全な自己愛や自尊心、不健全で脆弱な自我境界を抱える人間が、その精神内界に外化構造を持っていた場合の危険性や有害性がよくわかるのではないだろうか。
この異常な攻撃行動は、大抵は自己愛憤怒からのものだが、この自己愛憤怒は当人の全くの恣意的(身勝手な)、野放図な理由から発動し、多発する。被害者や犠牲者の何かがその引き金になることはあったとしても、それは全く加害者当人自身の理由や事情によるものなのだ。
そして、この犠牲者にされた姉の周囲の人間、味方の振りをして諜報活動と虐待に加担していた友人知人や元夫や家族、加害者である妹の夫や子供達、カルトテロリズムを実践する人々は、何故こんなことに加担したのか──それは、加害者と同じような問題を彼(女)等も抱えているからである。普通であれば、健全かつまともな倫理観を持つ人間であれば、この様な事には加担はしないからだ。こうした虐待行為、犯罪や違法行為、重大な人権侵害行為やプライバシーの侵害、いじめや嫌がらせ等は、虚構の優越性や選民性、背信行為の結託による結束感や所属感、暴力と快楽(性的なものも含む)を安易にもたらしてくれる。彼ら彼女らはそれを自ら選択したのでそうした行為に及び、協力・加担したのだった。そして彼等彼女等もまた、十分な機会も時間も与えられていたのにもかかわらず、反省する事はなかった。むしろ、それらが露見し自分達の立場が危うくなることを恐れ、自身の犯罪行為及びスパイ、テロ行為加担などの告発から身を護るために、被害者である姉の殺害企図に進んで協力し、加担した。
彼等彼女等は全く反省しない。何故なら、彼等彼女等には、そうした本質的な善性能力がそもそもない(反省し発露懺悔したり責任を取るくらいなら、証人や証拠の存在そのものを消してしまう)からだ。善人の振りや無害な一般人の振りなどの演技が出来るのもそれがとても上手なのも、すべては自身で処理できない葛藤などを責任転嫁し犠牲者を虐待する事で得られる、強烈な選民思想や優越感、背信行為や背徳性でもって得られる強い快楽があるからなのであり、本質的な善性が未成熟かそれ自体を殆どもっていないかなのだ。彼等や彼女等にとっては、自らが隠してしていることの責任問題などを暴露する証人や証拠はどんな手を使ってでも潰し、隠滅することやその責任の全てを被害者や犠牲者に被せることが正しい事なのだ。つまり、騙される方、罠にかかる方が悪い。犠牲にされる方が悪い。たとえいじめや嫌がらせ、虐待などで被害者が自殺をしたとしても──おまえのメンタルが豆腐だから悪い、ざまあみろ、自分達はおまえとは違う、たとえ犯罪を犯しても許されるのだ、何故なら自分達は優秀で強く、選ばれた人間だから──これがこうした加害者や加担者の本音だからだ。それは彼等彼女等の実際の行動や選択によく顕れている。その選択や行動自体が彼等彼女等の本質を何よりも雄弁に物語っているのである。
彼等の行動原理やその本性はみな似通っている。それは、普段自分達が語る、又はパフォーマンスとして見せている社会的行動の正義や倫理とは程遠い在り方であり、自分達が隠してしている悪事や問題を暴かれたくない、ばらされたくない、責任を取る事も、取らされることもしたくない、である。そのためであれば、正義も倫理も全く関係なくなるのである。これはテロリズムのサイコグラフ※が示していたのと非常に似通った存在様式で、文字通り、告発者や被害者、真実に気づく者の殺人さえも正当化する。
これらは、不健全な自己愛や自尊心、不健全で脆弱な自我境界を抱え精神内界に外化構造がある人間が関わる人間関係のあるところに生じる、【関係性の腐敗(関係性の癌化)】の雛型(パターン)である。こうした事が、大なり小なり世界中で起きている。こうした病んだ関係性のパターンは人と人の関係性の在る中で繰り返され、模倣され、連鎖し、更に深刻で歪んだ大きな問題へと発展する原動力を次々と創っているのだ。こうした病んだ関係性のパターンを指摘する事は、人を裁くことではなく、こうした人々が抱えている問題の本質やその関係性の在るところに生じる関係性の腐敗に対しての認識を深め、それに対して有効な解決策を私達が未来に向けて編み出していく必要があるからである。
もちろん何らかの不法行為や犯罪行為、特にスパイやテロ行為に関与しているならば、その人間は自身の行動の選択に責任を取らなければならないし、それを社会や共同体にきちんと公明性と透明性を持って公表されるべきだ。何故なら、これらの不健全な自己愛や自尊心、脆弱な自我境界を抱えその精神内界に外化構造を持っている人間は、そうした厳格な限界や境界を設定し、自己の選択した行動やそれが惹き起こした事に対しての責任を取らされる事を繰り返す事でしか、健全な自我境界や限界を学んだり身につける機会を得ることが出来ないからだ。
だがしかし、だからといって、すべての責任を彼等彼女等に押し付けて犠牲にする事で問題を解決する方法も、本質的な問題解決にはつながらない。こうした人々の精神内界でどういった事が繰り広げられるのか、どのようにそうした行動が惹き起こされていくのか、そしてそれは一体何を惹き起こしていくのか、それらは社会や共同体で共有されるべき未来への智慧の土壌そのものだからだ。免責や免罪をしたり、野放しにするわけにもいかないが、すべての責任を押し付けて排除し、それらを見えないところに片付けてしまえばいい問題でもないのだ。根本的には、何故彼等彼女等はこうした不健全な自己愛や自尊心、不健全で脆弱な自我境界、精神内界に外化構造を持つに至ったのか、その問題も視野に入れて解決策を編み出していかなければ、同じことは繰り返されるだけでなく、より巧妙に陰湿に隠蔽され地下に潜って温存されてしまうからだ。それでは本末転倒なのである。
彼ら彼女らのこうした振る舞いに対して、生理的な嫌悪感や怒り、断罪・懲罰欲求や排除を望むこと、ある種の胸糞悪さを持つのは当然であり自然な事なのだが、だからと言って、その衝動に自らを任せてしまえば、同じことになりかねないからでもある。それくらい、関係性の腐敗(癌化)や精神内界の歪みにはある種の感染性や伝播性があるものだからだ。
※テロリズムのサイコグラフ:第三章 21参照




